天槍のユニカ



惑いの花の香(7)

 ――くずおれる後ろ姿。
 ユニカを庇ったりしたから、大好きな養父は。
「ユニカ、」
 そそ、と絹の寝具が擦れる音で、彼女はディルクが起き上がろうとしていることに気づいた。傷が痛いのだろうに、どうして。
 不思議に思って瞬くと、熱い水がすっと頬を伝っていく。ユニカは慌てて目許を拭い、寝室を飛び出した。
「……如何なさいますか?」
 あとを追ってきたティアナがハンカチを差し出してくるけれど、ユニカはそれを受け取らずに指先で涙を拭う。
「殿下には、早く事態に収拾をつけるためにも傷を癒やして頂きたいわ。言った通りよ。血を抜いてちょうだい」
「畏まりました」
 感心したくなるほどの従順さで叩頭したティアナは、立ちすくむユニカに椅子を勧めて針を取りに行く。
 寝室の中を振り返りかけて、やめた。ベッドから彼がこちらを見ているのを感じる。
 感傷に負けた姿など、誰にも見られたくないのに。



 ユニカが寝室を出て行ってしばらくすると、トレーに小さなグラスを乗せたティアナだけが戻ってきた。
「ユニカは?」
「お部屋へお戻りに。エミに送らせました」
「そうか……」
 ティアナに手伝って貰いながら上半身を起こしたディルクは、燭台の足下に置かれたグラスをまじまじと見つめた。揺れる小さな灯火に照らされ、いっそう赤黒く照り映える、ユニカの血だ。
「彼女はなぜ泣き出したんだ」
「さて、よほど議場で恐い思いをなさったとしか想像することは出来ません」
「弩や殺意に対する恐怖とはまた別な気がするな」
 そうして敵意を向けられること、命を狙われることに対しても勿論怯えを持っているようだが、己の身体の特殊さを理解している分、ユニカは自分の生死を見る目がどこか醒めている。
「俺が怪我をしたのが、そんなに嫌だったんだろうか」
「そうでなければ、こうして特別なものを残していったりはなさいませんわ」
「迷惑そうにされるとなんとも……まぁ、見返りは充分だがな」
 ディルクはティアナがトレーごと差し出してきたグラスを手に取り、ゆらゆらと転がしてみる。中身は一口で飲みきってしまえるほどのわずかな量だが、温まった寝室にはふっと血の臭いが広がった気がした。鉄臭く、生臭く、ディルクには馴染みのある臭いだ。

- 432 -


[しおりをはさむ]