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気付けない広輝×夢を見るどれすと




 彼女が此処へ来た時の事は、今でもはっきりと思い出せる。女将に連れられて座敷へ入って来た子供は、幼いながらも凛々しい美しさを感じさせる容貌を持っていた。ただ惜しいと思ったのは、その美貌が長い前髪と仏頂面によって隠されていた事だ。笑んだ顔はさぞかし愛らしいのだろう、と想像しながら頭をかき撫でてやった時の感触は、今でも忘れられない。


 どれすとは息吹くように浅い眠りから目を覚ました。格子窓の隙間を縫って差し込んで来る、朱色の光が眩しい。宵の口を迎えた遊里は、今宵もいつも通りの賑やかさを見せていた。
 今日は確か、大名家の息子が此処を訪れる事になっていただろうか。どれすとは遊女達の話を思い出す。その男は末っ子で、甘い母親に武家の男児らしからぬ育て方をされたらしい。元服を迎えた今は、家柄に縋り役職に甘え、親のすねをかじって家の金を食い潰す厄介者だそうだ。
 裕福な者に対し、どれすとは今更羨望や憎悪の目は向けないが、それでもやはり好こうとも思えなかった。太夫の彼女を買うとなると、一晩とはいえ結構な額になる。その金を簡単に用意し、あまつさえ貢ぎ物を与えては媚びを売って来る彼らをどうして好きになろうか。阿呆だ。遊ぶくらいなら他の事に遣え、など些か遊女が言える事ではないだろうが。欲求と財を持て余した人間が遊女屋に金を注ぎ込むお陰で、死ぬ筈だった自分達がこうして生きてゆけるのだから。皮肉だ、と彼女は思った。


「どれすとさん、広輝です」
「ああ、良いよ、入って」


 襖の向こうから掛けられた声に、どれすとはまるで一年前からその事を知っていたような口振りで応えた。慎ましやかに座敷へ入って来た広輝を見て、どれすとは先程の夢と遠い記憶の断片を思い出す。美しく成長した広輝の姿。あの頃は着る事の出来なかった瑠璃色の着物を纏った広輝が、濃い夕日に照らされていた。
 どれすとは最近、浅い眠りの中で何故だか彼女の夢ばかりを見るようになった。何度も何度も、広輝との邂逅の日の夢ばかりを見るのだ。心情の変化を暗示する物。夢想。夢占が好きな遊女が確か居た筈だから、今後色々と訊ねてみようか、とどれすとは思った。しかし聞いたとして、決して迷信深い方ではない彼女が夢占を信じる事はないのだろう。


「一体いつまで、そんな格好で居るつもりですか。おるどさんに笑われますよ。それに例の彼、子の刻より前にお見えになられるのでしょう?」
「そうなの?」
「お客の事、もう少し気にしてください」
「そうするとさ、上原、妬くんじゃないの?」
「はい、凄く妬きます」
「素直だね」
「あなたに嘘なんて、余程の道化でない限り吐けないでしょうに」


 さて、与太話はこの辺にしましょう。広輝はそう続けて立ち上がり、備え付けの衣装室へ導く襖を開けた。どれすとは広輝に続くようにして衣装室へ向かう。今日のどれすとの着物はどれが良いだろうかと、広輝は禿から格上げされた今でもこうして律儀に選びに来るのだ。その背を見て、あの見窄らしかった少女もすっかり一人前になったものだと、どれすとは改めて目を細めた。
 この蝶はいつか、自分から離れてゆくのだろうか。そう考えてしまう自分が居る。今から見知らぬ男に抱かれるというのに頭の中が彼女で溢れている事に気付いたどれすとは、自らを呆れ、嘲るのだ。これが夢にまで出て来る所以なのだと。そしてなんと呼ばれる感情なのかを、きっと“彼女ら”は知らない振りをしているのだ。


 花街の朝である夜が、更けてゆく。




秘匿の園








◎120529
一気に書き上げたのでごちゃごちゃ。驚異の上どれ率。やっぱりこのおふたりは難しいです。


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