隣に居る筈の彼女はいつの間にか居なくなっていた。抱えるものが無くなって伸ばされたままの自分の腕と、ぽっかりと空いている空間がぼんやりとしていた視界と思考を埋めていく。彼女の跡を辿るように指先をシーツに走らせると、酷くひんやりとしていて、長いこと自分が一人眠っていた事を知った。無理もない、今回の任務はやたらAKUMAの数が多くて、自分が思っていた以上疲れていたんだろう。
自分の部屋ではないけれど、もう見慣れた天井を見上げる。この部屋でこの天井を見る時は、いつも自分と彼女の温度が混ざりあったシーツの中だ。彼女の部屋だから当たり前なのだけれど、だからこそ在る筈のぬくもりが存在が無いことに不安になったオレは天井から目を逸らした。

(何処行ったんさ)

視界を変えるとデスクの上の書類が目に入った。あぁそうだ、任務から帰ったオレは、書類とにらめっこをしていた彼女を有無を言わさず抱いたんだった。仕事中の彼女にとっては突然だったし、迷惑だったと思う。でも彼女はそんな時でもオレに身体を開いてくれるもんだから、オレを咎めるもの等なくて、想いのまま彼女を抱いた。オレも彼女に抱かれた。それもいつもの事だ。いつだって彼女はオレを拒まない、求めれば応えてくれる、何よりも彼女がオレを好きでいてくれる証拠、だと思う。
それにしても今日はめちゃくちゃに抱いてしまったのかもしれない、ふと見た床に脱ぎ散らかしたままの自分の服を見て恥ずかしくなった。覚えたての子供みたいだ、欲しくて欲しくて、ベッドまで待てなかったなんて。女に飢えていた訳じゃない、事実、今回の任務中もその機会はあった。
相手が彼女じゃなかっただけの事


ゆっくりと身体を起こすと、暗闇の中四角く切り取られた窓から細い銀の月が見えた。



『いつまでもそんなことしてたら、彼女に愛想つかされますよ』


この月と同じ髪色のアレンの言葉が頭に蘇る。任務先での何度目かの火遊び。一緒の任務だったアレンに、そんな類いの事を言われたのも何度目だろう。いや、一応覚えてはいるけれど、オレにとっては取るに足らない事だから記憶に残す事でもない。勿論彼女の事は愛している、けどオレだって健全な18歳の男の子なんさ
そう言うとアレンはうんざりした様に溜め息をついて、侮蔑した目でオレを見た。回を重ねる度に向けられるあの目が冷たさを増している様に感じるのは、アレンがそう意図してやっているのか、オレの中の彼女への後ろめたさなのか解らないけれど。




いや、本当は解っている。両方、だと。

18歳、色んな事に興味が有りすぎるお年頃、そんな自分本位の言い訳を掲げて欲を吐き出す為だけに繰り返した行為。でも逆に満たされない欲望だけはどんどん膨らんでいった。オレが欲しいのはこの肌じゃない、聞きたいのはこの声じゃない、好きでもない女に腰振ったってよくもなんともない、
その行為の根底に在る筈の感情を無視して、簡単に手に入れた快楽が残すのは、虚しさと惨めさだけだった。そして久しぶりに触れた彼女に沸いた感情は後ろめたい、そんな軽いものじゃなかった。馬鹿な自分への苛立ち、彼女への罪悪感、そして愛おしさ。そんなものがごちゃごちゃに入り混じって、めちゃくちゃに彼女を抱いた。彼女が欲しくて欲しくてたまらなかったのは事実だったから。



兎に角彼女が戻って来たら、今度は優しく抱き締めよう。そんな事を思いながら散らばった服を身につけていると、カチャリと遠慮がちにドアが開いた。




「お疲れ」

覗き込む様に慎重に入って来た彼女に、嬉しくて緩む顔のままそう声を掛けると、吃驚した様に彼女は身体を強ばらせた。

「…起きてたんだ」
「ついさっき起きたんさ、急な仕事だった?」
「…あ うん」

彼女は言いながらドアを閉めた。抑揚のない冷めた様な彼女の声にオレは従順に反応した。

「…ごめんな、オレ。その…長いこと逢えんかったから、さ」
「…そうだね」

言い訳染みたオレの言葉に、彼女は微かに顔を翳らせてオレから目を逸らした。そのまま俯いてドアの前に立ったまま動かない。明らかに彼女の様子がおかしい。酷く疲れているんだろうか、仕事を邪魔したオレを怒っているのか、それとも―、

ごめんな、もう一度そう言うと彼女は顔を伏せたまま力無く笑った。冴えた蒼白い月の光に照らされた見慣れない顔の彼女が、意図的に敷かれた距離が、オレ達の間に今までになかった重い空気を造っていく。
オレはそれを消す様に彼女に歩み寄った。
同時に彼女が肩を縮める様にしてドアに背を着けた。彼女が、オレを、拒んでいる、その事実にジワリとオレの中に嫌な感覚が広がる。どうした?訊く前に直ぐに浮かんだ理由。簡単すぎるその答えを否定して欲しくて彼女の名前を呼ぶと、彼女は俯いたままオレに訊いた。

「どうして謝るの…?」
「…や、仕事邪魔しちゃったし…」
「いつも、そうじゃない」
「そう、だけどさ、悪かったなって思って」


「…何が?」

訊かれて考える前に浮かんだ事に、オレは、ごめんと言いかけて口を噤んだ。何を言えば、どう応えればいいのか解らない。混乱する思考、確かなのは彼女がオレを拒んでいるという事で、その理由も今の自分には充分過ぎる程解った。
痛い位の沈黙の中、ゆっくりと顔を上げた彼女が、怯えた様に固まったオレを見据えて口を開く、弾かれるようにオレは彼女を抱き締めた。発せられる言葉を遮る為に。
聞きたくない、言わせてはいけない、本能的にそう思った。
やめて、くぐもった声がして、腕に力がこもる。


「やめて」

尚も止まない声を消す様に唇を塞いだ。そのままベッドに彼女を組敷いて抵抗する隙を与えないまま耳朶を首筋を食んでいく。シーツに押さえ付ける様にしていた彼女の身体から力がすっと抜けたのが解った。彼女はいつだってオレを拒まない、それは彼女がオレを好きでいてくれる証拠、なんだ
好きでなくても身体を重ねる事は出来る、だけどそこには何もない事を知った。だから今、オレは彼女を抱かなくてはならない。彼女となら育むものも創れるものも沢山在る筈だ、好きだから愛してるから









「 惨めだよ、私 」

無抵抗な身体から出た声は、空気に溶けそうな弱い弱い声だった。だけどこの異質な空気を無視して彼女に縋るオレを、撥ね退けるには充分過ぎる声だった。惨めだ、そう彼女は言った。オレに抱かれる事が惨めだと、

愕然として虚脱したオレの身体を押して彼女は起き上がった。そしてぽつりぽつり、呟く。

「知ってたの、ラビがしてたこと」
「だけどラビは、いつも、私の処に戻って来てくれるから、それなら、いいやって思ってた」
―でも、もう、無理 


そう言って彼女はベッドからゆっくりと立ち上がった。離れていく身体、彼女自身、オレは堪らなくなって彼女を呼んだ。

「ごめん、もうしねェから、絶対しないから解ったんさオレ「ラビ、」」

「辛いの、」
「ラビと居ても、辛いだけなの」

オレの言葉を遮って、彼女が部屋を出て行く。スローモーションの様に流れる光景の中で、オレの思考は凄い速度で様々な言葉が浮かぶ。待てよ、行かないで、好きなんさ、だから、
こんな時饒舌な筈の舌は麻痺した様に動かない。彼女にとってオレ自身の存在が痛みそのもの、傷つけたのはオレだ。そのオレがこれ以上何を言っても、彼女は傷つくだけ。
遠くなる小さな背中、その身体にオレはどれだけの傷みを与えてしまったんだろう。無意識に伸ばした手は、空を切った。



カチャリ
静かな、けれど絶望的な強い音がして、オレは目を伏せた。彼女が行ってしまう。けど彼女をそうさせたのは自分だ。アレンの言葉が反芻して、あぁホントだな、莫迦なオレ、なんの価値もない行為を積み重ねて、自分が一番大切だったものを傷つけて壊してしてしまった。自分の幼稚さと愚かさに自嘲した笑みさえ浮かんでくる。




「ラビ、」

遅すぎる後悔に沈むオレの耳に、幻の様に優しい音が響いた。それは確かに手が届きそうな距離にいる彼女の声で、

「誕生日、だね」
「…そ さね」

あぁそうだった。時間ははっきり解らないが、時計が0時を回っていたら、今日はオレの誕生日だ。予想外の彼女の言葉に回らない頭のまま応えると、彼女は少しだけ振り返って悲しげに微笑んだ。

「おめでとう、

18歳のラビ大好きだったよ」

ばいばい、涙に混じった声で彼女がそれを口にする前に、オレは再び彼女を自分の腕に引き込んだ。身動ぎした彼女にオレは思いつくまま言葉を紡む。後悔も謝罪もそして彼女への想いも。今のオレの言葉と行為が彼女を傷つけたとしても、好きだから愛してるから、赦して貰えなくても、それだけは伝えなくてはいけないそう思った。
冴えた月明かりの中、いつの間にかその空気は解かれた様に冷たさを無くしていた。腕の中の彼女が緩くオレの団服を握った。その弱さと強さを包みながら、オレは彼女をまた、想う。


18歳のオレが傷つけた彼女はひとつ大人になったオレが、その傷を埋めるから、だから、また抱き合おう、二人なら育むものも創れるものも沢山在る筈だろう





fin.

070807



810happy happy birthday.










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