おずおずと言った感じに開かれた瞳は、ほんのりと赤くなっていて、彼女が泣いたのだと容易に知った。彼女だけではない、自分も含めトレミーのクルー全員が、彼の死に涙した。ロックオン・ストラトス。彼女はロックオンを兄のように慕っていた。僕が彼女の部屋を訪れた頃には、もう泣いてはいなかったが、それは悲しみが去ったからではなく、無理矢理に顔を上げている、上げなければならない状況にあると彼女自身身を以て感じているからなのだろう。そっとその目元に触れてやると、痛がるように目を細めた彼女に、泣いていいのだと甘やかしてやりたくなった。耐えなくて良いのだと、髪を梳いてあやす様に抱いてやりたかった。けれど、僕は、僕たちは戦う事を決めた。あと数時間すればミッションが始まる。そんな状況で、そんな事は赦されない気がした。誰が咎めると云うのだ。彼女か、自分か、

解らないままの僕は、それでも何かせずにはいられなかった。思い付いたのは、以前彼女にして貰った事のある膝枕。彼女の膝を借りたその時、今度はティエリアがしてね、と寝入る前の耳に柔らかに響いたその言葉を実行した。
僕に見下ろされている彼女は、慣れない為なのか恥かしい為なのか、どちらにしても居心地が悪そうで、こんな事しか出来ない自分に自嘲の濃い笑みが漏れる。少なくとも自分はそんな風には思わなかった、彼女から伝わる温度や柔らかさ、そして時折戯れる様に自分の頭を滑って行く指の感覚にゆっくりと身を委ねられたのだが。そんな逡巡をしていると、彼女の手が頬に触れた。刹那に詰め寄った時に、スメラギ・李・ノリエガに打たれた方の頬だった。赤くなっていたのかもしれない。どうしたの、とでも言いたげな彼女に僕は口を開いた。



「なんでもない。それよりも、余り居心地が好さそうではないな」

「ティエリアの膝枕、硬い」

「そうか」

「うん。膝枕って男の人の特権なんだよ、きっと」


交替しよ、言って彼女は起き上がって、僕と同じようにベットに腰掛けた。ぽんぽんと自分の脚を叩く彼女に僕は自分自身に溜息を吐いて、同意した。




「君がそうしたいなら、それでも構わない」



本当は、構わなくはないのだが、彼女がそれを望まないのなら仕方がない。ふつりと湧いた不満と諦めを甘受して、僕は彼女の大腿に頭を預けた。









「…、」



ふ、と意図せず吐息が漏れた。やはり、彼女の言っていた事は正しいのかもしれない。彼女の身体は柔らかく、心地良い。当然の様に目を閉じると、彼女が小さく微笑った気がした。



「ね、眼鏡取ってもいい?」

「ああ」


「髪、触ってもいい?」

「いつも勝手に触っているだろう」


「ふふ、だってティエリアの髪綺麗なんだもん。編んであげよっか、きっと似合うよ」

「遠慮する」


「えー。じゃ、くしゃくしゃにしてやる!」



子供みたいにはしゃぎ声を上げた彼女は、宣言通り僕の髪を掻き混ぜた。乱暴な指先に、思わず目を閉じたまま顔を顰めた。嵐の様な彼女の攻撃は思いの外直ぐに終わって、僕はうっすらと目を開けた。見上げると、窺うように僕を見下ろす彼女と目が合う。黒く大きな瞳の淵はまだ赤いままで、痛々しい。けれど彼女は自分の瞳がそんな事になっていると思いも寄らないのか、不似合いに口角を上げて笑った。



「うわ、凄い事になったよティエリア」

「…誰がしたんだ」

「でも、美人は変わらないねえ。どんなのでも様になっちゃう」


今度巻いてみたいなあ、
言いながら今度は僕の髪を指先にくるくると纏わせ始めた。視線は僕から髪に逸らされ、口元は笑顔を模ったままの彼女は、まるで笑う事しか赦されないいたいけな子供の様だ。何かしてやりたいと、甘えさせてやりたいと、そう思っていたのに、僕は何処で間違えたのだろう。僕は彼女の虚勢を張った姿など見たくはない。どうでもいい事では泣きついてくる癖に、肝心な時ほど甘えてこない彼女はとても不器用で、だからこそ愛おしく思えた。だが、今はそんな彼女にどうしてやれば良いのかが解らない。

導き出せない答えに、耳元で忙しなく動く指先を掴むと、彼女が僕に視線を向けた。動きを止めた彼女と目が合う。赤いままの瞳、やはりそれは痛々しく思えて、僕は彼女の名前を呼んだ。硬さの欠片もないその声が浮かんだ瞬間、彼女の顔が歪んだ。





「なんで、怒らないの…?」


低く震えた声が、力のない声が、低重力の部屋に落ちる。彼女は僕に掴まれたままの指先を振り払って、叫ぶ様に声を上げた。




「いつもみたいに、怒ってよ!偉そうに、してよ!」



「やさしく、しないでよ…!」


顔を歪めた彼女の黒い瞳から、透明な粒が生まれた。絞り出すように苦しげに紡がれる声とは反対に、その粒は涙となって簡単に溢れていく。嗚呼、泣かせてしまった。大切にしてやりたいのに、結局僕は、彼女を泣かせてしまうのだ。




「―すまない、」


無力な僕の声は情けなく掠れていて、笑えた。
どうしても、どうしても、優しくしてやりたかった。それが君を泣かせてしまうと解っていても、そう在りたかった。それは戦う事を決めた僕のエゴだ。聡い彼女には、そんな利己的な僕の覚悟も解ってしまったんだろう。だから彼女は、今泣いている。顔を覆って、小さな身体を震わせて。
こんな時、貴方だったらどんな風に彼女を泣きやませるのだろう。
漆黒に消えた優しい彼を想って目を伏せると、不意に声が脳内に甦った。四の五の言わずに自分の思った事をすればいい。自分の所為で彼に傷を負わせてしまった時に、道を見失った時に掛けられた言葉。それが、正しいのかは解らない、けれど今の自分には、これからの自分には、彼の言葉が光のように思えた。





自分の思った事を、
僕はその言葉を自分に刻んで、真っ直ぐに彼女に手を伸ばした。濡れた指先を引き剥がして、頬に、赤みを増した眦に、触れた。熱を孕んだそこは傷口の様に思えて、痛みを治める様に出来る限りそっと撫でる。







「やさしく、しないで、」



やはり痛そうに目を細め、また新しい涙を散らした彼女の声に、胸が苦しさを増していく。それでも、僕は彼女に触れていたかった。優しくするなと、拒んだ彼女に、拙く触れる自分の手と睫毛を濡らした彼女を見詰めた。






「出来る筈が、ない」




言って彼女の髪を引いた。そう、誰も咎めはしない。赦しなど、乞う必要などないのだ。抗う事なく降りてきた涙顔は、彼女の精一杯の甘えで、だから僕は僕の全てで受け取めたいと思った。気の利いた言葉を紡ぐ事も、彼女の涙を止める術も解らないままだけれど、それだけは間違いではない気がして、僕は彼女に口付けた。




合わせた口唇は涙の味がした









091103
end
title by 不在証明







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