これは最強(恐)と謳われる風紀委員長と(身体的に)間抜けだけど普通の一般女生徒のお話。







それを人は恋と呼ぶ







耳に不快なけたたましい音が応接室に響き渡った。僕は目を通していたプリントから反射的に顔を上げる。その先にはドアに手を掛けたまま、けれど視線は今の音の原因となったそれに向け固まっている苗字がいた。思考も動きも、全て一時停止している苗字に、僕の口唇からは溜息が零れる。それを察知した苗字は今度はスローモーションの様に振り返った。元々小さな肩を更に小さく竦めて、その顔には恐怖を貼り付かせて。僕と目が合うと、彼女は倍速並の速さで頭を下げた。




「すみません!ごめんなさい!」


ぺこぺこと平謝りする苗字のつむじ。これはもう見飽きた。カップを割ったのはこれで3回目だし、その他にも苗字は色々とやってくれている。ファイルを書棚にしまうよう指示すれば運ぶ傍から床に散乱させるし、コピーをする様書類を渡せば職員室に辿り着く前に廊下にまいてみせる。苗字は僕が知る人間の中で最も愚鈍な人間だ。


通常、他の風紀委員のこんな失態を目にすれば、トンファーの餌食にする処だ。口で解らない愚かな連中には身に思い知らせるまで。僕はそうやって実に効率的に統制をはかってきた。それは今までもそうしてきたし、これからも変わる事はない。だけど、苗字にだけはトンファーを下ろした事がない。余りにも苗字が間抜けでのろまで非力だから、僕の衝動を萎えさるのかとも考えてみたけれど、それも違う。間抜けでのろまで非力なのは何も苗字だけではない、例えば沢田綱吉も同じだ。じゃあ、と考えてみる。答えはわりと簡単に出た。苗字は頭の回転は悪くない。書類整理はきっちりこなす、こなしているからだ。それは僕にとって苗字の数々の失態分を差し引いても有益だった。じゃなかったら、苗字は此処にいない。


こう見えて僕は忙しい。並盛の秩序である僕の仕事は多岐に渡る。だから以前から書類を作成管理が出来る人材が欲しいと思っていた。風紀委員でデスクワークで使える人間といったら、草壁哲也と3-Bの鈴木と3-Cの木村しかいない。けれど後半2人は先月病院送りになったから(したから)、人手が足りなくなってしまった。そんなある日、溜まる書類に机に向かいっぱなしになった僕は、凝り固まった身体を解しに、校内の見回りに出た。美味そうな群れを期待していたのだけど、その先にいたのが苗字だ。

苗字は放課後の屋上でパンを食べていた。両手で大事そうにメロンパンを持って、ぱくりとした調度その時、彼女は僕に気付いてそのまま固まった。大きな丸い彼女の瞳と視線がかち合った。どれ位の間そうしていたのか解らない、けれど視線が交わったその瞬間、僕の中に何かが湧き上がった。でもそれが何なのか解らない、懐かしいような初めてのようなその感覚、それを知る前に僕の脚は彼女に歩み寄っていた。不意に伸ばしそうになった手を不可思議に思いながら、何してるの?そう問えばもぐもぐと咀嚼した後小さな声で、パンを食べています、と言う答えが返ってきた。見れば解るよ、そう僕が示せば、部活が終わる友達を待っているのだと言う。彼女が余りに暇そうだったので、僕は仕事を与えてあげる事にした。臨時の風紀委員として、放課後一緒に帰る友達の部活が終わるまでの間書類整理を充てがってやる。そして現在に至る。







「弁償ね」

「はい…」


口で解らないなら身に思い知らせるまで、僕はトンファーではない別の方法で苗字にそれを実行していた。ここ数週間で身に余る程教え込まれていた苗字は素直に小さく返事をする。うん、従順でいいじゃない。明らかに肩を落としたけれど、言い訳という無駄吠えをせずそう返事をした苗字に僕は思った。苗字は間抜けでのろまで非力だけど、無駄に吠えないし、つまり馬鹿ではない。だから僕は苗字に問答無用と咬み殺すことをしないのかもしれない。僕が嫌いなのは無能なヤツと弱い癖に群れて強くなった気で無駄に吠えるヤツらなのだから。


苗字はしゃがみ込んで床に散らばった破片を拾い始めた。顔は見えないけれど、きっと涙目になっているに違いない。ううぅと嘆く声が聞こえた気がする。正に苗字は今、自分の失態を身を持って味わっているのだ。苗字の小遣いがどれ位か訊いた事はないけれど、割れてただのゴミになったあのカップだって僕が気に入って愛用する程の物だ、勿論値段だってそれなりだ。その前に割った湯呑み茶碗だって、紅茶のカップだってそうだったのだから、泣きたくなっても仕方がない。今月に入って直ぐ紅茶のカップが割れたから余程身に染みるだろう。かと言って、彼女の愚鈍さが改善される気配はないのだけれど。

あれは苗字の生き物としての性能が、そうなんだろう。そうとしか思えない。破片をトレイへと乗せる名前の指先が咄嗟に引かれたのを見て、僕はそう思いながら椅子から立ち上がった。






「だ、大丈夫です。ちょっと切っちゃって」



傍に寄った僕を見上げた苗字は眉を下げて恥ずかしそうな顔を浮かべた。湯呑みやカップを割ったのが3回目、いつかは怪我をするんじゃないと思っていた僕は、それを裏切らない苗字に嘆息した。何が大丈夫なのだろう、切った指先を固く包む様にした手に、それでも僕に平気だと言う情けない微笑みに、思う。不意に僕の中に何かが湧き上がってくる様な感覚がした。まただ。始めて苗字に会った時にも感じた、何か。苗字と居ると、時々こんな風に妙な感覚を覚えるのだけど、それが何なのか未だに解らない。それを振り切るように僕は踵を返した。





「行くよ」

「―え?」


指をハンカチで包み直していた苗字は、咄嗟に顔を上げた。何処に、と口にした苗字に応えず僕は応接室のドアに手を掛ける。ドアを開けて、未だしゃがみ込んだまま大きな瞳で僕を見上げる苗字を一瞥する。




「早くしなよ」
「…あ、大丈夫、ですよ?これくらい…」


漸く行き先を認識したらしい苗字は、それでもそんな事を言った。思わず眉を寄せた僕に、苗字は肩を竦ませた。大きくてまるい瞳が不安気に揺れて、その瞳に僕は益々妙な感覚に襲われる。それは今までにない衝動で、僕を動かした。手が彼女の腕を掴んで、その身体を引き上げた。



「―ひば…っ!」
「二度も同じ事言わせないで」


無理矢理苗字を立ち上がらせて僕はそのまま廊下へと出た。後ろでもたつく苗字に構わず腕を引いたまま保健室へと脚を動かす。すると僕の目に、見慣れた姿が見えた。




「委員長……と苗字?」


前からやって来たのは草壁だった。街中の見回りが終わったらしい。



「どうかしましたか?」


僕と苗字を交互に見て、草壁が訊ねてきた。



「あ、あの、私カップ割っちゃって…片付けてる時に、」

「…そう、か。―委員長、見回り問題なく終了しました」


僅か呆けた様にした草壁はけれど、直ぐに身を律して報告しながら廊下の端に寄った。それに「そう」と応じて、その草壁の前を僕は再び苗字の腕を引きながら歩き始める。薄暗くなりはじめた放課後の廊下を、ただ目的地へと真っ直ぐに進んだ。苗字はちょっと小走りになって、それでも大人しく僕に引っ張られたままだった。無駄な抵抗だと解っているらしい、ここでぎゃあぎゃあ騒がれでもしたら担ぎ上げる処だ。程なくして保健室へ着き、入る。あのふざけた保健医はいなくて、僕は漸くそこで苗字の腕を離した。










応接室に戻ると、草壁が隣の給湯室から出て来た処だった。片付けられていた破片に気付いた苗字が草壁に礼を言う。そのやり取りを聞くともなしに聞いて、僕は自分の所定の位置に腰を降ろした。





「"なみや"の栗どらやきです」


店先に調度出てましたので、と草壁が書類やファイルを避けた机の端に盆を置いた。緑茶と共に置かれたそれを一瞥する。調度小腹も空く時間だ。食べるか食べないかを聞かずに置かれたそれに、そして僕の嗜好を弁えているこういう所に、他の風紀委員よりは使える、と苗字へと同じく盆を置く草壁に思った。




「…私も、良いんですか?」

「ああ、遠慮しなくていい」

「ありがとうございます。ちょっとお腹空いてたので嬉しいです」


頂きます、と絆創膏が貼られた手を合わせて、苗字は何時かの様に大事そうに両手を栗どらやきに添えぱくりと口に入れた。口内に広がる甘さを表わす様に、顔じゅういっぱいに笑顔が広がる。そんな苗字に僕は思わず目を瞠った。何の事はない、苗字は栗どらやきを頬張っているだけなのに、僕は目を離せない。




「凄く美味しい!、草壁さん美味しいです」

「良かったな」


和やかな空気を醸し出す苗字と草壁。僕はそれをただ見ていた。美味しい美味しいと幸福そうにどらやきを食べる苗字に、僕はまた身体の内から何かが湧き上がってくるのを感じた。何なんだろう、解らないけど、苗字から目が離せない。




「―雲雀さん?」


不意に向けられた瞳と声にらしくなく驚く。黒くて丸い瞳が、置かれた盆に手を伸ばさずにいた僕を見ている。きょとんとした苗字は食べ掛けのどらやきを僕に見せながら「美味しいですよ」とまた笑った。その無邪気とも言える表情に、不可解なものが更に身体中が侵食されていく。不慣れなその感覚に、僕は相変わらず他愛のない会話を続ける苗字と草壁を見遣った。何なんだろう、これは。この湧き上がる感覚は。名前を知らないそれ、けれど確かなのは苗字の一挙一動に纏わるものだと言う事だ。初めてこの感覚を覚えたのも苗字に初めて会った時だったのだから。



結局僕はその後、どらやきに手を伸ばす事もなく苗字が帰るまでそんな事を考えるのに時間を費やした。








「代えをお持ちします」


苗字が帰った後、手付かずのお茶を代えに草壁が盆を持った時、僕は閃いた。今まで考えていた事、―あの訳の解らない感覚、の答えを見つけられるような、その解決の糸口を。




「草壁哲也、」

「は、はいっ!」

「明日も何か用意して」



…は?とでも言いたげな草壁の間抜けな面に視線を向けると、草壁はぎくりと身体を強張らせた。彼の手には冷めたお茶と栗どらやきがそのまま残っている。それなのに僕が「明日も」と言ったから、その意図をはかりかねているんだろう。





「苗字にだよ」


普段ならその回らない頭に一撃食らわせる処だけど今の僕は機嫌が良い。やっと答えが見つかりそうなんだ。僕の上がった口角に、草壁はたじろぎなからも返事をした。












「"パティスリー・ナミ"の巨峰のタルトです」


今日は紅茶と一緒に小さなフルーツタルトが昨日と同じ様に机の端に置かれた。"パティスリー・ナミ"、外観は白とピンクで装飾された、如何にも女子が好みそうな(絶対に僕が足を踏み入れそうもない)店だ。この男がそんな店でタルトを買う様はさぞかし滑稽だったに違いない。そんな事はどうでも良いけど。苗字の前にもタルトが置かれる。良いんですか、とこれもまた昨日と同じ反応をした苗字に、草壁も同様に返した。目を輝かせ、頂きます、と小さなタルトを持った苗字は、かぷりと一口食べる。僕はその苗字をじっと観察した。




「美味しい…!」

「良かったな」

「はい!」


満面の笑みを浮かべた苗字が、そのままの表情で僕へと視線を移す。苗字の幸福そうなその笑顔に僕は確証を得た。胸の内に広がる感覚、いや感情。その想いのまま席を立って、苗字が座るソファーへと近付く。

「雲雀さん?」


座ったままの苗字がまるい瞳で僕を見上げる。手を伸ばして、そっとその頭に触れた。



「―!」


驚いた様に身体を竦ませた苗字に構わず、その頭を撫でた。初めて触れた苗字の髪は柔らかくて、触っていて心地が良い。僕は知らず息を吐く、やっと見つけた答えに、それはとても穏やかなものだった。



「…雲雀さん?」

「なんだい?」


頭を撫でられている苗字が顔を赤らめながら僕に困った様に訊く。



「あの、どうして、」


私は撫でられてるんでしょう、
恥ずかしいのか、口ごもりながら言った苗字に僕は告げた。答えを。ずっと解らなかった感覚の名前を。




「可愛いから」


がたん!僕の言葉の直ぐ後にそんな音がして、「失礼しました!」と草壁は応接室から足速に出て行った。ああ、居たんだ。と閉まったドアを一瞥して苗字を見下ろすと、苗字は耳まで赤くなって固まっていた。




「ねぇ、」


「…は、はい」

「風紀委員に入りなよ。それとこれからは名前って呼ぶから」


「……へ?」


「拒否は認めないよ」











日が落ちた頃、僕がひとり居る応接室のドアがノックされた。入れば、と返せば草壁が慎重にドアを開いた。僕が一人なのを確認して、草壁は失礼しますと断りながら入ってきた。草壁は校内及び街中の見回りの報告をして、その後記録を始める。普段通りの光景だけれど、何処か落ち着きのない草壁に、僕は口を開いた。





「草壁哲也、何か聞きたい事があるんじゃないのかい?」

「あ、いえ、」


そう応えながらも草壁の視線が僅かに泳ぐ。僕はそれに嘆息して、続けた。


「名前が正式に風紀委員に入るから、準備をしておいてね」

「わ、解りました」

「それと、明日からは名前と一緒に帰るから、報告は携帯に」


本当は今日からでもそうするつもりだったのだけれど、名前にも色々都合があるらしい(心臓が持ちません、と言っていたが意味がよく解らない)。




「……はい」




「まだ何かあるのかい?」


滑舌の悪い草壁に訊く。幾ら今日の僕の機嫌が良くても、頭の悪いヤツと話しをしているとイライラしてくる。ハッキリ言いなよ、と視線を飛ばせば、草壁は僅か躊躇った後、意を決した様に訊いてきた。




「委員長は、苗字をどう思っているのですか」




問われた事に、何だそんな事かと思いつつも僕は応えた。



「名前はジャンガリアンハムスターなんだ」


「……は?」


「名前と初めてあった時に、訳の解らない感覚を覚えたんだ。それからずっとその正体を掴めなくて、でもやっと解ったよ。名前はジャンガリアンみたいだからね」

「…、」

「物を食べる姿とか小さくて間の抜けた処とか、昔家にいたジャンガリアンにそっくりだ」


エサを与えると飛びついてせっせと小さな口に運ぶ姿、短い手足でゲージによじ登って間抜けに落ちるドシな処、僕を見上げる黒くてまるい瞳、幼い頃毎日構っていた白く小さなジャンガリアンハムスターが思い浮かぶ。そのジャンガリアンは僕が傍に置いた初めての動物だった。名前はあのジャンガリアンに何処か似ている。だから僕は名前が間抜けでのろまで非力でも咬み殺さなかったのだと気付いた。名前を見ていると湧き上がるあれは、幼い頃傍にいたジャンガリアンを彷彿とさせるからだ。間抜けなところもジャンガリアンならしかたない、そう思えるし、可愛いくて構ってやりたくなる。




「……、」


僕の言葉に呆然唖然としている草壁に僕は眉を寄せた。




「…何?」

「―、っいえ!」

「そう、」


何か物言いたげな草壁はそれでも、僕から何かを感じ取ったらしく、記録を再開した。これ以上呆けていたなら咬み殺すところだ。僕も残る仕事を再開させる、明日からは名前と帰るから、出来る事は今日のうちにやってしまおう。不意に栗どらやきを食べる名前が頭に浮かぶ、美味しい!と笑顔を浮かべる名前もいいが、僕としては両手で物を持ってぱくりとするあの瞬間が、もっといい。あのこは何を食べてもきっと美味しいというのだから、どうせならその方が僕は楽しい。ジャンガリアンがひまわりの種を食べる姿とだぶるからだ。




「草壁哲也、」


「はいっ!」

「明日名前に食べさせるものは両手で持って食べるものにして」

「…両手で、ですか」

「うん」



訝しげな表情を浮かべた草壁に構わず、僕は書類へと視線を移した。
苗字名前、彼女の事を思うと知らず頬が緩みそうになる。明日が楽しみだな、そんな事を思いながらちらちらと僕に視線を向ける草壁を取り敢えず咬み殺そうと席を立った。








ちょっとズレてて動物好きの最強(恐)風紀委員長と(彼曰く)小動物(ジャンガリアン)みたいな彼女が、恋をするのはもうそろそろ、のお話







fin.
101014






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -