あいのかたち
アネクドートの『親子定義』を読んでいないと分からないネタかもです。kataribabbsに書いてたら止まらなくなったユニカについての妄想、エリーアス視点バージョン。


 エリーアスがブレイ村に立ち寄る時、短くても二、三日は滞在してゆくのが常である。昨日ペシラからやって来た彼は、いつものようにアヒムの家に泊まり、明けて、次の日の午前。
 朝の礼拝を村人達の一番後ろで済ませると、エリーアスはさっさと導師の家に退散していた。伝師に儀式を行う資格は無いし、導師を手伝うことくらいは出来るが、時々彼をアヒムと間違えて話しかけてくる、主に視力の弱った年配の村人がいるので、いちいち「アヒムはあっちです」と説明するのが面倒だった。それに、暑いし。
 エリーアスは黒い法衣を脱ぎ捨てて、食堂を兼ねた居間でぐったりしていた。一つ年上の従兄はこんなものを着て涼しげに微笑んでいるのだから、不思議なものだ。「エリー、アヒムを手伝う気が無いなら裏の畑に水をやってきてよ」
 朝食の片付けをしていたキルルが、わざわざ居間までやって来てそう言う。エリーアスはテーブルに突っ伏したまま唸った。
「畑だぁ?」
「アヒムのハーブの畑よ。暑くなる前に水をあげて」
「もう暑いんだけど……」
「働かないのならお昼ご飯は無しよ」
 この暑気にあてられて弱った顔を見て貰おう、と思ったエリーアスだったが、のろのろと顔を上げてみるとキルルは既にいなかった。何となく虚しく切なくなったが、水やりをしなかった場合自分に待ち受ける運命は深刻だ。キルルのご飯が食べられないなんて。
 家に帰ってきた時くらいゆっくりさせろよ俺は年がら年中旅しててへとへとなんだぞ、と大声で抗議しても良かったが、前に一回やってみたところアヒムからは「ここは私の家だから」、キルルからは「ここはアヒムのうちでしょ」、ユニカには……ユニカはまだこの家にいなかったか。とにかくにべもなく返された記憶が蘇ったので、エリーアスは大人しく労働で一宿の恩義(今日も明日も泊まるつもりだが)を返し、その間の食事を保証して貰うことにした。
 まずは水を汲みに井戸へ向かうと、ユニカがよししょよいしょと釣瓶を引っ張り上げている所だった。井筒を目安に見てみると、アヒムの家にやって来てから彼女は背が伸びたようだ。時々好き嫌いもするそうだが、何でもよく食べるようになってきてくれた、とアヒムが惚気ながら言っていたのを思い出す。
 子供なりに逞しく成長しつつあるユニカだったが、まだ水で一杯の釣瓶を引っ張り上げるには彼女の腕は細すぎるらしい。桶は見えるところまで上がってきたが、ユニカは片手でロープを固定し、もう片手で釣瓶を引き寄せる動作が出来ずに硬直した。多分、片手を放せば釣瓶は再び井戸の底、頑張ってしがみつけば自分も道連れ、と言うことは予測出来るのだ。
 エリーアスは笑うのを堪えながらユニカの背後へ近づき、黙ってロープを掴んでやった。
 ユニカは驚いて振り返り、ぱっと嬉しそうに瞳を輝かせたあと、「あれっ?」という顔をした。
「導師さまじゃない、とか思ったんだろ」
 彼女は慌てて首を横に振る。けれどその焦りようが、誤魔化せていない。まぁいいけど。アヒムに間違えられたあと「よく見たらエリーアスだ」というリアクションには慣れている。
「これ、畑にやる水か?」
「うん。あっち、お薬の畑」
 なんだユニカがやるなら俺はいいんじゃないか、と思ったエリーアスだったが、水を満杯にした桶を半ば引きずるように引っ提げてよたよたと歩くユニカを見ると、手伝わないわけにもいかなかった。というか、キルルは初めからユニカを手伝ってこいと言いたかったのだろう。
 二人で水を運び、ハーブの傍に屈み込んで、手でパシャパシャと水を撒いていく。これは良い。なんてったって水が冷たくて気持ち良い。
 ユニカはせっせと水を撒いていくが、エリーアスは桶に手を突っ込んだまま。ちょっと横へ移動する時だけ腰を浮かせて、また冷たい手浴を楽しんでいるうちに、いよいよユニカにも鬱陶しそうな顔をされた。
「あ、ごめんごめん」
 また水を汲みに行って、今度は真面目にユニカを手伝うエリーアス。あと三度はそれを繰り返して、ようやく水やりは終わった。
「結構骨が折れるな……」
 エリーアスは、背中を伸ばしがら唸った。するとユニカはさっと青ざめる。何となく、どんな勘違いをしているのか分かった。
「いや、ほんとにぽきっといってるわけじゃないから。別にアヒムは呼んでこなくて良いぞ」
 ほっとしつつも言葉の無い彼女は、空の桶を井戸の傍へ戻しに行った。これで昼食は確保されたことだし、さっそく昼寝をと考えながらその後をダラダラとついて行こうとしたエリーアスは、電光石火の勢いで駆け戻ってきたユニカに進路を塞がれる。まだ畑の前から数歩も離れていない。
「どした?」
 ユニカは、何故だか思い詰めた顔である。
「エリーにお願い」
「ん、なんだ」
「こっそり、練習したいの」
「練習?」
「……導師さまのこと、“父さま”って呼ぶの」
「………」
 屈んでユニカに視線を合わせつつ、そう言われてエリーアスは少し黙った。
「え、呼んだらいいんじゃねえの?」
「その、練習!」
 何故だか頬を染めて珍しいことに声を張り上げるユニカ。そしてむつっと唇を引き結んだ。
「ああ……練習が必要なんだ」
 よく知らんが“導師さま”と呼び慣れたアヒムを、今更“父さま”と呼ぶのは照れくさいとか、そういう話だろう。顔のよく似たエリーアスで“練習”したいというわけだ。察しの良い彼はちょっと呆れたが、またそんなユニカを可愛いとも思った。というかこの顔、アヒムが見たらぎゅぎゅっと抱きしめていそうである。
「分かった。よし、好きなだけ練習しろ。ただし木陰でな」
 木陰に移動し、エリーアスは木の幹に背中を預けて座った。向かいには、ユニカが姿勢を正してぴしっと直立している。
「んじゃー、いつでもこい」
「はい」
「………」
「………と、」
「………」
「…………と、」
「………」
「……っと、」
「“ととと”じゃなくて“父さま”だろ?」
 思った以上に抵抗があるようである。違和感なく言う練習かなーとか、可愛く言う練習かなと思ったが、そもそも言葉にもならないとは。エリーアスが笑いながら駄目を出すと、ユニカは不満そうに口を尖らせた。
「……エリーはもっと導師さまっぽくしたほうがいい」
 まさかの注文。エリーアスは一瞬頬を引き攣らせたが、純真なユニカの依頼を受けた以上は付き合ってやらねばならないと思い直す。
 多分アヒムは、こうやって姿勢を崩して座ったりしないだろう。暑いからってだるそうな顔もしない。割といつも澄まし顔だ。それがムカツクという人間も、エリーアスを含めちらほらいるが。
 エリーアスは仕方なく立ち上がって背筋を伸ばし、従兄がユニカを見つめる時の表情を思い出してみる。
(こんな感じ……)
 澄ました慈悲深そうな顔。その皮一枚下では可愛いなぁうちの子は誰に自慢しよう、とかきっと思っている顔。鏡が無いので出来ているかは何とも言えないが、多分、こんな感じだ。
 それともっと自然なシチュエーションの方が良いだろう、と思いついたエリーアスは、ちょっとだけサービスすることにした。予告なく、ユニカを抱え上げた。アヒムは、寝る前にユニカが挨拶をしにくると、いつもこうして額にキスをしている。
「こうやって貰った時に言ってみろよ。アヒムはものすごく喜ぶはずだぞ」
 抱き上げられたユニカはびっくりして目を瞠ったが、それを聞くと決心したように眉をきゅっと引き絞った。勇ましい表情はすぐに解け、何故か泣きそうな顔になる。
「と、う、さま」
「もっかい」
「父さま」
 耳までかーっと赤くなりながら、ユニカは強く言い切った。この頑張ってる感じもアヒムはお気に召すことだろう。やっぱり恥ずかしくて堪らないのか、泣きそうな顔のユニカを地面に降ろし、エリーアスはよしよしと頭を撫でてやる。
 しかし不意に寒気を感じ、彼はふと顔を上げた。
「畑に水をやってくれていたのかい?」
 にこにこと、いつもの人の良い笑顔でアヒムが教会堂の裏手から歩いてくる。村人がみんな帰ったのだろう。彼は黒い法衣を着たままだ。見てるだけで暑い、と思ったはずなのに、アヒムと目が合ったエリーアスはやはり何故かぞくりと寒気を感じた。
「おう、終わったとこ。っていうかお前、導師の仕事ちゃんとしてるんだよな。その傍らよくこんな土いじりなんかしてる余裕が……」
 アヒムはユニカの頭をくしゃくしゃと撫でる。いつもならここでユニカに向き直って微笑みかけるはずだが、今日はそれが無い。ん? と思った次の瞬間、エリーアスの肩を叩きながら、アヒムはずいっと顔を寄せてきた。一度肩に乗ったはずの手は素早く移動し、エリーアスの胸ぐらを掴んでいる。ユニカに見えないように。
「なんで君がユニカに“父さま”なんて呼んで貰ってるの。しかも二回も」
 小さな声だが聞いたこともない低音で、アヒムは唸った。
「ちょ、ま、待て」
 そのまま木陰を作る木の幹に背中を押しつけられる。い、痛い。
「私だってまだ一回しか呼ばれてないのに、それも言った言葉の上にたまたま“父さま”って転がってただけなんだよ」
「いや、れ、練習だよ練習。お前のこと“父さま”って呼ぶ――」
「だからってなんで二回言わすんだい」
 拘るのは回数なのか!? それにしても、このまま首も絞められそうだ。いや実際胸元でねじり上げられているせいでシャツの首回りが締まってきている。
 けれどふとアヒムの力は弛んだ。見れば、ユニカが養父の腰にぎゅっとしがみついている。目を合わせず頭を撫でられたくらいでは、何となく無視された気分なのだろうか。少なくとも、アヒムの凶行には気づいていない。
「と……!」
 アヒムを見上げたユニカは、大きな青い瞳を涙でいっぱいに潤ませて口を開いた。アヒムも、エリーアスもその先が聞けるのかと思わず身構える。奇跡の瞬間を待つ気分だ。
「………!」
 しかし大きく口を開けたまま、養父と目が合うなり硬直するユニカ。そのままちょっと待ってみたが、彼女は動かなかった。そうしているうちに、ひらひらと飛んできた大きな蝶が、ユニカの鼻先にとまって彼女の視界を塞ぐ。だから、虫嫌いのアヒムが盛大に顔を引き攣らせたのを見たのはエリーアスだけだ。
 ユニカはただただびっくりしたらしく、ひゃっと悲鳴をあげてアヒムから離れた。自分で蝶を追い払うと、間の抜けたその場の雰囲気に気づいて悄然と項垂れた。
「……えーと、水やりありがとう、ユニカ。午後からロヴェリーさんに持って行く薬を作らなくちゃいけないんだ。ハーブを摘むの、手伝ってくれるかい?」
 そう言いながら、アヒムはエリーアスを解放した。ほっと息を吐きながら、エリーアスは屈み込んで娘を慰めにかかる従兄の背中を見下ろす。
 親子の形なんて結構いろいろあるものだ。
 それだけ愛し合っていれば何の問題も無いさ、と、言ってやるのは俺の役目なんだろうか?



20130712

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