「あー、もう。狩屋お前何するんだよ」

 二つに結ぶのはもう慣れたからたいした手間でもないが、結びなおすこと自体がめんどくさい。かと言ってそのままにしておくのも落ち着かないので、狩屋の手のなかにおさまったゴムを取り返そうとした、のだけど。

「狩屋?」

 なんだかぼーっとした目で見つめられてちょっと面食らってしまう。いったい何がどうしたんだと思っていたら、ちっちゃい口がゆっくり開いて、動いた。

「先輩、きれい……」

 ……はい?
 言われた言葉の意味を瞬時に理解できなくて、頭のなかで数回反復する。……んん? きれい?
 だいぶ反応に困る単語だ。女子みたいとか、可愛いとか、そういうのならふざけんな俺は男だ、って強く言い返せるけど、きれい、ときたか。まあべつにからかって言った風でもないし嫌な気はしないけど、でもだからって喜んでいいのかも微妙なところだ。

「えーと、狩屋?」
「先輩これ地毛なの?」
「は? え、……うん、まあ」
「ふーん……」

 狩屋の手が俺の髪の毛を梳いていく。毛先をくるんと丸めたりぱらぱら少しずつ落としてみたり、夢中になって俺の髪に触れている狩屋は好奇心に満ちた、年相応の子どもの顔をしていて、あ、こいつもこんな顔するのかと思った。

「たのしい?」

 小さく笑いながらそうたずねたら、自分のしてることが恥ずかしくなったらしい狩屋はあわてて手をひっこめて、なにやらもごもごと言い訳の言葉を並べている。「ほら、ゴム返して?」なるべくやさしくそう言ったら、ちらりと目を合わせてから ん、と手のひらを突き出してきた。ちょこんと乗った髪ゴム二本を受け取って、それでもやっぱり頬がゆるむのを止められない。狩屋ってどことなく猫に似てる。気まぐれで自分勝手で、相手のことなんておかまいなしで。「……結んじゃうんですか?」でもどうしようもなく可愛くてほうっておけないのだ。

「なに、嫌?」
「え、っと、だってあんな髪型してるから女子みたいって言われるんでしょ」
「お前は今の方がすき?」
「えっ、……って、俺がすきとかきらいとかそんなんじゃなくて!」

 手のかかる子の方がかわいい、なんてのは、あながち間違ってないと思う。同じ一年でDFの信助だってもちろん可愛い後輩だけど、狩屋とは可愛いの分類が違う気がする。特別関わりが強いっていうのもあるだろうけど、最初あんな態度だったこいつがこんなふうに接してくれるのが嬉しかった。

「怒んなよー」
「ちょっ、やめ、撫でるなっ」

 ぐしゃぐしゃの髪を直してやってるのに失敬なやつだ。ちょっといじわるしてやろうと少しだけ距離をつめたちょうどそのとき、ばちんと何かが切れるような音がして目の前が急に暗くなった。

「えぇ、まじかよ」

 停電なんて珍しいよなあと声をかけたのに、すぐそばにいるはずの狩屋からは返事がない。まだ目が暗闇に慣れてなくてよく見えないので、スラックスのポケットから携帯電話を取り出して手探りで開いた。

「おーい、狩屋ー」

 言いながら明るいディスプレイで狩屋がいた正面を照らしたけれど、見えたのはロッカールームの無機的な壁だけ。

「あれっ? 狩屋?」

 どこ行ったんだ、と口にする前に、ふと足元に気配を感じた。携帯電話をそっと下に向けてみると、狩屋が背中を丸めて頭を抱えながら座り込んでいる。怯えるようなその体勢と表情に少なからずびっくりした俺はあわててしゃがみこんで狩屋の肩に手をかけた、途端ひっと小さく息をのむ音がした。

「おい、大丈夫か? どうしたんだ」
「だ……だいじょうぶ、です」

 大丈夫と言うわりには身体が小刻みにふるふると震えているので、もしや雨に濡れて寒いのかとも思ったけれど、それにしてもタイミングが急すぎる。華奢な背中をさすってやりながら、こいつまさか、とひとつの答えにたどり着いた。

「狩屋お前、暗いの怖いとか……?」
「……う、うるさ、びっくりしただけです……!」
「びっくりしただけって……震えてるじゃないか、ほらもっとこっち来いよ」

 とんとんと背中を叩いても首を振って拒否するので、仕方なく携帯電話を床に置いて俺から近寄って、ぎゅうと力をこめて抱きしめた。すると意外にも素直に体重をかけてきて、それどころか狩屋の方からしがみついてくるから、ああよっぽど怖かったんだなあと思った。身体つきが小さくても態度はでかいから忘れていたけど、狩屋はつい最近まで小学生だったのだ。

「よしよし、俺がいるから怖くないぞー」

 あやすように言って頭を撫でてやったら、子ども扱いすんなって生意気な言葉が飛び出すところは狩屋らしい。どくどくと心臓が脈打つ音が伝わってきて、浅い息づかいは耳のすぐそばで聞こえた。さっき濡れたせいだろうか、狩屋は雨と汗の混ざったにおいがする。

「落ち着いてきたか?」
「……まだ、もうちょっと……」
「はいよ。別に好きなだけくっついてていいから、遠慮すんな」
「……ん」

 携帯電話の画面が暗くなるとまた狩屋がびくりとしたので、手を伸ばして適当にボタンを押した。どうやら本当に怖いらしい。だいぶ目が慣れてきた俺は狩屋の背中をとんとんと一定の調子で叩いてやりながら、かわいい弱点があるもんだと心のなかでこっそり微笑んだ。

「……でもお前さ、暗いのだめだったら練習の後とか家帰れるの? 遅くなった日はもう結構暗いだろ」
「なるべく明るい道を通ります、から」
「ふうん……寝るときとかは」
「豆電球がついてたら大丈夫」
「真っ暗なのがだめなのか」
「……まあ、そうなります、ね」
「へー……」

 なんで怖いの、とかは、気にはなるけど聞かないでいよう。わざわざ嫌な話をさせるほど俺もいじわるじゃない。暗所恐怖症だったなんて普通に心配だし、俺にできることがあるならなんでもしてやりたいと思った。

「こういうのって復旧まで時間かかるもんなのかな……。狩屋大丈夫か? 怖くない?」
「今は……へーきです」
「そうか、ならいいんだけど」

 さっきよりだいぶ心拍もゆっくりになってきて、俺の服をつかむ力も弱まっているあたり、やっと暗闇に慣れだしたらしい。子ども扱いすんなと言われても、明らかに自分より弱いところを見つけてしまってはそれも仕方ないことだ。もしかしてあの日、月山国光戦のあと偶然会ったときも、暗くなるのをおそれて急いでいたんだろうか? だとしたら引き止めて悪いことをした。

「……お?」

 蛍光灯がジジジ、と音を立てる。やっと電気が戻ってきたかと上を見ていると、もったいつけながら再びロッカールーム内に光が満ちた。突然明るいところにさらされたせいで目がしょぼしょぼする。「狩屋、電気ついたぞ」ぴったりくっついていた狩屋の肩を揺らして声をかけた。どうやら目をつぶっていたらしい狩屋は んん、と小さく唸り、ぱちぱちと瞬きをする。「狩屋」、呼ばれた狩屋は気の抜けたように俺の顔を一瞥、それから見事な跳躍をかましてうしろに飛び退いた。えぇ、なにその反応?

「かり――」
「おっ、俺、帰ります!」
「お、おぉ……でもまだ雨降って」
「走って帰ります!」
「そ、そうか? 気をつけて……」
「さよーならっ!」

 ロッカーのなかのかばんをわしづかんで転がるように出ていった狩屋のあとをぽかんと見つめながら、俺の心臓はどっくどっくとさっきのあいつみたいに早鐘を打っていた。え、えっ? 俺の目が間違ってなかったら、狩屋は耳の先まで真っ赤に染めて、まるでこっちまで赤面するくらいの。

「なんだ、あいつ……」

 まだおさまらない心臓を抱え、俺ももう鍵しめて帰らなきゃと動き出した。


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