天槍のユニカ



ゆきどけの音(11)

「そうですか」
 偉い偉い、と頭を撫でてやりたい気分でエリュゼはにこやかに頷いた。しかしユニカが求めていたのは別の反応のようで、またちらりと寝室の奥を見やる。
「でも着替えがまだ。仕立屋が来るんでしょう。支度しなきゃいけないわ」
 ユニカは寝室の奥にある衣装部屋へ行くよう促していたようだ。手伝って、と言われて、エリュゼは今日三度目の驚愕の事態に瞠目する。珍しい、これは非常に珍しい。エリュゼにしつこく起床を促され、不承不承不機嫌絶頂でベッドを出、果物やヨーグルトをちょっと食べただけでまた二度寝に戻ろうとすることも多いユニカが、自分から寝間着を脱ごうというのだから。クレスツェンツやエリーアスが来る、とでも分かっていなければ、ほとんどあり得なかったことだった。
 昨日だって、未婚の王族女子の基準で式典用のドレスを作らねばならないと告げたとき、ユニカは激しく嫌そうな顔をしていたはずだ。
 驚きが感心へと変わる頃、ユニカは衣装部屋へついてきたエリュゼを突然振り返った。
「伯爵にこういうことを頼んでもいいのかしら……」
「もちろんですとも。ただ、王太子殿下にはご内密に。侍女の真似をしてはいけないと言われております」
 ふ、とかすかにユニカの口元が弛んだので、エリュゼは素直に嬉しかった。
 昨日は自分の思いをユニカに押しつけてしまい、申し訳なかったと猛省する夜を過ごした。十年以上仕えた王妃の遺志は、どうしても実現してあげたい。けれどユニカが城の外や政治に対して怯えと警戒を抱くのは当たり前の話だ。それを取り除く方法を考えずに、先にユニカを表へ引きずり出そうとした自分が悪い。
 そしてユニカが言ったことも、心に留めておかねばと思った。クレスツェンツに近い仕事が、自分には出来るはず。なのにそれをやろうとしてこなかった者が、ユニカだけに何かを強いるのはおかしい。これから要努力である。
 それでも今日のところは表へ出るためのドレスを作らねばならず、どんな顔をして迎えられるかと思っていたので、このいつも通りの無愛想な反応と、いつもより少し積極的なユニカの態度に、エリュゼは安心せずにはいられなかった。



 導主の手紙には、ひたすらユニカとの再会を喜ぶ気持ちが溢れていた。やはりエリーアスは、ユニカがパウル導主に会うことにしてくれた、という風に伝えていたらしい。
 足腰が弱って王城の階段を上るのは大変だから、グレディ大教会堂でお待ちしている、会いたいのはこちらなのに、訪ねてきて貰うのは申し訳ないが楽しみにしている。冒頭のそんな言葉の列に、ペシラで会った老僧の温かい笑みが思い出された。
 またお会いしましょう、と言ったのを、導主も覚えていてくれたようだ。それから随分長い年月が経った――そんな言葉で書き始められていたのは、ユニカがクレスツェンツによってビーレ領邦を連れ出されてから八年のことだった。
 故郷が、ブレイ村が“あのあと”どうなったのか、思えばユニカは知らない。知ろうともしなかった。村はユニカが招いた天槍によって塵芥と化し、消えて無くなったと思っていたからだ。

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