15の夜アフター
ディルクさんが15歳の成人の儀式を済ませた日の夜、ルウェルに連れられて遊びに行った先は…な話。色々とすみません。(先に謝る)




 別れの挨拶がてら、夜明けのあとにももう一度戯れに抱き合い、お互いにほどよく満足したところで身体を離した。
 女は上等な絹のシーツでなめらかな肌をくるみ、鏡台の前に座って機嫌のよい猫のように身繕いを始める。さっきまでこの手に絡んでいた長い髪を掻きあげ、鼻歌をうたいながら念入りにブラシを入れるその後ろ姿は、やっぱり毛繕いをする猫だ。
「なんの歌?」
「あら、あなた達騎士さまを迎えるときの凱歌よ」
「ふーん」
 ルウェルは本当にただ「ふーん」と思っただけだった。
 鏡の中から微笑んでくる女に燃え上がるような想いもなければ、何度かこうして寝たことのある仲で、お互いに相性は悪くないと思っている、その程度の親しみしかない。
 シャツは羽織ったものの眠たそうに大あくびをしているルウェルを見て、鏡の中の女は悪戯っぽい笑みを浮かべ、シーツを巻き付けて作った優雅な衣装を引きずり寝台へと戻ってきた。
 そしてにゃむにゃむとあくびの余韻を飲み込めずにいるルウェルのはねっ毛をブラシで梳いてくれた。
 その手つきもルウェルに向ける視線も、恋人というよりは出来の悪い弟の面倒を見るかのよう。今し方まで睦み合っていた男女の空気はまるでない。
「小さなお連れさんは迎えに行ってあげなくてもいいの?」
「寝てるんじゃねぇかなぁって」
「起きるまで待つ? じゃあ何か食べていくでしょ?」
「あー、喉乾いたし果物が食いたい。りんごとか」
「りんご! ルウェルがりんご!」
「なんだよ、俺だってりんごくらい食うよ」
「分かったわ。剥いてあげる」
 そう言ってテーブルの上に盛ってあった果物の中からりんごとナイフを掴み、女は再び寝台へと戻ってくる。
 ルウェルはすかさず彼女の膝に首を預けた。女は拒まない。
 持ってきたりんごをルウェルの鼻先に押しつけ香りを確かめさせると、にわかに艶を含んだ目になってルウェルの鼻がくっついているのとは反対側に己の唇を押しつける。
「早く剥いてよ」
「うふふ」
 少年のように甘えた声でルウェルが言うと、女は目を細めて笑い、ようやくりんごにナイフをあてがった。
 その時。
 りん、と扉に括り付けられた鈴が鳴った。鈴には細い針金がついていて、扉の外と繋がっている。この部屋の呼び鈴だ。お楽しみの最中には扉が開かないようになっているゆえ。
「何かしら」
 りんごごとともに寝台に置き去りにされたルウェルは、一瞬だけ女の背中を視線で追いつつもすぐに胸の上に置かれた果実に興味を移した。剥かなくても食えるな、そういえば。
 待ちきれずに紅い皮に歯をたてる。渋くて酸っぱくて、でも甘い。今年採れた最初のりんごはみずみずしかった。
「ルウェル、お連れさんは起きているってよ」
「んご」
 ルウェルは驚いたものの、へぇ〜早起き〜と感心しながらりんごをかじったまま身体を起こした。


 さてさてどんな顔をしているかと楽しみに客室のある二階から降りて行くと、連れはロビーの椅子の上でうずくまっていた。
 階段の途中でその姿を見つけたルウェルは、昨夜をともにした女と顔を見合わせる。
「ディルク?」
 椅子の上で縮こまってはいるものの、その少年から醸し出される「こっちくんな」のオーラはすごい迫力だ。とはいえ、ルウェルも女も気にしちゃいない。
「どしたの」
 ルウェルが声をかけても無視。どころかもぞもぞと動いて身体をさらに小さくする。
「起きてからずっとそうやってむくれているのよ」
 そこへやってきたのはブルネットの髪をきれいに巻いた小柄な女だった。顔つきも幼い。
 十代の少女のように見えるが、これで二十二を数えたルウェルと同い年だ。年齢の話は御法度だが。
 彼女は両手で大事に包むように陶器のコップを持っていた。ふわふわと白い湯気が立っている。
「ミルクを温めてきたわ。飲まない?」
 どうやらディルクのために用意してくれたらしい。
「……」
 自分は石ですと言わんばかりにディルクは反応しなかった。
 何を拗ねているんだろう、と彼の様子を見下ろしながら考え、ルウェルはふと思いつく。
「もしかしてうまくいかなかったとか?」
「――訊くなよ!」
 するとようやくディルクが顔を上げた。そして真っ赤な顔をして叫ぶ。
 え、この反応はつまりそうなの。と一瞬気まずく思ったルウェルだったが、ミルクを持ってきた女が無邪気に微笑みながらディルクの代わりに答えた。
「そんなことないわ。ちゃんと上手に優しく出来ていたわよ」
「あんたも答えるな!」
 それにさえ噛みつき、ディルクは再び椅子の上で丸くなる。
「お世辞で言ったんじゃないのに……」
 女はまるで解せないようで、頬に手を当て頑なな少年を不思議そうに見ている。ルウェルの腕にしなだれかかっている女もだ。
 ディルクの気持ちはぜんぜん理解できなかったが何を思っているかはなんとなく分かったので、ルウェルは自分にまとわりつく女の腕を丁重にほどき、ディルクが飲もうともしないミルクを代わりにいただき、かじりかけだったりんごも急いでばりばりと食べきって、二人や宿の主に丁寧に丁寧にお礼を言ってお代を払った。
「じゃあ、帰るか」
 その間も置物のように動こうとしなかった少年を促し、ルウェルはその宿をあとにした。


 街はすっかり動き出していた。気怠い空気が絶えず漂っている娼館街を抜け出ると、仕事場へ向かう前に食堂で朝食を食べる職人達や、朝市をにぎわす売り手買い手の女達が発する元気のよい声が実に爽やか。
 ハンネローレ城へ帰る前にどうせなら温かいものを食べていこう。その提案にディルクは逆らわず、けれどお葬式に向かうようなどんよりとした顔であとをついてきた。
 天幕の下で椅子とテーブルを広げたにぎわしい庶民の食堂に腰を落ち着けても相変わらず。
 チーズで煮込んだ麦粥と素焼きにした鶏肉にハーブと塩を振りかけただけの料理を注文する。それが届いてからもディルクはむすっとして行儀よく座っているだけだった。
「何怒ってるんだよ」
「……怒るに決まってる」
「なんで?」
「あんなところに連れて行かれるなんて聞いてなかった」
「あーはいはい、気持ちの準備がぜんぜん出来なかったってことね。でもいーじゃんちゃんとやれたなら。おめでとー」
「お、おめでとうじゃない……!」
「いやおめでとうだろ。これで真に大人の男になれたわけで」
 かぁっと耳まで赤くなるディルク。このところこんなに愉快な動揺の仕方をする彼を見ていなかったので、ルウェルは単純に面白かった。
 そして朝ご飯がおいしい。帰ったらよく眠れそうだ。
「つっても一回ぽっちで次いつ経験出来るか分かんねぇってのもアレか。来週行く? それならまたユリウスに金もらうけど」
「昨日のもユリウスの金だったのか……!?」
「うん。おまえにちゃんとした女の子つけてやってって。いい子だっただろケネル。優しそうだし、ちっこいけど胸はけっこーでかいし。あ、俺は寝たことないよ? ん、大丈夫?」
 ようやく麦粥を食べるためにスプーンを手に持っていたかと思えば、何故かそれを皿に突っ込んだままディルクは机に突っ伏した。
「な、なんでユリウスが……」
「だから、成人の儀式にいるものなんだって。ほんとならおまえの婚約者とかが相手なんだろうけどさーおまえそういうのいないし、てきとーな貴族のお嬢を連れてきても多分おまえ手つけないじゃん? 遠慮して。それならちゃんとした子にいろいろ習った方がいいんじゃねーっていうのが俺とクリスの意見だったの。実際転がってるだけの貴族のお嬢よりいろいろしてくれただろ? 詳しくは聞かないけど」
「クリスも知ってるのか……!?」
 勢いよく身体を起こすものの、ルウェルが「え、うん」と何気なく頷けば、ディルクは再びテーブルに沈んでいった。
「もう二人の顔をまともに見れない」
「なんだよもー。通過儀礼じゃん、ちゃんと出来たならいいじゃん。立派だぞディルクー、何も恥ずかしがることはないぞー。だから来週また行こ」
「いやだ」
「またまたぁ。まあとりあえず空腹が満たされれば元気も出てくるって。そんで次もやってみたくなるって。食べろ食べろ」
「……」
 次に興味がないはずもなかろうに、顔を上げたディルクはやはり渋面で真っ赤なままだった。
「帰ったらユリウスに報告しようなー」
「するなっ! しなくていい」
「いやいや、資金提供元にはしっかり結果報告しないとだぞ。それにほら、男親として心配してくれてんだから」
 ぐっと息を呑み、ディルクは冷め始めた麦粥をかき回す。彼が養い親を愛してやまないのは知っているので、この様子ならルウェルが報告義務を果たしても蹴られたりはしなさそうである。
 そしてディルクと一緒に遊びに行ける場所が増えたなぁと、純粋に嬉しいルウェルだった。



執筆 20170515
掲載 20171114

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