まだ少し肌寒いくらいの春の夜風を浴びながら、静かな稲妻町の街灯の下をひとり、何を思うでもなく歩いていた。
 月山国光中との試合の後、同級生の天馬くんの住むボロいアパート(なんて管理人の秋さんの前では言わなかったけど)に招待されて、ケーキ食ったり必殺技についてあれこれ言い合ったり。相変わらず人と群れるのは得意じゃなくて、仲良しな天馬くんたちを横目に早く帰りたいなと思いもしたけど、秋さんのケーキは普通に美味かったから結局こんな時間。めんどくさいことに巻き込まれたくないからなるべく明るい道を選んで、一人で黙って帰るには少し長いくらいの道をせっせと辿る。もう遅いから送っていこうかという言葉はやんわり拒否させてもらって、頭上にある星たちをぼんやり見上げたりなんかしながらお日さま園へと足を動かす。

 今日は色んなことがあった。別に振り返りたいようなことではないから浸ったりしないけど、でもまあ、勝利というのは悪くない、気分はいい。とてもいい。どこまでもお気楽な雷門サッカー部には不安になるけれど、ここなら俺もやっていけるかもしれないとこっそり思った。



 商店街が見えてきて、あー明るい、人がいる、漠然とそう感じた。稲妻町の商店街の店はけっこう遅くまでやってるんだなあ。
 すれ違ってく人たちは俺を特別視したりしなくて、というか気にしてもいなくて、でもそれがいい。物珍しそうな目線を向けられるのは苦手だ。
 久しぶりにいい気分のまんま眠りにつけそう、そう思った矢先、目に飛び込んできたのはこれまた明るい明るい桃色の。

「げっ」

 思わず声がもれて、そのおかげで先輩も俺に気付いたらしい。あ、の形に口を開けて、それから妙に弾んだ声で 狩屋、と俺の名前を呼んだ。

「今帰りか?」

 すぐそこの店の買い物袋をひっさげて、霧野先輩が問う。今日の試合でのことがあった以上、さすがにもうあからさまに避けるわけにはいかなくて、仕方なく歩み寄った。

「はい」

 先輩は俺と和解したつもりでいるらしく、今までみたいな警戒心はどこへやら、ゆるく笑って そうか、もう暗いから気をつけろよ、なんて言ってくる。俺的にはあんたのほうが見た目からして危ないんじゃないのと思ったけれど、せっかくお互い機嫌が良いらしいから空気を読んでめったなことは言わないでおく。

「先輩はおつかいか何かですか?」
「うん? ああ、母親に頼まれてちょっとな」

 そう言って先輩は手に持ったビニール袋をガサガサと揺らした。
 ……ほんとに、この人は。
 たったあれだけのことで、散々嫌がらせをした俺に気を許しているようで、驚きを通り越してもはや呆れてしまう。お人好しというか、単純というか。もう俺が何もしないとでも思ってるんだろうか? だとしたら残念でした、先輩のことは今でもやっぱり気に入らない。そのふざけた外見も、ちょっと実力があるからって先輩風ふかしてくるとこも、そうやって丸めこまれて他のやつらを呼ぶときみたいに俺の名前を呼ぶとこも。全部ぜんぶ気に入らないし、俺の気持ちなんて知らずにへらへら笑ってるのを見るとちょっとむかつくくらい。あんたは何もかも解決した気でいるのかもしんないけど、俺のなかでのあんたの立ち位置はこれまでとなんら変わりないんですよ、って。先輩が思っているより幾分大人な俺はもちろん、そんなこと思ってても言ったりしない。

「狩屋、家どっち?」
「えー、と。ここからだと西のほうですかね」
「ふぅん。送ろうか?」

 ああ、ほんと、ばか。先輩詐欺とかに引っかかりそうだから気をつけてくださいね。悪徳商法とか最近多いんですから。胸の内でそうやっていろいろ並べながら、ぺらっぺらの笑顔をはりつけて 大丈夫ですよー、なんて返した。本気で言ってんのかこの人は? もしかして今までの仕返しに俺のことからかったりなんかしちゃってる? はは、いや、ないわ。そんなことできそうにない。ばか正直で、素直で、単純で、すぐに人を信用するんだろ。それは言い様によれば長所かもしれない。俺に言わせればかわいそうなだけだ。いつかそうやって信じて裏切られて傷ついたらいいのに。俺のせいでチームから浮いちゃって、誰にも相談できずに悩んでたときの顔はなかなかよかったと思う。きっとあのときは俺のことで頭がいっぱいだっただろう、それにはちょっと満足、……って、あれ、そういう意味じゃなくて。生意気な先輩を困らせてやるのが楽しかっただけで。

「狩屋?」
「へっ? ……あ、はい。なんですか」
「大丈夫か? もしかして今日の試合でちょっと疲れた?」
「いや、べつに……ていうかあの、そろそろ俺」
「え、あぁごめん、つい。帰るとこだったんだよな。引きとめて悪かった」
「はあ、……謝られるようなことでもないですけど」

 俺のほうがずっとずっとひどいことしてきたわけだし。そう考えたらなんだか先輩がちょっと不憫になってきて、こんな俺に話しかけて何もなかったように笑ってるのが気の毒に思えて、むしろあわれで、あー俺いやなやつだなー、ほんとひねくれてんなと心の中で自嘲した。
 べつに霧野先輩のこと、嫌いってわけじゃない。すきでもないけど。女子みたいな顔だからって女々しいわけでもないし、DFの要とか言われるくらいサッカーうまいんだし、狩屋、ってトゲのない声で呼ばれるのもそんなに居心地悪いもんでもない。そもそも俺はなんでこの人にちょっかいかけてたんだっけ? ラフプレー注意されたから? たったそれだけ?

「……霧野先輩」
「ん。なに、狩屋」
「あの、……その、……ごめんなさい」
「…………、え、なにが?」

 いらっとした。
 なにこいつ、ほんとにばか、やっぱり泣かしてやりたい。

「なにが、じゃなくて。俺、先輩にいろいろ嫌がらせしたじゃないですか。そういう……そういうのの、謝罪っていうか」
「あー、あぁー、なにお前、一応悪いとは思ってたんだ?」
「な……っ、当たり前でしょ、先輩俺のことなんだと思ってんですか!」
「ん、くそ生意気なかわいい後輩」
「かわっ、はっ、うえぇ、かわ……っ」

 かわいい? だれが? ……俺が? なに言っちゃってんだこの人。あんだけされたのにまだかわいいと思えるとか、まさか真性のマゾだったの? うっわーなにそれ先輩超引きます。

「なにうろたえてんだお前は」
「うろたえてなんか……っていうか先輩ばかでしょ、ほんといみわかんない」
「え、だってもうお前の性格だいたいわかったから。仲良くしようぜー、狩屋」

 な、と言いながら先輩が男らしい、そのプリティフェイスに反してなんとも男らしい笑みを浮かべながら俺の手をとってそのままぎゅうと握ってくるので、もう一体なにがなんだか。

「い、いやですよなにしてんですかちょっと、やめ、はなしっ、おいやめろよやめてください!」

 相変わらず へへっと笑っている先輩とぎゃあぎゃあ叫ぶ俺とを、商店街を行く人たちがほほえましげな目で見ていく。恥ずかしいったらありゃしない、まったくなんなんだこの人、思考回路がちょっとおかしいんじゃないだろうか! 病院行ったほうがいいんじゃないだろうか!

「よしっ、じゃあまた明日。朝練遅刻するなよ?」

 なんとか逃れようとぶんぶん振っていた手は先輩の意向ひとつでいともたやすくはなれていって、それから俺の頭をわしゃわしゃと撫でたあとでふわりと浮いて、すぐにひらひら、別れを告げて去っていく。ひとり残された俺は無駄に上がった体温の下げ方もわからないまま、学ランの似合わないツインテールの後ろ姿をただ苦々しく見つめるしかできなくて。
 完全に立場が逆転してしまったことを、まだ認めたくなんてなかった。



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