喉の渇きで目が覚めた。それから怠さと汗とか色んなものでべたべたしてる身体に気付く。取り敢えず、起きて何か飲みたい、それからシャワーも。思って瞼をこじ開けると、目の前にはぼやけた肌色が広がっていた。少し頭を後ろにずらしてみると、視点が定まる。ぼんやりしていたものの正体は、珍しくうっすらと口唇を開いたまま眠る雲雀さんだった。





きれいな顔


ちょっと短い前髪、長い睫毛、すうっと通った鼻筋、それから薄い口唇。その薄く開いた口唇を見詰めて、急に心拍数が上がる。昨日はこの口唇に焦らされたり熱くさせられたり、さんざん泣かされた。口唇だけじゃない、長い指も、凛と光る黒い瞳も、躯も、好きで愛おしいと思えるのに、私をギリギリまで焦らして、それなのに酷く熱く求めてくる雲雀さんは、冷酷ささえ思わせる。けれど終わりは絶対的な優しさで包んでくれるから、それを知っているから、私は文句の一つも言えないんだ。




でも、もうちょっと手加減してくれてもいいのに


なんて、思ってみる。でもホントはそんな事ちっとも思ってないのかもしれない私は、すうすう眠る雲雀さんを起こさない様に怠い身体を動かした。上半身だけ起こし一番初めに見たのは、漸く見慣れた彼の部屋の時計。朝方だけどここから通りに出ればタクシーを拾える。帰ってシャワーを浴びて出社の準備を、と私の頭はきりきりと回り始めた。本当はもうちょっと一緒にいたい。朝まで一緒に眠っても雲雀さんは送ると言ってくれるのかもしれない。けれど、雲雀さんにだって仕事はあるし、何より彼は忙しい人なのだから煩わせたくない。なので私は必ずひとりで帰る事にしている。これは私のけじめみたいな、戒めみたいなものだった。今回うっかり寝てしまったのは、最近仕事が忙しかったからだ。それはつまり雲雀さんともなかなか逢えなかった訳で。そうなると易々と帰らせて貰えないのは解りきってた事。自分もそれを望んでいたのだけど。だけどいつまでもそんな幸せに浸っていられない。また始まる一日に溜息を吐きつつシーツから抜け出して、ベッドから足を降ろす。その足元に落ちていた服達を難無く見付けた私は、それらを確認して一つ足りない事に気付いた。ブラがない。





「あれ?」


と、思わず小さく呟きつつ、手元をもう一回確認、そして辺りを見回した。ない。どう見ても何度見てもない。当然の様に昨日剥がされた順番を思い出しつつ、目は目的のものを探す。頭に蘇ってきた昨夜の事に、せっかく仕事モードになっていた私の身体は僅かに熱を呼び戻した感じがして、口許を手で覆った。今私、絶対顔赤くなってる。









「探し物はこれかい?」




そんな私に背後から声がして、思わずびくりと身体を震わせた。まさか、と思いつつ恐る恐る首を廻す。そして、私の予想は的中した。




「―ひばっ!」


「ワオ、朝から良い眺めだね」


「え、あ!」


言われて今だ私は裸だった事を思い返して、慌てて拾い集めた服で身体を隠した。何を今更と言われても明るい所で彼の目に晒すのには抵抗がある。




「か、返して下さい!」


左手のシャツで胸元を覆って、右手を差し出した。請われた彼は寝起きとは思えない程に普段通りの顔をしている。いつの間に起きたんだろう、枕に頬杖をついた雲雀さんが、私の探し物を弄んでいた。レースの肩紐に指を引っ掛けてくるくる回す様は、何処かで見た事がある様な気がするけど、今の私にはそんな事を考える余裕はない。凄く恥かしい。空いている片手を伸ばして奪おうとするけれど、雲雀さんはそんなのお見通しとばかりにそれを巧に避けてみせた。





「返して下さい」


「ヤダ」


即答されて唸る様にして彼を見遣る。からかわれているのかと思っていたけど、その雲雀さんは何処か様子が違っていた。雲雀さん?と呼び掛けてみる。強い光を帯びた瞳が応える様に細まった。





「これがないと帰れないんでしょ?」


だから、返さないよ
指先を器用に動かしながら平然と、でも子供みたいな事を言う雲雀さんに、私は目をまるくした。怒っている様にも拗ねてる様にも見える雲雀さんに、私は彼と彼の指先でくるくる回るものを交互に見遣った。そんな事をしても事態は変わらないのだけど。
どうしたんだろう、と思うと同時に、彼の綺麗な指でくるくる回る自分の下着にいたたまれなさを感じて、私は怖ず怖ずと口を開いた。





「あの…雲雀さん?」
「その呼び方、やめなよ」


あ、と零して私は口を噤んだ。その瞳と同じ様に強い口調に怯んでしまう。彼から何度も言われた事だけれど、いつまで経っても癖が抜けない私は、出会った頃と同じ様に彼を呼んでいた。それを咎められるのはいつもなのだけど、こんな風に冷たく言われたのは初めてだった。





「君はホント変わらないね」


「…え?」


「僕の呼び方も、いつまで経っても他人行儀な所も」


鋭い言葉と一瞥の後、雲雀さんはゆるりと身体を起こした。現わになった剥き出しの上半身に、どきりとする間もなく、私は雲雀さんに言われた事を頭の中で反芻していた。責められている様な気がして、実際責めてるんだろう、私が変わらない事を1番近くにいる雲雀さんが1番感じている筈だ。


変わりたいと思った、今もそして過去にも。ちくりと胸が傷んで、シャツを握る手に無意識に力が篭った。そこには棘がある。その棘を置いていったひとの声は、もう朧げにしか思い出せないけれど、その言葉はまだ胸に刺さったままだ。きみは強い女だね。だからオレがいなくても大丈夫だろう。



そのひとは優しいひとだったのだと思う。事あるごとに、もっと頼ってくれていいのに、と言ってくれていた。けれど育ってきた環境のお陰か、大抵のことが出来て他人の庇護を必要としない私に彼は離れていった。大丈夫、そう言われた私は泣く事さえ出来なかった。でも本当は甘えてみたかった、可愛いがられてみたかった、けど私はその術を知らなかったのだ。そしてそれは今も同じで。そんな私を「いつまでも他人行儀」と言った雲雀さんに、私は何も応えられなかった。








「そんな所も嫌いじゃないけど」

「…え?」

過去に思考を飛ばしていた私を雲雀さんのそんな声が引き戻す。いつの間にか伏せていた目を顔を上げると、目の前の雲雀さんはくるくるするのに飽きたのか手を止めて私にそれを差し出した。






「人慣れしない小動物みたいで、面白いよ」



「…小動物」



その言葉に怒っていいのか喜んでいいのか、解らないまま取り敢えず雲雀さんの掌にあるそれを返して貰おうと手を伸ばす。レースに私の指先が触れるその前に、私の腕は物凄い力で引かれ気付けば雲雀さんの腕の中だった。






「捕まえた」


耳の直ぐ後ろで響いた声、本当に欲しいものを捕まえた子供みたいなその声音に世界が滲んだ。ぼやける視界の中で、こんな時泣いていいのかな、なんて思う。




「雲雀さん、」

「なんだい?」

「もうちょっとだけ、一緒にいてもいいですか?」



「仕事、行くんだ?」

「え?…はい」


雲雀さんも仕事ですよね、と訊ねれば、薄く笑みを漏らしたのかその微かな振動が、伝わってくる。



「いいよ、送って行くから。ただし名前が行けるかどうかは解らないけど」



え?と、その言葉に顔を上げる。待ち構えていたかのように降りてきた口唇で、その先の私の声は彼の舌で溶かされて。手加減も容赦もない雲雀さんの躯に再びベッドに沈んだ私は、また文句の一つも言えないまま目を閉じた。








このからだは至上の愛を知っている
fin.
1202

title by hmr






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