「あーあ、」

溜息と同時に落ちた声に視線を移せば、名前はカランと音をたててフォークを皿に置いた。皿の上にはまだ半分以上デミグラスソースがかかったハンバーグが残っている。


「食べないんさ?」

ふて腐れた子供のようにテーブルに肘をついた名前にそう問えば、食欲なくなった、と素っ気なく返された。
そんな名前の態度に、オレはパスタをくるくると巻く手を休めて視線だけで周囲を見渡した。すると成る程、彼女から食欲を奪った原因が並んで席についたところだった。




「帰ってきたんさね、彼女」


任務に出ている事の多い彼女を久しぶりに目にしたオレは、そんな事を我知らず口にしていた。ホント無意識に。それを咎めるように名前に睨まれて、オレは自分の失態に気付いた。名前の前で彼女の事は禁句なのだ。何せ名前は彼女の隣に座る男の事が好きで、だから当然彼女の事を良く思っていない。益々不機嫌さを増してそっぽを向いてしまった名前にオレは弁解するタイミングをなくした。なので、この状態から逃げるように再び食事を再開した。







「帰ってこなきゃいいのに」


オレの皿の上がきれいに片付きそうになった頃、ぼそりと悪態をついた名前にオレの手が止まった。ちら、と名前を見遣れば黒い瞳が一点に固定されている。見なきゃいいのに、当たり前に自分の好きな男の隣にいる彼女を見詰めるその目は、言葉通り冷たい光を帯びていた。だけど思ってても口にしちゃいけない事はこの世の中には沢山ある。まさに名前が零したのはそれで。エクソシストの彼女はもしかしたら一生帰ってこれなくなる事だって今後あるかもしれない。名前がそこまで深い意味で言ったとは思わないけど、言うべき言葉でもない。オレは内心溜息を吐きながらフォークを置いて名前を見返した。オレの視線に気付いた彼女はテーブルについていた肘を降ろして、憮然としたまま口を開いた。


「ごめんね、あたし性格悪いからさ」

「聞かなかった事にするさ」

「別にそんなフリしなくていいよ。だって本当にそう思うんだもん」


悪びれもなく言い放った名前に、オレは返す言葉もなかった。こんな風に開き直られては黙って受け止めてやるしかない。それに名前がそんな事を思って口にしてしまう理由をオレは十分過ぎる程知っている、それぐらい名前は彼の事が好きなのだ。オレは名前の良い相談相手、いや愚痴の吐き出し場所。想いに想って、だけどそれが報われる事はなくて、積もり積もった色んな思いをこうして誰かに吐き出さずにいられない。それに同意も否定もしない傍観者見習いのオレは、いつからか名前のその場所になっていた。

名前はよく泣いてよく笑うとても素直な女だ。少なくともオレの知る名前はそうだ。名前はオレに思っていること、感じたこと、それを全てありのまま言う。それは、相手が年も近くて何の遠慮も体裁も要らないオレだからこそ名前は言えるんだと思っている。だからオレは、それが時にとても嬉しく誇らしくもあって、だけど苦しくもあった。自分の気持ちを真っ直ぐに、無遠慮に晒して見せる名前に、左の胸の辺りが痛むのを自覚し出したのはもう随分前からかもしれない。





「あのひとの事みるとさ、」

「時間が巻き戻せたらって、思うの」


名前は視線をまた彼方に固定して呟くように言った。あのひととは名前の視線の先にいるあの彼女の事なんだろう。空になった皿の上にフォークを置いて、なんでさ、と訊いてやると名前は水の入ったグラスに口を付けて、それから話し始めた。


「あの人が班長と出逢う前に私と班長が出逢ってれば、班長は私の事好きになってくれてたかもしれないじゃない?私が班長に逢った時にはもうあの2人は付き合ってたんだもん、」
「ふーん」
「ふーん、ってラビは?自分の方が早く出逢えてたらって思った事ない?」

そう問い返されて、オレは一瞬言葉に詰まった。思った事がない訳じゃない。名前が彼に出逢う前に、好きになる前に、オレが出逢えていれば、と思った事がない訳じゃない。だけど、オレはそんな事を思うのは止めた。時間は巻き戻せないし、オレは今の名前が好きだから。だから過去の名前を否定できない。今の名前は過去の名前があってこその名前だ。彼の事が大好きで、オレの前でよく泣いてよく笑う、報われなくても一途に想い続ける、そんな名前を、オレは好きになったんだ。



「思わないさ」
「どうして?」

問われた事にひりひりするような感覚を胸の辺りに感じながら、オレは口を開いた。


「どうしてってそんな事思ったって仕方ないっしょ、」


素っ気なく言ってグラスの水を一口飲む。冷たい水がひりつく胸を治めていくような気がして、オレは続けてもう一口飲んだ。そんなオレの前で、納得出来ない様子の名前が不満気に口を開いた。


「そう、だけど…。…だけど思っちゃうんだもん。班長はあのひとがいる限り私のことなんてぜーんぜん見てくれないし、相手にもしてくんないだよ?」
「そーなん?」
「そ、どんなに好きって言っても靡くフリもしてくれないし、」


ホントさ、と自分の中で自分の事を思って苦笑いが浮かびそうになった。それは心の底に置いて、吐き出し場所のオレは始まった名前の繰り言に耳を傾けようとした。けれどそれ以上名前の口からは何も零れてこなかった。
見れば中途半端な形のまま動かない口唇で名前は目を見開いて固まっていた。その視線の先に何があったのかはオレからは見えないけれど、名前の動きも思考も奪える威力を持っていたんだろう。だけどそれも一瞬で、名前の顔にはその目から波紋のように痛みが浮かんだ。まるで怪我をしてしまった時のように、目を細めて微かに震え出した口唇をきゅっと引き結んだ名前に、思わずオレも同じように口唇を噛んだ。名前のきれいな黒い瞳に映ったものがなんなのかオレには見えなかったけど、考えなくてもそれは解った。痛いくらい解って、そして悔しかった。




「おーい、」


見ていられなくて、ワザと呑気に声をかけてやると自分の状況に気付いた名前は、バツが悪いのかごまかすようにはしゃいで「班長に見惚れちゃった。」言った。



「今、子供みたいに笑ったの。すごーく可愛くて、初めて見たかも」


「…あのひとの前だとあんな顔するんだ。……あんな顔見せられると、結構傷付く、よねぇ、」


言った名前の声は二言目には震えた笑い声で、浮かべた笑顔までも見事に失敗作で、それを自覚したんだろう名前はぺたりとテーブルに身を伏せてしまった。それきり何も言わなくなった名前にオレはやっぱりどうしようもなかった。なので、なあ、と思ってみる。なあ、オレも泣きそうなんですけど。顔は腕に隠されて見えないけれど、あの失敗した笑顔の末路はくしゃくしゃに歪んだ泣き顔だ。いい加減その顔は見飽きてる。よく泣いてよく笑う名前はトータル的には泣き顔の方が多いのをオレは知っている。
そんな、辛い思いをするのなら、いっそやめてしまえばいい。そうさ。恋なんかしなくてもオレたちは生きていけるのに、ただ好きなだけ、ただそれだけなのに名前もオレもどうしてこんなに苦しい。努力すれば叶う、思い続ければ報われる。それが成り立たない恋とかいうヤツは本当に不毛で無情なものなんさ。



「名前、」

テーブルに突っ伏したままの名前を見下ろして、解っているのに、泣いてんの?訊いてみる。返事のない縮こまった身体にオレは手を伸ばしかけて止めた。その手と、手の先の小さな名前の身体に、苛立ちとか愛おしさとか自分への不甲斐無さとか、とにかく色んな感情が湧き出てくる。良き相談相手、愚痴の吐き出し場所の筈だったオレは、自分の積もり積もった想いをその感情に押されるようにして名前に吐き出した。




「じゃあ、もうやめたらいいさ」

「イヤ」


顔を伏せたままの名前から、くぐもっただけどはっきりとした否定に、オレは呼吸さえも奪われる。頑なで一途な想いは、思いやりのカケラもない。前ばかり見てあの男を追いかけてる名前には、傍で一緒にいるヤツの事なんて見えないのだ。
大きすぎる胸の痛みを盛大な溜息で吐き出して、オレは口を開いた。


「なら、頑張るしかないさ、」
「簡単に言わないでよ」

そんな声が返ってきたと思ったと同時に名前は勢い良く身を起こした。黒いきらきらした瞳には怒りが滲んで、その縁は赤くなっている。


「自分の事想ってくれない人を想い続けるのって、凄く辛いんだよ、しんどいの、でも」

「好きなんだもん、」

そんな事をオレに言ってしまえる名前は本当にオレに対して無遠慮で、こっちの気持ちには気付きもしない酷い女だ。



「じゃ、仕方ないさ、頑張れ」


だからオレは無責任にそんな事を言ってやる。そうだ、仕方ないんさ。だって好きになってしまったのは自分だから。打算で人を好きになれたならラクなのかもしれない。はじめから、自分だけを好きになってくれる相手を選べば良かったんだ。だけど名前はそんな女じゃなかった。オレもそんな男じゃなかった。なら仕方ない、そう思うしかないじゃないか。

笑ってみせたオレを、名前はきらきらと強く光る瞳で睨んだ。報われなくても一途に想い続ける、その強さをそのまま現した名前の瞳はオレには眩しくて、ああ、やっぱり好きだ、どうしようもなくそう思った。






end.
081212

title by tricky









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