別に好きでもない国語の教科書をぱらぱらめくったりしながら、誰もいないロッカールームで時間をつぶしていた。ちらりと携帯電話を見れば午後七時すぎ。俺がここに座ってからもう一時間近くたったことになる。

「……いつまでやるんだろうな……」

 眠気にさいなまれながらつぶやいて、ただひとつだけ中身が残ったままだったロッカーに目をやる。ネームプレートに書かれた名前は、俺だけ他の部員よりも関わる機会の多いとある一年の後輩の。こんな遅くまで自主練に励むそのがんばりは認めるけれど、ピアノのレッスンで早くに帰った親友の代わりに鍵しめを任された先輩の気持ちもちょっとは考えてほしい。まあずっと外にいたみたいだから、そんなこと知らないんだろうけど。

 狩屋は性格に難があれど、練習に対してはいたって真面目だ。プレーにもそれはあらわれるし、おなじDFの俺はきっと誰よりあいつを理解してるつもりでいる。入部当初はこのくそがきどうしてやろうかと結構真剣に考えもしたけど、今となってはもう笑い話だ。狩屋は根っから悪いやつじゃないし、俺のことが嫌いというわけでもないらしい。ちょっと話してみたら、意外と反応が面白かったり表情がくるくる変わったり、ちょっと大人ぶったりしてるのもなんだかほほえましくなってきて、それまでのこともぜんぶ許せてしまった。なじめるのか心配だったけど他の一年とも仲良くやってるみたいだし、だんだん素も出せるようになってきたようでほんとによかった。――なんて、まるで保護者かなにかみたいなことを考えてる俺も大丈夫かと思うけれども。

 神童は狩屋が俺にいろいろちょっかいをかけていたことを知らない。言ってないし、これからも言うつもりはない。もう終わったことだし、せっかく革命も順調に進んで、悩むことも少なくなったあいつの負担になりたくなかった。メンバーも出揃って、雷門はこれからもきっとどんどん強くなる。俺は優勝まで、フィフスセクターを倒し革命が成功するそのときまで、チームの一員としてサッカー部を支えたい。そのためにはもちろんDFとしても成長しなくちゃならないし、連係プレーの精度も高めた方がいいに決まっている。だからこそ、狩屋にはもう少し歩み寄ってみたいと思ったのだ。

「しっかし遅いな……」

 ひとりでの練習なんてある程度限られてくるだろうに、よく飽きもせずこんな時間まで。どうせ暇だしちょっと様子でも見に行ってみるかと立ち上がったそのとき、ロッカールームの扉がばあんと勢いよく開いた。

「お」

 飛び込んできた狩屋は俺を見て大げさなくらいびくりと肩をすくめた。どうやら誰か残っていたのがかなり予想外だったらしく、あっ、とか、えぇ、とか言葉にならない音を発している。それにしても、なんだか様子がおかしかった。いつもぴょんとはねている水色の髪はしんなり下を向いていて、黄色と青のユニフォームも肌にぴったりはりついている。なにおまえどうしたのと声をかける前に、せっせんぱいなんでまだいるのと上ずった声で言われた。なんでって。ずっとお前を待ってたんですけど?

「なんだ、水浴びでもしたのか」
「はぁ? ちがいますよ、雨が」
「……雨?」

 んなもん降ってたかとロッカールームの窓のブラインドを開けると、斜めに吹いた風に煽られてガラスにばしばし雨粒が打ち付けていた。なにも言わずに振り返ると、狩屋が ほらね、降ってるでしょ、と言いたげな顔をしている。サッカー棟は設備がよすぎてたまに困ってしまう。

「夕立だな……」
「もう最悪ですよ、ほんと」

 濡れたスパイクで歩き、ぎゅっぎゅっと変な音をたてながら、狩屋は自分のロッカーをあさりだした。身体にはりついたユニフォームを脱いでびしょ濡れの髪をぶるぶる振って、水滴を床にまき散らす。いつもならあとで掃除しろよと怒るところだが、自主練をがんばっていたようなので見て見ぬふりをしてやった。

「そう言えば先輩なんで残ってるんですか」
「神童がピアノで早く帰る日だから鍵しめ頼まれたんだよ。お前のかばんあるから待ってたんだ」
「わあーすみませんね」
「棒読みかよ」
「俺しめときますから先輩もう帰っていいですよ」
「ばーか俺が任されてるんだ」
「えー先輩くそ真面目ぇ」
「お前なあ……」

 しゃべりながらユニフォームを軽くしぼってからたたんで端に置いて、それからかばんをごそごそ探っているので、てっきり身体を拭くんだろうと思った。ところがそのままずるりと制服のシャツをひっぱりだして羽織ろうとするから反射的に おい、と咎めるような声が出た。

「…………なんですか?」

 狩屋は明らかに怪訝そうに俺を見てそう言った。だが俺も俺でちょっと納得できなくて、ずかずかと大股で間合いをつめていく。突然近づいてきた俺に狩屋はびっくりしたようで、なっなんですかと動揺したように言いながら後退りした。

「濡れたまんまじゃ風邪引くだろ」
「風邪ぇ? 引かないですよそんな簡単にー……」
「馬鹿でも引くときは引くんだよ」
「な……っ、失礼な! 俺そんなに頭悪くないです!」
「そうなのか? 意外だな」
「もー、なんなんですか? 喧嘩売ってるんですか」

 先輩意味わかんないです! と口を尖らせる狩屋にちょっと待ってろと告げて、数個はなれた自分のロッカーを開ける。奥に重ねて置いてあるタオルを一枚ひっつかんで狩屋に差し出すと、え、と言ったまま動かなくなった。

「俺のタオル貸してやるから拭けって」
「い……っいいですよ、どうせ俺もう帰るし」
「この雨のなかをか? 傘は」
「……ないですけど」
「じゃあやむまで待つだろ」
「……」
「拭けよ」

 それでも目をそらして頑なに受け取ろうとしないので、広げたタオルで無理矢理頭をくるんでごしごし拭いてやったら、案の定ぎゃあああと大きな声を出して暴れだす。俺の腕をつかんで必死にとめようとしてるらしかったが、あまりにも非力でほとんど効果なんてなかった。

「やめ、っいたた、いたいいたい、強い、先輩力つよい! もっとやさしくしてよ!」
「お前がじたばたするから悪い」
「し、しないから! もうしないからいったんとめてください!」
「はいはい」

 ぴた、と拭くのをやめてやると、白いタオルの下から潤んだ目がにらんできた。うーん、そんな顔されてもぜんぜん怖くないんだけどな。

「どーしてそんな強引なんですか……」
「お前に風邪引かれたら俺が困るんだよ」
「……なんで」
「ただでさえ部員少ないのに休まれたら練習にならないだろ? ほら、手邪魔だ、はなせ」

 俺が言うと狩屋はしぶしぶつかんでいた手を下ろして、されるがまま頭を拭かれている。腕を通してしまったシャツもじんわり湿っていて、これも乾かしたほうがいいなと言おうと思ったけれど、突如外からドオォンと大きな音がして思考を遮られた。

「うわ、びっくりした……雷か」
「……まだやみそうにないですね」
「そうだな……狩屋門限大丈夫か?」
「えっ? あー、それはべつに」
「ん、ならいいけど」

 ある程度拭いてタオルをはなしたら狩屋の髪がぼさぼさになっていて、それがなんだか面白かったので笑っていたら、にゅっと伸びてきた手が俺の髪をひっぱった。こらやめろと制すと べっと舌を出して髪ゴムを引かれて、元々そんなにきつくしばっていなかったから左右共にするりとほどけてしまう。まとまっていた髪が肩や首にかかって、ちょっとくすぐったかった。

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