天槍のユニカ



蝶の羽ばたき(3)

 少年僧は従順に頷くと、二人をおいて控え室を出て行った。
 エリーアスはグラスの水を一気に飲むと、自分に背中を向けさせ、ユニカの頭を掴み引き寄せる。複雑に捻れた髪を見て少し唸った後、彼はとりあえず見えているピンを抜きにかかった。
「彼は、エリーの弟子か何か?」
「ああ。出世するとああいうのが面倒で仕方ない。弟子っつーよりお目付役だぜ。口煩いったらねえの」
「エリーも、あんなふうに誰かの下で教義を勉強していたんでしょう? エリーも教えられる立場になっているということなのね」
「まあ、後継者を育てるっていうのは大事なことだよな。フォルカが一人前になってくれれば、パウル様のことを任せて俺は引退できる」
「……」
 ユニカは、その言葉に何も返せなかった。エリーアスも黙ってピンを抜いている。なるだけ髪を引っ張らないように、という配慮はちょっと足りないので時々痛い。
 その返事は、さっきしたはずだ。ユニカは、王との約束を果たす。だから王城を出るつもりは無いと。
 互いに沈黙していると、エリーアスの手が不意に止まった。シニョンが崩れて、項にはらりと髪が落ちてくる。全部のピンを抜き終わったのかなと思い、振り返ろうとしたユニカの後頭部に、ごちっと何かがぶつかってきた。
「いてっ」
「私も痛いわ」
「勢い余った」
 エリーアスの声が、耳のすぐ後ろから響いてきた。彼は自分の額をユニカの頭にくっつけたまま、何か言おうとして、やはり口を閉じる。大きく溜め息を吐いて、そのままぐりぐりと額をすり寄せてきた。猫に甘えられるのはこんな感じだろうかなどと、ユニカは場違いなことを考えてみる。
 養父アヒムのことは、若いが自分の親だと思っていた。一方その従弟であり、養父と一つしか違わないエリーアスは、ユニカにとって歳の離れた兄のようなものである。
 養父とエリーアスが並んでいると本当の兄弟のように見えるのに、いつも忙しそうな養父と違って、ブレイ村に立ち寄ったエリーアスは大抵ぐうたらと過ごし、アヒムやキルルにせっつかれながら、時たまユニカと一緒に家事を手伝う、そういうことが多かったせいだろうと思う。養父の代わりに読み書きの練習をみてくれることもあったかと思えば、あれはどうやら、キルルに家事の手伝いを命じられるのを逃れるためだったらしい。そういう子供みたいなことをするのがエリーアスだ。
 だから彼に対して、ユニカは養父とまた違った親しみを覚えていた。
 だから余計に辛い。彼のことが大好きであるから。だから本当のことを教えてあげられない。“あの日”、ブレイ村の最期の日々の始まりの日、エリーアスの片恋の相手、キルルを殺したのは、この私だと。
「エリー、私……」
「あいつら、お前を殺そうとしてた」

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