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焦がれる深×求めるどれすと


 どれすとは毎晩、この花街一番の楼閣から世界を見下ろし、理由もなくただ微笑んでいた。機械的に美しい笑みを作り出す日々。強いて理由を挙げるとすれば、仕事だから、と彼女は答えるはずだ。それが正答であり、この世で最も面白味のない回答だ。
 どれすとは象徴なのだ。この花街を仕切る遊女屋の最高位に立つ者として、彼女はここの象徴であり続けるし、遊女達の間で美の象徴でもあり続ける。気高くて尊い。それは客の男に抱かれる日も、舞妓の真似事をして酌をするだけの日も、単なる姐女郎として遊女達の前へ姿を現す日も、いつだって変わらない。
 ひとつの例外を、除いては。
 その例外とは、同じ遊女屋の天神の地位を持つ深を相手にした時であった。淑やかな微笑みは、どれすととはまた違った美しさで人々を魅了する。しかし深に寄ってたかる者達を、彼女は毅然たる態度で門前払いにし続けてきた。客の性別は問わない代わりに、彼女は優れた美貌を持つ者しか客に取らない主義なのだ。醜男も醜女も彼女には必要ないし、あるいはどんな美貌の持ち主であれあの人に劣ることを知っているのである。
 そんな美しく聡明な者を好む深が、太夫として君臨するどれすとに焦がれるまで、時間はかからなかった。見初めたあの日から、深の脳裏にどれすとのたおやかな姿が焼き付いて離れない。自分の中で甘い熱情が燻っているのが否が応でも分かった。


「早かったね。丑の刻を過ぎるものだとばかり」
「今日の男は一度寝たらすぐに帰って行ったので。指名もなかったですし。…客、今夜は取らないんですね」


 そこには圧倒的な美がふたり、存在していた。緻密な刺繍がなされた優美な衣は、高位の遊女のみに与えられるものだ。金持ちの男が彼女らへの貢ぎものとして、各々に似合う着物を見繕ってくることもある。そんな経緯で入手した藤色の着物を纏い、客向けではない申し訳程度の化粧をし、しかし紅だけはしっかりと引いて、どれすとは深に微笑んだ。
 対して、先刻まで座敷へ出ていた深には化粧が入念に施されたままだ。髪も派手な花魁頭で、何本もの高価そうな簪や櫛が添えられている。どうやらお得意さまを相手にしていたらしい。しかし深々とした青色の着物をきちんと着直してある辺りは、彼女の自尊心の表れなのだろう。売女の身でも捨ててはならぬもの。それを深は心得ていた。


「今夜は深ちゃんと一緒に居るつもりだったからね」
「どうせやることは変わらないのに」
「だけどきみと寝るのが一番だよ、今の所はね」


 最後の言葉に耳敏く反応した深。今の所。その言葉は彼女の心を鈍く揺さぶる。永遠などという不確かなものを望んでいる訳でもない。どれすとの世界を占めてしまいたい訳でもない。それでも彼女を慕う自分にとって、ただ身体の相性だけだとしてもずっと一番でありたいというのが深の本音であり切望であった。
 そんな切なさの入り混じった執着心を隠すように、深はどれすとに優しく接吻をした。空いた手で彼女の衣を丁寧に剥がすことも忘れない。甘やかな吐息が空気に溶ける音を、ふたりは確かに聞いていた。艶やかな大輪の花は、今宵も見事に咲き誇っている。




食い散らかした花の残骸








◎120922
敵わない相手ってきっといると思うんです。


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