エイルリヒ #リプライきたキャラの書く予定の無い1シーンをツイノベする
ツイッターのタグで募集したネタの掌編です。


 初めて彼の姿を見たのはいつのことだか、もう覚えてもいない。自分は幼く、彼もまだ幼く。ただ、互いに交わした視線は決して友好的なものではなかった。

 大公家に嫁いだ王女ハイデマリーが男児を出産したのは、十九年前。
 その男児が、病気療養という名目でテドッツ郊外のイステル離宮へ移住したのが十二年前。エイルリヒが生まれた翌年のことだ。
 そして大人になった彼が騎士として大公の城へ呼び戻され、戦へ出向くようになったのが四年前。
 彼はこの春、隣国によって占拠された国内最大の金鉱、バルタス鉱山を奪還するという使命を帯びた派遣軍の総督となり、これを見事果たすという戦果を手にした。

 遠巻きに彼の動向を観察していたエイルリヒは、戦勝の一報に身震いした。
 早い。この戦はもっと長引き、トルイユ西部の大貴族連合との全面戦争に発展するだろうと思われていたのに。
 大規模な戦闘が行われたのは五日。たった五日だ。桁が一つ間違っているのではないかとエイルリヒは思ったが、しかし彼が騎士たちを従え都を発ったのは、確かにここひと月以内の出来事だった。
 バルタス金鉱山は、公国の経済を支える血液の源。占拠されるだけでも痛手であった。それゆえ可及的速やかに奪還する必要があったのだが、半年以内にそれが叶えば良いと思われていた戦を、彼はたったの五日で終わらせた。
「詳しい戦況報告書があるはずですよ! 父上のところから盗んできて下さい!」
 彼はいったいどのようにしてこんな奇跡を起こしたのか――エイルリヒは気になって仕方がない。なので先にバルタスから帰還した、そこそこ階級のある騎士を捕まえ当地での行軍の様子を報告させたが、口が堅くて詳しいことは何も分からなかった。
 ある程度の行軍経路や、先行して取り戻した砦の位置は推測出来る。出来るが、エイルリヒの頭に思い浮かぶ戦術では、到底五日でトルイユを撃退することは無理なのだ。
 許せない。彼に出来て、自分に出来ないことがあるなんて。しかしこればかりは、軍閥貴族に教育された彼の方が上手であって当然だろう。
「そんなに気になるなら、大公殿下のところへ行って直接訊いたらいい」
「それが出来そうならとっくに行ってます。でも……父上も僕の我が儘をきく余裕なんてありませんよ、テナ将軍が死んだとなれば、しばらくは……」
 父の重臣の戦死は公城に衝撃をもたらした。バルタスでの大勝は喜ばしいが、代償もまた大きかった。さしものエイルリヒもこの空気を無視することは出来ない。戦況報告が聞けない苛立ちは、せいぜいマティアスに当たり散らすことで紛らわせるしかなかった。ついでにお菓子も食べる。落ち着くには甘いものが一番。
 ああ、もう少し早く生まれていればなと思う。こうして政局が動こうというとき、子供のエイルリヒではそこに手を出すのが難しい。しかし何か手を打たなければ。
 父は、彼を潰す気だ。
 焦りをぶつけるようにクッキーを囓っていたエイルリヒだが、口の中がいっぱいになる前に半分残っていたそれをポイと皿の上に棄てた。
「仕方ない、嫌だけど姉上に動いて貰おう。繊細な真似は出来っこないけど姉上はディルクのことが好きだし」
「お前のことも好きだしな」
「や、やめて下さい! あんなのキスじゃないあんなのキスじゃない! っていうか姉弟だし! 別れの挨拶は初めてに数えなくて良いはずです!!」
 バルタスへの出征前に、騎士でもある姉が「今生の別れになるかも知れないから愛してるって伝えておくわ」とか言って、衆目も気にせずエイルリヒの唇を熱烈に奪っていくという事件があったのだが、それは今どうでもよくて。
「戦況報告書も姉上から流して貰いましょう。ディルクの功績を最大限に美化して喧伝するためには、どうしても詳しい戦況を知る必要があります。姉上にはそういうの、見分けられないから……」
 恐らく姉も、勝利と仲間の死で頭に血が上った状態のはずだ。出来れば相手にしたくないが、姉と彼が都へ帰還する前にその功績をたたえる雰囲気を作っておかなければ、あっという間にテナ将軍戦死の責任を押しつけられて、この先一生罪人扱いだ。
「彼を助けるのか」
 侍従の怪訝そうな声が降ってくる。凄まじい速さで思考を回転させ、協力を取り付けられそうな人物を脳裏にリストアップしていたエイルリヒは、頬杖を外して顔を上げた。
「え、駄目ですか?」
「意外だなと思う」
「君はディルクが嫌いみたいですけど――いやもちろん僕も嫌いですけど、でも敵対したいわけじゃないって言ってるでしょう? 彼は有用です。僕が大公になったら、巧く使いたい。だから父上に潰させたくはないって、それだけの話です。助けるのは、別にディルクのためじゃありませんよ」
 何せ、五日だ。たった五日でバルタスを取り戻した。それも彼が総督として軍をまとめるのはこれが初めてなのに、だ。
 如何に優秀な参謀を従えていようとも、要所要所の決断は総督の彼が責任を持って下しているはず。そうでなければ軍はまとまらないのだから、彼には将として天賦の才がある。そう言って良かろう。
 エイルリヒに出来ないことが彼には出来る。かと言って手を取り合おうとは思わない。ただその才能を利用したい。そのために、ここで彼のすべての命運を絶たせるわけにはいかない。
 エイルリヒは目を瞑り、誰にどのような援護を頼もうか考えることに集中する。しかし眼裏に浮かんできたのは、静かで冷たい敵意の炎を燃やした、湖水のような青緑色の瞳だった。
 あの日の、彼の瞳。
 エイルリヒが生まれたときから、周りには彼の影がつきまとっていた。彼にはエイルリヒの影が。お互いそれに足を引っ張られ、いい思いをしたことはないだろう。
 しかし、初めて彼の姿を見たあのとき、彼が初めてエイルリヒの姿を目に映したあのとき、それぞれにつきまとう影の正体を知ったあのとき。
 同じ呪いのもとに生まれてきた者同士の、切っても切れない何かを感じた。まるでもう一人の自分を見つけたような気さえした。それはすぐに彼への嫌悪へと変わったが、あの日のことは、何故か忘れ得ないのだ。
 まあそんな不確かな理由も、今はどうでも良い。彼を生かすべきというのがエイルリヒの判断だ。功を奏すかどうかは分からないが、エイルリヒの手の届く範囲で助力してやろうと思う。

 恐らくこれが、エイルリヒから彼になんらかの働きかけをした最初の出来事だ。
 彼を兄と呼ぶ日が来ようとは、そして彼がシヴィロ王国の世継ぎとなり、自分が臣下として仕える立場になろうとは、まだ思ってもいなかった、さる夏のことである。



20150504

[home]