天槍のユニカ



傷口と鏡の裏U(10)

 今日は招かれた女性の一人が音楽の話題を持ち出したため、必然、彼女らの口には王太子の名がのぼった。ディルクのフィドルの腕前はシヴィロ貴族の間でも有名だったらしい。みんなどこかうっとりしながら彼の演奏を聴いてみたいと言う。どうやら王家に入ってからフィドルに触る時間がないとディルクが言っていたのは本当のようで、彼は一度も演奏を披露していないとのこと。ユニカは聴かせて貰ったが、それを言うと一気に貴婦人たちが詰め寄ってきてあれこれと尋ねられる予感がしたので、黙っていた。
 中でも十年ほど前に公国へ渡ったことのある婦人は、当時の音楽会で見かけた幼いディルクの愛らしさと、他の子供たちより抜きんでていた彼の技術だとか表現力だとかについて自慢げに、切々と語った。しかしレオノーレはそれを美化しすぎだと笑い飛ばし、ユニカは横目で彼女らの様子を窺っているだけで、極力会話には交わらないようにした。
 こういう、身のないおしゃべりで時間が過ぎることもしばしばある。この日はもっぱらディルクについての噂話と、音楽からの流れでクレスツェンツもクラヴィアを弾くのが上手だったという思い出話に花が咲いただけだった。
 どちらも、ユニカとは近しく関わりのある人物だ。ユニカが王太子から何か特別なものを貰ったり、言われたりしていないか、亡き王妃から養女に望まれるとはどんな縁ゆえだったのか、貴婦人たちは訊きたそうに話を振ってきたりもした。しかしユニカは曖昧に誤魔化したり口をつぐんだりしてやり過ごした。
 やっぱり、貴族たちはディルクとユニカの関係について色々な想像を働かせているらしい。何か一つでも彼に言われたことを漏らしてしまえば爆発するように噂が広まるだろう、しかも、ユニカ当人の口から聞いた言葉だという保証つきで。求婚されたり断ったりなどと知られればどうなるのか。恐ろしくなって、結果ユニカはだんまりという対応をとったが、これは恐らく正しかった。
 レオノーレがぽろっとばらしてしまうのではないかと緊張したりもしたが、そこはさすがに大公の娘。迂闊に口にしてよいことではないと分かっているのだろう、ユニカがやんわりとした質問責めにあっていても知らない振りだった。
 レオノーレも、ディルクのことについて尋ねられてもあまり多くを語らなかった。子供の頃は一緒に暮らしていなかったから、と言って。
 あっという間にお茶会はお開きとなったが、本当に身のない時間だった。ユニカからもレオノーレからも王太子の情報を満足に聞き出せなかったので、貴婦人たちはいささかつまらなさそうである。
 その場が解散し、婦人たちを見送ったユニカにヘルミーネが向き直る。あ、これは何かお叱りを受けねばならない気配だ、とユニカは気づいた。眠たそうにしていたことか、積極的に会話に参加しなかったことか、或いは両方か。
 サロンは、ユニカが貴族との関わり方を学ぶ場所としてヘルミーネがお膳立てしてくれている。それをいい加減にやり過ごすことは、サロンを主催しているヘルミーネのエルツェ公爵夫人≠ニいう称号が赦さない。最初の頃に仕方なく参加しているという顔をしていたところ、「態度を改めるまで言い聞かせる」と強く迫られたので、今ではユニカも表情を取り繕うのに必死だ。しかし今日は、話題も話題だったし、眠たかったしと、色々言い訳があった。言うに言えないけれど……。

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