0815





じりじりと地上を焼いていた太陽が漸く傾きかけた頃、俺は鍛錬の為に外へ出た。日中はとても暑過ぎて外に出られたもんじゃない。夜の湿気を纏ったぬるい風が俺の身体を通り過ぎていく。昼間は憎たらしい位の青空の下、眩しい太陽にも怯まずに咲いていたひまわりの花も、オレンジに染まり影を帯びて頭(こうべ)を垂れて居る様に見えた。





神田は恋したりしないのかな




そのひまわりを見て、不意に思い出した。彼女に言われた言葉。任務で、確か南フランスの、ひまわりが一面に咲く丘を歩いていた時だった。
「恋をすると、世界が変わるよ」と散々自分の男の惚気話をした後に、まだあどけなさの残る瞳を細めて彼女はそんな事を呟いた。俺はくだらねぇ、と思い、そしてそれを口にした。その時は本当にそんな風に思っていたし、そして彼女も俺がそう言うと思っていたんだろう。肩を震わせて笑っていた。笑って、でも、と彼女は続けた。

しない事はかなしい事じゃないけど、きっと退屈だよ

顎のラインで切り揃えられていた黒髪を揺らして俺を覗き込む瞳は、今まで見慣れていたそれとは違っていた。思わず目を奪われたそれに、俺は言葉を失った。その髪も顔も、白い肌も、細い首も、見慣れた筈の彼女はもう居なくて、そして彼女が変わったのは何故か等考えなくても解った。だから俺は、彼女に言った。俺はそんなに暇じゃねぇ、と、彼女を、とっくに芽吹いていた自分の想いを、切り捨てた。











「神田?」


後ろから声が掛って振り向けば、今の今まで俺の頭の中にいた彼女が其処にいた。彼女はあの頃よりも随分伸びた髪を揺らして、俺の下へ駆けてきた。



「鍛錬?」
「ああ」
「やっぱり、私はね散歩」

ひまわりきれいだから見に行きたいなあって思ってたんだけど、昼間は外出られないでしょ。そう言って彼女はひまわりに目を移した。


「ね、神田」
「あ?」
「昔、任務帰りにも見たよね、ひまわり」
「…、」


彼女と、同じ事を思い出していた事に、どう応えればいいのか。言葉を返せずにいる俺に彼女は「忘れちゃった?」と首を傾けた。


「えーっと、プロヴァンスだよ、南フランスの!」
「……ああ」


懐かしーね、
そう笑った彼女にオレは思った。まるでひまわりみたいだと。知らず目が細まる。夕闇に染まりだした空気の中でも、彼女の明るい笑顔は眩しくて。そう、オレの中の切り捨てた筈の想いは、朽ちることなく根を張っていた。だから眩しい、彼女が。己を蔓延るそれに、俺の世界は確かに変わったのだ。例えば彼女の声、そして視線、それが自分に向けられると、らしくなく落ち着かない、なのにもっと聞きたいと、触れたいと思った。だけど彼女の隣には別の男が居た。思うだけに留め、伝わらない、伝えようともしない想いは束ねられて、更に強さを増す。樹が年輪を刻み、高く強く伸びる様に。そして彼女の隣に誰が居ようと、彼女が笑っていれば良い様な気がしてきた。真夏に咲くひまわりみたいに真っ直ぐに上を向いて、笑っていてくれればいいと。そう思っていた。


濃くなっていく闇に映える白い手が、風に揺れるひまわりにそっと伸びる。花片に触れた彼女は、さっきとは違う顔でその花に目を伏せた。その横顔に口を開きかけて、だが何を、どんな言葉を紡げばいいのか解らなかった。解らないのに、立ち去る事も出来ない。俯く彼女が、このままそっと夜に消えてしまいそうで。

動けずにいた俺の視線に気付いたのだろう彼女は顔を上げ、俺に眉を下げて小さく微笑って見せた。そして「彼がね、好きだった花なの」そう呟いた。

名残惜しそうにひまわりから手を離した彼女は、それを振り切る様に空を仰いだ。空には小さな星が瞬き始めている。僅かな静寂の後、彼女はその頼りなく光る星を見上げて大きく息を吸った。






「私って薄情なんだ」


「…?」



突然の彼女の告白に眉を寄せる。そんな俺に彼女は困った様に笑って、それから、くしゃりと顔を歪めた。







「…どうして かなぁ、」


「あんなに 好きだったのに、もう声も思い出せない」





ぬるい風に乗った震えた声が、俺の耳を、胸を刺す。涙を耐える様に唇を引き結んだ彼女の後ろで、ひまわりが力無く揺れていた。太陽を、光を失ったひまわり、それは彼女も同じで。










「いいんじゃねぇのか、それで」

「…え?」

「いいんだよ」




どうして、そう苦しそうに言った彼女は本当に苦しいのだろう。それ程彼女を包んでいたものは暖かで、優しかった。だが失ったものは戻らない。どんなに望んでも。だからいいんだ、それで。

だからいいんだ、泣いても。
俯いた顔を上げる為に、今は泣けばいい。

そして、また笑ってみせてくれないか
眩しいくらいに、真夏のひまわりの様に


透明な膜が張った瞳で俺を見る彼女に手を伸ばす。今にも零れ落ちそうな涙を湛えた眦に指を掠める様にして、彼女に触れた。頭を一撫でして離れた俺の手に、彼女は目を見開いて、

それから泣いた。








stay gold
どうか君は笑っていて

fin.
100815







人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -