円堂監督がいなくなった。

 転校生で途中入部の俺にしてみればその事実は文字通りの意味しか持たなくて、でも他のみんなはそうではないらしく、明らかに沈んだ雰囲気がどうもわずらわしく感じる。雷門がフィフスセクターに対抗しはじめたころを俺は知らない。かといってみんないつまで落ち込んでんだばかばかしい、なんて言おうものなら全員から大目玉をくらうことくらい簡単に想像できた。それほど雷門サッカー部にとって円堂監督の存在は大きくて、それを失うのは致命傷らしかった。
 まああのイナズマジャパンのキャプテンで、今の世の中にサッカーを蔓延させた張本人だから、そりゃもう円堂守の名前だけで誇らしいところもあるだろう。ただ俺はそういうのにあんまり興味がない。

 部室で各々制服に着替える部員たちにはやっぱりどこか今までみたいなやる気が感じられなくて、それは鬼道監督の厳しい練習メニューで疲れているせいもあるかもしれないけれど、根本的な原因は円堂監督がいなくなったショックだろう。たかがそれくらいで情けない。みんながみんな、監督がいなきゃ革命が成功しないみたいな顔してる。その程度の気持ちなら、はじめからこんな大それたことやんなきゃいいのに。

 いろいろ考えたところでどうせ、俺には共有しえない感情だ。特に構ってもらった覚えもないし、監督自体に恩は感じてない。しいて言うなら月山国光とのあの試合で、俺のプレーを評価してくれた(らしい)ことくらいか。それも瞳子さんから聞いただけで、直接言われたわけじゃない。

「辛気くせぇ……」

 この間までにぎやかだった練習後の部室は話し声もまばらで、だれにも聞こえない程度につぶやいた。くそ、居心地悪いな。なんだよみんなして。監督がいなくてもがんばろうとか、いないからこそとか、そんなふうには思えないわけ?
 はあ、と深くため息をついて、ユニフォームをロッカーに押し込んで扉を閉めた。


 部室の隅に座り込んでマネージャー三人が何やら話し込んでいるのを何となしに聞きながら、備え付けられたベンチに座って携帯電話をいじる。最近買ってもらったばかりだからまだちょっと使い慣れなくて操作はぎこちない。せがまれたので天馬くんと信助くんにはアドレスを教えたけど、ふたりとは毎日部活で顔を合わせるしクラスもいっしょだし、わざわざメールや電話のやりとりをするほどでもなかった。

「うーん、やっぱり次の試合までもたないですよね、これじゃ」

 一年のマネージャー、空野の声がした。さっきから何をしてるのか少し気になっていたけれど、どうやらテープやらスプレーやら、選手のサポート用の備品のストックが底をつきそうなようだ。定期的に買いに行かないからだと思ったが、そういやこのごろ忙しくてそんなことをしてる暇なんてなかったことに気づく。マネージャーって仕事も案外大変なもんだなあと他人事ですませて、さてそろそろ帰ろうかと立ち上がったとき、視界のはしっこで鮮やかな髪がふわりと動いた。

「俺が行ってこようか?」

 あーあーつくづくおせっかいな人ですねぇ。そんな雑用じみた仕事をなんで自ら買って出ようとするのか、俺にはちょっと理解できない。まあいいや関係ないしと胸の内でつぶやき、どこまでが女子だか見分けがつかなくなりそうなマネージャーと霧野先輩をあわせた四人の脇を通り部室の引き戸に手をかけた、けど。ぽんと軽く肩を叩かれた瞬間すぐに、俺の頭は悪い予感でいっぱいになる。

「狩屋」

 まだ部室に数いる部員のなかから俺を選んだのはどうせ、たまたま近くを通ったからなんだろう。

「いっしょに行ってくれないか」

 いやですよめんどくさい、そう言おうと思って口を開いたのに、い、とまで言ったところで先輩がさえぎるように ありがとう狩屋! 、と何故か勝手に判断して笑顔を向けてきた。え、なに、つまり拒否権なし?

「ちょっと、俺行くとかまだ」
「じゃあパーッと買って帰ってくるから」

 俺の文句は無視したのかはたまた聞こえてないのか、先輩はマネージャーたちににこやかに手を振って、 さ、行くぞ、と明るく言って俺の腕をがっしり掴んだ。可愛い顔してるくせに意外と馬鹿力で、そのままずるずる引きずられてサッカー棟を出る。その間にも俺は はなせだのやめろだの躍起になって言葉を投げかけてみるけれど、先輩はまるでおかまいなしだ。もしかしてほんとに聞こえてないんじゃないかと心配になりだしたとき、先輩がくるりと振り返った。もう正門のすぐそばだ。

「悪いな、狩屋」
「なんなんですかもう……俺帰るとこだったのに」
「用事があるのか?」
「えー……、そういうわけじゃ」

 ないけど、でも、これはちょっとおかしいんじゃないの? マネージャーの代わりに買い出し引き受けたんだかなんだか知らないけど、俺には無関係の話だし、行きたきゃ勝手に行けばって思うし、あれ、ほんとになんで俺巻き込まれてるんだろ。

「先輩ひとりで行ったらいいじゃないですかー」
「瀬戸が霧野だけで持ちきれる量じゃねーぞって言うから」
「はあ、……で、どうして俺なんです」
「ちょうど通ったし」

 はいはいやっぱりね。まあ俺も鬼じゃないし、帰ってもどうせやることないし、買い出しくらい手伝ってやってもいいけど。でもそれにしてもさっきのはちょっと強引すぎやしませんか先輩。

「今はみんな円堂監督がいなくなったショックで沈んでるし、マネージャーに余計な負担かけたくなかったんだよ。いつもばたばた走り回って俺たちのためにがんばってくれてるしな。力仕事くらいやってやらないと」
「へー……」

 霧野先輩ってつくづく顔と性格が一致しないよなあ。なんて言ったらぶっとばされそうだから言わないけど、どうしてこうも男らしいんだろう。この人だって円堂監督の辞任に衝撃を受けてたうちのひとりなのに。

「まーなんでもいいですけど。行くなら行くでちゃっちゃと行って早く帰ってきましょうよ」
「ん、ありがとな、狩屋」

 素直な礼に面食らっているうちに先輩はさっさと門を出て行ってしまって、数秒後あわててその背中を追いかけた。
 もしあのとき霧野先輩のうしろを通ったのが俺以外のやつだったら、先輩はそいつと買い出しに行ったんだろうか。そう考えるとなんだかちょっとむかついてきて、目の前でふわふわしてる二つ結いの髪をひっぱってやりたい衝動に襲われた。なにするんだよ狩屋、いたいだろ、またなんか悪いこと考えてんな、って、前までみたいに怒った顔して言ってくれればいいものを。他の一年に向けるのとおんなじようなやさしい顔して笑うから、こんなに調子が狂ってしまうのだ。
 俺に嫌がらせされて、シードなんじゃないかと疑ったり天城先輩に勘違いされたりベンチに下げられたり、そんな先輩がずっと前のことみたいで、むしろもうなつかしいくらい。

「先輩のばか」

 つぶいても気づいて怒ってはくれなくて、それを少しだけ残念だと思う俺がいた。ははは、なんだこれ? まるで先輩に構ってほしいみたい。うそだろ、だってこんなの、俺のほうがずっとばかみたいじゃないか。





 先輩がメモを読み上げて、俺がその通りにスプレー缶やらテープやらを棚から取って先輩の腕にひっかかった買い物かごに流し込む。そんな単純作業を何度か繰り返し、あっさりと買い出しは終了した。店を出て店員のありがとうございましたぁという機械的な声を聞いたとき、先輩は両手にでかくて中身のつまった袋をひとつずつ、俺は片手に小さくてかるい袋をひとつだけ持って。だれから見たって明らかにバランスがおかしい。

「……先輩、俺ひとつ持ちます」

 いたたまれなくなって切り出したら、きょとんとした顔で なんで? と言われた。なんで? じゃないよ なんで? じゃ。申しわけ程度に持たせてくれた小さい袋がむしろ虚しい。先輩ひとりでも充分事足りたなこれは。

「それじゃお前がふたつ持つことになっちゃうだろ」
「先輩ほんとに俺のことなめてますよね」
「はー? なんだよそれ、そんなことないって」
「絶対なめてる」

 べつにいいけど、俺だって重いのをわざわざ持ちたいわけじゃないけど。それでもやっぱりなんというか、まわりの目のことを考えるとひとつくらい持ってやらないといけないような気になる。どう見てもかよわそうなのは先輩のほうなんだから。

「なあ狩屋、お前さ」
「…………なんですか」
「え、なんでそんな機嫌わるいの」
「だれかさんのせいでね」
「へえ、だれかさんってだれ?」
「……先輩それわざとなの、それとも天然なの」
「ははは、さぁな」

 商店街を抜けて、学校へ向かう道をふたりで並んで歩く。背中側から夕日に照らされて影が伸びて、その影は先輩のほうがおっきくって、なんとも言えない気持ちになった。ほとんど何も入ってないビニール袋をぶんぶん振り回していたら、あぶないだろー、とゆるいお咎めが聞こえたのでなにも言い返さずにやめた。
 先輩が両手にでかい袋を持ってるおかげで、肩と肩が近づきすぎなくていい。お互いに黙ったまま足だけ動かして、ただ学校に向かって。そういえばさっき何言いかけたんですかって、気にはなっていたけど、べつにいやな沈黙じゃあなかったから結局たずねなかった。そのうち学校について、部室に帰って買ってきたものを渡して、マネージャーたちにお礼を言われて。そのまま帰るのかと思いきや、じゃあな狩屋また明日、って手を振られて、あーこの人今日もキャプテンと帰るんだなと思いながら、さよーならとつぶやくみたいに返した。商店街と学校がもうちょっと遠くはなれててもいいんじゃないかなと、なんとなくそう思った。


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