天槍のユニカ



小鳥の羽ばたき(8)

 そろりと部屋へ入るなり、聞き耳を立てていたフラレイは目を瞠った。
 挨拶のキスをすませた僧侶が席を離れると、ユニカも腰を上げた。彼を見送るようだ。
「寒いから見送らなくていい。今日はゆっくり休んでおけ。……これでゴタゴタが収まればいいな」
 フラレイがドアの前を退くと、二人はそこで立ち止まった。ユニカは僧侶の言葉に頷き返すだけだが、その表情はフラレイが見たこともないあどけなさだ。二つも三つも幼くなって見える。ユニカがこんな隙のある顔を見せるとは、この僧侶は一体何者なのだろう。ユニカが心を許しているばかりか、彼女を「城の外へ連れ出そうとしている」なんて。
 ユニカは大人しく髪を撫でられると、名残惜しそうに部屋を出て行った僧侶の後ろ姿を目で追っていた。しかし彼に言われたとおり、その背が見えなくなるとすぐにドアを閉めてもとの席へ戻った。目に見えてしょんぼりしているユニカの前に、王太子の侍女クリスタが、淹れ替えたお茶を差し出す。
 彼女はそのことにも気づいていないようだった。ぼんやりしながら、邪魔なものを避けるように置かれたばかりのカップをどかし、ティアナが持ってきた分厚いノートを開いている。
 フラレイは、彼女が目を潤ませているのに気づいた。どんな状況だったのかは想像するしかないけれど、剣や弓矢を持って襲ってこられればそれは怖いだろう。フラレイも考えるだけで身震いする。
 でも、もう王城にいるのが嫌になったのではないだろうか。だから先程の僧侶とあんな話を……。
「ユニカ様、お城を出て行かれたりしませんよね?」
「……は?」
 ユニカは目尻に涙を滲ませながらも、顔を上げた。唐突な質問だったのはフラレイも承知の上だが、こんなに怖い顔をしなくても良いのにと思う。
 ともあれ、ユニカには身寄りなど無いと思っていたフラレイにとって、あの僧侶の存在は結構な衝撃だった。血縁者かどうかは分からないが、ユニカが無防備な顔を見せるほどには彼のことを信頼している。しかしユニカを外に連れて行かれては困る。
 ユニカは大切な出世の手がかりだ。そういう相手を見つけたら全力でその人を盛り立て、“よいお話”を頂くのがお前の仕事だと、フラレイは父母に散々言い聞かされてきた。ユニカに賭けると決めた矢先、いなくなられては大変だ。
 ユニカは涙目のくせに迫力がある。しかしフラレイは引き下がるわけにはいかなかった。彼女を王城に繋ぎ止めねばならない。どうすれば良いのか分からないけれど、とにかく、今はユニカを安心させてあげるのが良いとフラレイは考えた。
「確かに、ユニカ様の事を快く思わない者はたくさんいるかも知れませんが、きっと王太子殿下がお守り下さいますよ! 今日みたいに」
 王太子の負傷は勿論痛ましい事件であるが、少しばかり心が躍った。やはり彼が、ユニカのことを無下にはしないつもりであるという証拠のように感じたからだ。特別な関係とまではいかなくても、きっと二人は親しくないわけじゃない。だったら、一層二人がお近づきになれるようにするのが、フラレイの使命である。

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