「よいしょ、っと」

真新しい部屋特有の匂いの中、カカシは床上に無造作に置かれた段ボールを片づけていた。

一緒に暮らそう、そう言ったカカシに、彼女は照れながらも「小さい部屋がいい」と微笑んだ。将来の事まで見越して、いっそのこと家でも建てようかと考えていたカカシは、我ながら可愛い過ぎる恋人を持ったもんだと内心思い同意した。そしてカカシはその日の内にこの部屋を見つけ、即契約。キッチンダイニングとリビング、そして寝室からなるこのアパートは築年数も新しく南向きで日当たりも良い、その上角部屋の好条件の物件だった。彼女の希望通り2人寄り添って暮らすのには正に適した部屋で、彼女も大喜びだった。里一番のエリート上忍はどんなこともソツなくこなす。



「ま、今日の処はこれで充分でしょ、」

2人分の荷物で腰を落ち着けるスペースも無かったリビングは、カカシの手に寄って見違える程にまで整えられていた。もう不要になった空のダンボールをカカシはコンパクトに折り畳み束ねた。そしてその置き場を思案する。折角整えた部屋にただ置いておくのは美観を損ねる。自分一人ならば、ダンボールが転がってようが洗濯物が何日もぶら下がってようが何でも良い。けれど此処は自分と彼女の愛の巣なのだ。故にカカシはダンボールを手に、広くはない新居を行ったり来たりした。それに相応しい置き場を求め、否、部屋の美観を損なわない不要物のやり場を求めて。リビングから廊下に出たカカシは寝室のドアノブを握った。扉を開けるとカカシの目にはダブルベッドが1番に飛び込んできた。そう言えば今日は同居初日、今夜は俗に言う初夜というやつだ。んふふふ、カカシは怪しげな笑いを漏らしながら少し曲がってしまっていた枕の位置を修正した。それから布団も丁寧に直した。寝室のカバーやカーテンは二人で落ち着いた色合いのものを選んだ。それが見事に調和し良い雰囲気を醸し出している。ぐるりと寝室を見回したカカシは満足気に頷いて、寝室を後にした。しかしながら誰もが認めるエリート上忍は、ベッドヘッドに整然と並べられた18禁本が、その雰囲気を台無しにしている事に気付いていなかった。


取り敢えずベランダにでも出しておくか、そう思ったカカシは束ねたダンボールを手にベランダへの窓を開けた。不意に鋭敏な嗅覚が反応して、カカシはその香りがする方に視線を向けた。



「…あ、どうも」

ベランダの柵に肘をつきながら、気だるそうに煙草を咥えた女と目があって、カカシは思わずそんな声を上げた。
女は癖のある長い髪を耳に掛け、僅かに頭を下げてみせた。その女は世間一般で言う美女だった。胸の大きく開いた服から豊満な身体が垣間見える。煙草の煙と香水の香り、派手な化粧と大きめのアクセサリー、そして露出の多い服から、夜のお仕事のオネーサンか、カカシの思考は瞬時にそこまで辿り着いていた。



「こんな処でナンですが、今日越してきた はたけです。よろしくお願いします」

社交辞令を口にしたカカシに、女も名乗り頭を下げた。そしていそいそと部屋の中へ消えていった。そんな女を笑顔で見送りながら、外見は派手で如何にも”夜の女”だが根はまだ”女の子”なのかもしれない、カカシはそんな事を思った。一瞬ちらりと見えた下着が可愛らしい薄ピンクだったのだ。否、そこに男がギャップを感じるのも計算済みなのかもしれない。しかし薄いピンクは女の肌を美しく見せる色だと聴いた事もある。だとしたら―、

カカシがその女を真面目に、けれど至極どうでも良い分析していたその時、ピンポーンとベルが響いた。カカシはピンクの下着の事など頭から捨てて、急いで玄関へ向かった。彼女が仕事から帰ってきたのだ。




「おかえり、おつかれさん」
「た、ただいま」

照れたようにそう返した彼女にカカシは自分も擽ったくなった。ああ、可愛い。そして実感する。これから此処で彼女と暮らすと云う事を。此処が自分と彼女の帰る場所になる、それが自分にどれだけの幸福や存在意義を齎すのだろうと、カカシはキッチンへ入りながら朧げに思うのだった。



「すっかり綺麗になってる!カカシ一人で大変だったでしょ」

整えられた部屋を見て、彼女は感嘆の声を上げた。ありがとう、そう言う彼女にカカシは夕食まで温め始め、益々彼女を喜ばせた。同居初日は彼女と自分の笑顔で始まり、そして長い長い夜へと刻一刻と近付いていった。








「……寝ちゃったのね…」


普段より長い風呂から上がったカカシが目にしたのは、新品のソファーで眠りこける愛しい恋人だった。初夜に備え念入りに身体を磨き、時間を掛けてしまったのが仇となってしまったらしい。何せカカシが恋人と入れ違いに風呂に入ってから2時間が経っていたのだ。

カカシの恋人は忍医でここ数日は病院に詰めっぱなしだった。引っ越し当日も休みが取れない多忙な彼女が、夕食と入浴を済ませた身体で2時間も待たされれば、睡魔に抗えず眠ってしまう事など容易に想像出来る。だがカカシはそれを失念していた。木の葉の里が誇るエリート上忍は、自身が犯した痛恨のミスに天を仰いだ。

見慣れない天井をぼんやりと眺めたカカシは、むくむくと膨らんでいた期待感を萎める様に溜息を吐いた。そして次にカカシは苦笑いを浮かべた。見下ろした恋人が本当に穏やかな顔で眠っていたからだ。そんな安心しきった顔を見せられては、自分は彼女を丁重にベッドに運んでやるしかない。
彼女を抱え上げ、カカシは寝室のドアを開けた。今夜ここで蜜月宜しくそんな夜を過ごす筈だったが、けれど仕方がない。カカシは今日から一緒に暮すんだしね、明日も明後日もあるしね、と自分をなんとか納得させ、彼女を優しく寝かせ、自分も目を閉じた。










小さな物音がカカシの沈み掛けていた意識を急速に浮上させた。瞬時に覚醒した感覚器で捉えたそれは、自分の部屋からではない事だけをカカシに教えた。確かに壁一枚隔てた向こう側から、何かが聞こえる。カカシは神経を集中させ、耳を澄ました。そして後悔した。それが特有の響きを持った甘ったるい女の声だったからだ。



「勘弁してよ…」

カカシは心の底からそう思った。こちらはお預けを喰らった身なのだ。それなのに、そんな自分にはお構いなしに隣室の行為は着々と進行している様だった。どんなに思考を切り替え様としても、女のあんあん喘ぐ声はカカシの耳に貼り付き、離れない。昼間見たあの隣人がボンキュッボンな身体を惜し気もなく晒し、あられもない姿で喘いでいる、カカシは頭に浮かんだ妄想にハッとし即座に打ち消した。自分の腕の中には安らかに眠る愛しい恋人がいる。そんな状況で妄想を膨らます自分は酷く不誠実な気がしたのだ。平常心、平常心、念仏の様にそう唱え、なんとか理性を保とうと努めた。そんな時だった。





「…ぅん、」


隣の恋人が小さな声を上げ身を捩った。彼女の髪が自分の首筋を掠めて、カカシは思わず息を止める。鼻にかかった彼女のその声は何かを彷彿させ、カカシの押さえ込んでいた妄想に拍車をかけた。煩悩を押さえる様にきつく目を閉じ身体を固くしていたカカシだが、恋人はその僅かな動き一つで、カカシの今までの努力を水の泡にしてしまった様だった。
カカシの脳裏には、じりじりと上がる快感の波に溺れる様に息をする恋人が浮かんだ。イヤ、ダメ、もう許して、と涙を散らしながら言う癖に、細い腕を伸ばして必死に自分を求めてくる。煽られるのはいつもカカシだった。




「がっつく様な年でもないけど、まだ枯れてもいないんだーよ」


それに誘ったのはお前だよ、
むくりと身体を起こしたカカシは眠る恋人に、そんな言い訳をしながら覆いかぶさった。慣れた手つきで布団に隠された彼女の身体を弄り、脇腹から胸元へと手を滑り込ませる。



「…んぅ」

異変を感じ取ったのか彼女が眉を寄せて声を上げた。このままカカシが行為を進めて行けば、彼女が目を醒ますのは時間の問題だ。だが、既に彼女の身体の自由は奪っている。カカシは今にも抗議の声を上げそうな口唇も塞いでしまおうと身体を起こして、そして刮目した。

夜目の効く目で見下ろした彼女は、未だに目を閉じていた。その長い睫毛に紛れた隈の残る目元に、カカシは自分の衝動と欲望を止めざる得なかった。




「…」


物凄く疲れているんだろう、苛酷な勤務と重なってしまった引っ越し。きっと休む間を惜しんで彼女はその準備に追われていたのだろう。それが自分の、否二人の為に彼女が頑張ってくれていたのだと思うと、カカシは彼女の眠りを自分が妨げてはいけないと思った。




「ごめーんね」

小さく詫びて、カカシは優しく彼女に口付けた。乱してしまった寝衣を整え、自分も彼女の傍に横たわる。ふう、と一息吐いて、自分も眠ろうと目を閉じた。そんなカカシに甘える様に彼女が寄り添ってきた。カカシは笑みを零して眠ったままの彼女の髪に口付けて、ゆっくりと瞼を下ろした。いつの間にか隣からの耳障りな音は聞こえてこなくなっていた。―だが、






「いい加減にしてよ…」


ひたりと止まった嬌声に安堵していたカカシだったが、どうやら隣室では二回戦が始まったらしい。再び響き始めた女の声が、カカシの睡眠と理性を侵していく。しかし他里にまでその名を轟かせるはたけカカシ、ある意味精神攻撃のようなその声と自身の男の性に抗おうと必死になった。平常心、平常心、その念仏で保とうとする理性は、女のあんあん上がる声でがりがりと削られていく。流されそうになる己をカカシは恋人への想いで踏み止まった。だが、穏やかに眠る彼女は、無意識ながらもすり寄ったり足を絡めてきたりするものだから、堪らない。

そんな色んな意味でギリギリだったカカシはだが、その一定のリズムを刻み始めた女の声に隣室の状況を知った。流石は木の葉一の業師、窮地にいてもしっかりと状況分析は行える。カカシがそろそろか、そう思った、否、願った刹那、一際甲高い声が上がって、耳障りな女の声がひたりと止んだ。



(―イッた、な…)


げんなりとしながらも、カカシは何処か冷静にそんな事を思った。カカシは隣室からの攻撃に打ち勝った。そして自分自身にも、勝ったのだ。虚しいながらも、漸くこれで眠れる、と Sランク任務から帰還した時の様にぐったりとしたカカシの耳に、再び、否再々度最早凶器となった女の声が刺さった。




「…拷問でしょーよ、コレ」


カカシは呆然と呟いた。
壁を一枚隔てた隣からは遠慮なしに続けられる行為、腕の中には愛しい彼女。
里一番のエリート上忍はたけカカシは、泣きたい気持ちで一杯になった。



結局、隣室の睦事は朝方まで続き、カカシは眩しい朝日で白く浮かび上がった寝室の天井を虚ろな瞳で見上げながら思った。



引っ越ししよう







Kの受難
end.
100116







人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -