天槍のユニカ



空の器(2)

 足音は淡々と通り過ぎ、ディルクはルウェルが待っている小部屋の外へと出て行く。光の中に戻った一瞬、彼は足を止めたが、結局、小部屋の中のユニカを振り返ることはなかった。
 人々を舞わせる優美な音楽が聞こえた。けれど、その音と無数の灯火の光で溢れる大広間は、その中に自然と戻っていったディルクの背中は、すがりようもなく冷たかった。


 ルウェルは小部屋のカーテンを閉めていくか迷ったが、それよりもディルクがずんずん歩いてどこかへ行ってしまうので、中に取り残された二人のことは捨て置いて彼のあとを追うことにした。
 あたりの貴族からちらちらと好奇の視線を感じる。あの凶暴な坊主が怒鳴るものだから、せっかくディルクが気配を消してここへユニカを連れ込んだというのに台無しだ。
 このあと小部屋からユニカが出てきても、何があったのかまでは彼らには分かるまい。しかし分からないからこそ人の口というのは軽くなる。
 これは、今晩のうちに恐ろしい速さで噂が広まっていきそうだ。何かあったらしい≠ニいう噂が。
 らしくないことをしたな、と思いながら、ルウェルは人並みを斬り裂くように歩くディルクの後ろ姿について行った。
 ここ二年、ディルクが結構いろんな女と交流を持っていたことは、その遊びに付き合っていたルウェルはよく知っていた。
 ディルクは恋人という名の他人≠ニの関係を、おおっぴらにするならおおっぴらにするし、秘めておくなら秘めておく。どちらが本気でどちらが遊びということではなく、相手との関係の露出度は、相手の様々な事情――家や性格や周辺との人間関係によってディルクの中で明確に決められ、こんなふうに、中途半端に人に目撃されるようなことはしないはずだった。
 原因は、なんとなく分かった。
 今もこの会場のどこかにいる、トルイユの使者。
「挑発にのっちゃってさ」
「うるさい」
 いたずらに話しかけてみると、ディルクは人混みに紛れながらもルウェルの耳には届く絶妙な声量でそう吐き棄てた。
「人刺しそうな顔してるんじゃねえの。人目があるからなんとかした方がいいぞ。休憩室探す?」
 ルウェルも同じ声で、さらに言葉を返す。
 すると、ようやくディルクは足を止めて振り返った。
「そうする」
 宴のまばゆさに、かえって翳る面(おもて)。凍ったように冷ややかだった目には、先ほどまでは見えなかった炎が灯っていた。
 一度人を刺し貫く味を覚えた者が、一生抱え続けねばならなくなる衝動。

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