めずらしく早くに目が覚めてしまって、しばらくぼーっとしたり、ケータイをぱかぱかやったり、横ですうすう寝息をたててる先輩の顔をながめたりしていたものの、もう眠気は来てくれなかった。筋肉痛できしむ身体をなんとか起こして毛布から這い出して、足に触れた床の感触にふるりとする。すっかり夏はひっこんで、すぐそこで出番を待ってる冬をすこしだけ煩わしく思った。

 日曜日の朝はゆったりのんびり、カーテンの向こう側は明るくてあったかい。散らばった服やかばんや雑誌や空のペットボトルを踏まないように避けながら冷蔵庫へ、水分を求めて。ついでに朝食兼昼食の準備でもするかと思ったけれど、先輩はまだ起きそうにないしどうしようか。

 七年目の記念日は飛ぶように過ぎていった。先輩は学生時代から意外とそういうイベントを大事にするひとで、毎年知恵をこらしてサプライズだのなんだの、頑張って俺を喜ばせようとしてくれる。
 ミネラルウォーターをちょびちょび口に運びながら、薬指できらめく指輪と正面から向き合って数秒、昨日のことを噛みしめるようにちょっとずつ思い出してみる。いや、思い出してもまだ信じがたいというかなんというか、ひとりで笑ってしまうくらいおかしな一日だったのだけど。


 社会人一年目、22歳、霧野蘭丸の一世一代のプロポーズはお世辞にもかっこいいとは言えないものだった。
 いい年こいた男がふたり、川ではしゃいでキャッキャやった結果、なぜかふたりともぐしょぐしょずぶ濡れ、転けた本人が放心しているところに「なぁ狩屋、俺と結婚してくれないか」って、や、なんでそのタイミングで言う? 俺がとっさに服をひっつかんだせいでいっしょにずっこけただっさい先輩は、髪からぽたぽたしずくを垂らしてて、これが水もしたたるアレというやつかーなんて、頭はうまく働かなくて、さらさら流れてく川の水だけがばかみたいに透きとおってて、あたりは静かで、なんだか先輩と俺だけ別世界にいるみたいだって。そんなことを。

 テーブルにほっぺたをくっつけたら、つめたくてちょっときもちいい。こんなかたくないけど、ひんやりしたかんじが先輩のてのひらに似てると思った。俺は最近なんでもかんでも先輩にたとえたがるくせがあってよくない。いつでもどこでもなにをしてても、すぐ先輩のことを思い浮かべてしまう。そんなに好き? ってきかれたら、まあ好きだし、ぶっちゃけると好きすぎてめんどくせーってくらいには。
 飯を食うにも先輩、授業中も先輩、バイト中も先輩、先輩、先輩、霧野先輩、ああああもう、なんなの、なんでこんな好きなの。

『責任とって』

 いつか言ったことがある。
 たしかお互い高校生のころ、会えない日が続いてケンカになって、その仲直りのときだった。先輩のことしか見えなくてつらいから、すぐ不安になっちゃうから、どうしてもはなれたくなくてはなしたくなくて、ぽろっとこぼれたそのことば。先輩はびっくりしたみたいに目をまんまるにして、それから細めて、うん、責任とるよ、約束するってやさしくてつよい声で。
 まさかあんな前のこと、覚えてるなんて思ってもみなかった。


 ちっちゃな石の入った指輪はカーテンのすきまからさす光にきらきら、きれいで、あんまりこういうのを身につけたことがない俺はまだなれなくてちょっとへんなかんじ。
 先輩ここんとこ節約体質になったよなーってうすうすそう思っていたけど、もしかしてこれのためだったりしたのかな。給料の三ヶ月ぶんだったらどうしよう、ああでもそれはエンゲージリングだったっけ?
 あの日言ってた責任とらせてって、抱きしめられた耳元でもらった誓い、とってもとってもうれしかったけど。俺はそんなすてきな先輩に、いったい何を返してあげられるんだろう。

 キャップをしめて冷蔵庫に戻し、そっとベッドに近づいた。床に座ってのぞきこんだら先輩はまだ目を閉じたまんま、ながいまつげだけがほんのすこし上向きで。
 こうして見るとほんとうにきれいなひとだ。黄金比というんだっけか、飽きないくらい整ってて、いまさらながらこんなひとに好きだって思われて、昨日は求婚までされたんだって考えたら俺、やばいくらいしあわせものなんじゃねえの。

「霧野、せんぱい」

 ほっぺたにかかる鴇色の髪をそっとすくって退けて、つるつるした肌に触れてみる。やっぱりちょっとつめたくてひやっこくて、低体温は大変だなあと思った。でも冬になると暖を求めていつもよりくっついてきてくれて、うっとおしがりながらほんとはうれしいってこと、先輩は知ってるのかな。

「……せんぱい、かぁー……」

 そりゃまあ形だけの結婚なんだけど、今までみたいに先輩せんぱいって呼ぶのもなんだかなあ。じゃあなんて呼んだらいいんだろう、ふざけて蘭ちゃん先輩とか蘭子さんとか言って怒らせて、しばらく呼んでも反応してもらえなかったことならあるけど、そういやちゃんと先輩の名前呼んだことってなかったかも。

「……ら、蘭丸さん?」

 うーん、婚約者にさん付けかあ、いやまあなくはないだろうけどなんていうか、そういうのはしとやかな女のひとが呼んでるイメージしかなくて、なんかちょっと俺には似つかわしくないような。

「んー……」

 あだ名だとかもいろいろあるっちゃあるけれど、七年付き合っていまさらあだ名? ってかんじだし、ここはやっぱり呼び捨てが一般的でいちばん無難だろうか。

「らっ、……らん、まる……」

 ただ名前を呼ぶだけだっていうのに心臓がどきどきばくばく、うるさくってかなわない。先輩に触れてる手もなんだか汗ばんできたし、なんかもうひとりで勝手に恥ずかしいし、そもそも寝てるひとになにやってんだ俺は?
 やめやめ、あほらしい。
 そう思ってひっこめた腕をおっきなてのひらがつかんで、「ふゃ」とかなんとかよくわからない声が出て、あれよあれよという間にベッドの上、毛布のなか。にやりとわらうきれいな顔。

「せ、せせせせんぱ、先輩起きて……っ」
「あれ? もう蘭丸って呼んでくんないのか、マサキ」
「え、あっ、ええええ」

 先輩いま、マサキって、え、えええええ? いつから起きてたんですか、上ずる声でたずねたら、さぁ? っていじわるなえがお、いちいちかっこいいからずるい。

「う、うわー、うわあああ、あああ! 恥ずかしい! 恥ずかしい!」

 ぎゅうぎゅう抱きしめられて逃げられもしなくて、先輩の胸に真っ赤な顔をうずめてうわあああ、あああ、さわぐ。先輩はたのしそうに声をあげてわらってて、はっはっは、あっはっはっはってこれ、このひと絶対かなり前から起きてたな。

「照れんなよーマサキ」
「う、う、うるさい! あんたこそなんなんですか、さらっとひとの名前呼んで!」
「えっなんで? ダメ? 好きだぞマサキ、愛してる」
「ぎゃああああばかあああああ!」

 ヒィヒィ言いながらばしばし肩を叩いたら先輩はやっぱりわらって、コノヤロウかわいいやつめ! とかなんとか意味わかんないこと言ってはまたぎゅうぎゅう、くるしいくらい抱きしめられてなにがなんだか。しばらくしてやっと落ち着いて、お互い息をととのえてから見つめあって、どちらからともなくくちをくっつける。一度めにかるく触れて、二度めで先輩の舌が俺のくちびるをなめて、三度めはふかくふかく、吐息までも巻き込んで。

「ら、……蘭丸、……せんぱい」

 呼んだら先輩はくすくすわらう。

「蘭丸先輩、好き、は?」
「……う……蘭丸先輩、……好き」
「愛してる?」
「あいしてるっ!」
「よくできました」

 満足そうな先輩にごほうびのちゅーをもらいながら、その薬指に光る同じ色に胸がきゅうっとなって、ああ、俺、ほんとうにこのひとのなんだって強くつよく思う。

「先輩」
「うん? なーに」
「俺、ゆびわの代わりに何あげたらいい?」

 わりと真剣にきいたっていうのに先輩は不意をつかれたみたいにきょとんとしてて、あれっ、伝わんなかったかなってちょっと不安になった。 「ら、蘭丸先輩?」 ちいさな声でそう呼ぶと、やさしくてあまい、俺の大好きな笑顔がふわりと咲く。
 間もなくつむがれたことばにほっぺたが熱くなって、先輩の顔がまともに見れなくてまたぴったり抱きついたらぽんぽん、背中をなでるてのひらがこんなにもいとおしい。
 ちっぽけなできごともささいな想いも、ありふれた単語のひとつも、ふたりで重ねて積み上げたいま、そのどれもが欠けてはならないもの。いろんな壁を乗りこえて、やっとここまでこれた。

「もう離さないから。覚悟しといて」

 やけにかっこつけて言うからわらってしまって、怒るかと思ったら先輩もわらって、それから「うわやば、なんか恥ずかしくなってきたかも」って片手で顔を隠すから、かわいいやらかっこいいやらいそがしい。

「蘭丸先輩、好き」

 何千回、何万回言ったってまだちっとも足りないけれど、先輩はちゃあんとぜんぶ受け止めてくれるから、俺は何度だってこのひとに愛を伝えたいと、そう思うのだ。




20121007 miyaco
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