天槍のユニカ



小鳥の羽ばたき(2)

「ちょっと見せてみろ。……ああ、やっぱりな、アヒムのだ」
「え?」
「ほら、サイン」
 エリーアスは本を引っ繰り返して裏表紙を開いて見せる。そこには養父の名が記されていた。「ティアナお嬢様へ」と添えてある。ユニカはエリーアスから奪うようにノートを引き寄せ、ぱらぱらとページをめくってみた。中には、薬草の解説が延々と書き連ねてある。どういうことか分からずに、ユニカはきょとんとしながら大きく瞬いた。
「交換日記だとでも思ったのか?」
「違うわ。でも、だって……」
「アヒムが大学院に通ってた頃、イシュテン伯爵に後見人をして貰ってたんだよ。そうか、ユニカは知らなかったんだな。あのティアナっていう王太子の侍女は、伯爵の娘だ」
 エリーアスの言葉は、どこかで聞き覚えがあった。記憶をたどってみると、いつぞや王太子と夕食を共にした時に、そんな話を聞いた気がする。疑うユニカに対して、彼女は「証がある」と言っていたような。それがこのノート、ということか。
「エリーが彼女のことを知っているのは何故?」
「アヒムの奴な、施療院で風邪をうつされて悪化させて、死にかけたことがあるんだよ。とにかく休養に専念しろってことで、大学院の寮も追い出されて、イシュテン伯爵の屋敷でしばらく面倒見て貰ったんだ。その時、やっぱり俺が手紙やら言伝やら運んでたからな。ティアナとは屋敷で二、三度顔を合わせてるんだが、向こうは覚えてないのか無視してるのか……」
「導師さまと彼女は、とても仲が良かったのね……」
 溜め息のようにユニカが言うと、また薔薇の花を弄んでいたエリーアスはにまにまと笑う。
「ティアナが、『先生、先生』って言いながらアヒムの周りから離れなかったんだ。なんだ、焼きもちか?」
「違うったら」
 ユニカはエリーアスを小突いてから、更にノートのページをめくった。細かな絵まで描いてあり、薬草の見た目の特徴、別名、大まかな効用、色々書いてある。子供が読むには少々難しい言葉もたくさん書いてあったし、字も大きくはない。ティアナはユニカとさして歳も変わらない風だし、養父が都にいた頃と言えば十年くらい前のことだ。七、八歳の子供が読むのは大変だっただろう。
 けれど思い出してみれば、ユニカに読み書きを教えてくれた養父は決して甘くなかった。分からない言葉は、まず自分で辞書を繰って調べること。それを面倒くさがるのは絶対に駄目だよ――と。ティアナに対してもそうだったのだろう。それが彼の信条の一つなのだ。
 ノートは結構な年季ものに見えるほど使い込まれていた。所々、ティアナがインクの色を変えて書き足した部分もある。彼女がこれを大事にしてくれた証だと思った。ティアナも養父のことが好きだったのなら嬉しい。エリーアスが言うように、ほんの少し焼きもちを焼かないでもないが。

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