現代パロディD
ついに出会う二人……!?前回のお話はこちらです。



 陽射しはいよいよ夏の厳しさを帯び始めた。
 そのぎらぎらした輝きが盛りに達する前に大学に到着しておこうと思い、ディルクは朝の涼しいうちに部屋を出た。
 大学までは徒歩圏内。ヴァイオリンと楽譜とCDを詰めた鞄を背負って、木陰を選びながらてくてく歩く。
 早く大学についても、管弦楽部の今日の練習が始まるのは午後からだ。時間はたっぷりあったので、朝食メニューを充実させている構内のカフェで朝ごはんをのんびり食べ、しばらくそこでプレーヤーに落とし込んできた曲を聴きながら楽譜を読み込むつもりだった。
 しかし午前十時を過ぎると、二コマ目の講義の開始を待つ学生達が徐々に増えてくる。つまるところうるさい。
 なので、結局大した時間は落ち着けないままディルクは図書館へ移ることにした。
 カフェを出るとだいぶ陽射しが強くなっていたのでうんざりしつつ、図書館へ向かう道すがら、ディルクは別方向から歩いてきた女子学生にふと目を留めた。
 彼女は鞄を肩にかけ、両腕で数冊の本を抱きしめながら歩いてくる。すっかり夏の装いで、大きなフリルのついた半袖から伸びる白い腕や、膝丈のスカートの薄い生地がひらひら揺れている様子が軽やかで涼しげだ。
 言うなれば、なんの変哲もない女子だった。
 向こうはディルクなど意識の隅にも入れず、まっすぐ図書館へと吸い込まれていった。
 はて、それなりに可愛い子ではあったが、何故彼女が目に留まったのか……ディルクは自分でも分からなかった。
 その背に続いて図書館へ入ると、彼女は迷わずカウンターに向かった。本の返却手続きだろう。普通のことだ。
 黒髪が揺れる背中を横目に、ディルクは四階にある学習机のスペースを目指した。
 学習スペースには衝立と棚と照明を備えた机が二十ほどそろえてあり、四階、五階の持ち出せない専門書を広げながら勉強する学生達のためにほどよく冷房が効いていた。
 試験が近いと席がないこともあるが、今は一コマ目の講義の時間とあって学生はまばらだ。
 ディルクは窓に向かって設置された机の一つに荷物を下ろした。この並びの机は自然光を取り入れられるよう棚に窓≠ェあって、その向こうのガラス窓からよい光が入ってくる。棚と衝立に囲まれた半密室のような机より、ちょうどよい開放感があって、実はディルクのお気に入りだ。
 ようやく静かなところに落ち着き、先ほどまで読んでいた楽譜を広げ、耳にイヤホンを差し込んでしばらくした時だった。
 同じく窓に面した隣の机に、先ほどの女子学生が鞄を置いた。
 衝立の縁から見える彼女にちらりと視線を投げかける。
 やはりディルクのことは気にかけてもいない。鞄からごそごそとノートやペンケースを取り出し、ディルクと違って真面目に勉強を始めるようだった。
 なんだかどこかであったことのある気がする子だ……。しかし思い出せない。
 ううん、話したことがある女子なら名前は覚えているはず。そして向こうもディルクのことを覚えているのが普通だ。
 ところがこの子はディルクを学生Aとしか認識せず空気と同じ扱いだから……話したことはないのだろう。むしろ面識があってこの扱いはへこむというもの。
 直接耳に流れ込むオーケストラの音にはまったく集中できないままディルクが思案していると、くだんの女子学生はクリアファイルから取り出したメモを持って席を離れた。資料を探しに行ったのだろう。
 思い出せないし、ま、いっか。
 ディルクは自分の机に視線を戻そうとした。が、しかし。
 彼は隣の椅子の足許に白い封筒が落ちていることに気づきイヤホンを外した。
 封筒には大学のロゴをアレンジした我が管弦楽部のマークが箔押しされていたからだ。
 この封筒は大学の関係者やOBなど、部にとってのいわばVIPに定期演奏会のチケットを配る時に使用するものだった。一般の学生に販売されているチケットは箔押しの封筒には入れられない。
 あの子が落としたのだろうか。しかしどうしてこの封筒入りのチケットを?
 ディルクは怪訝に思いながらもそれを拾い上げ、中身を確かめる。
 特別な招待客はたかだか三十名。よい席を用意してあるから、座席番号を見れば誰が誰に配布したチケットか分かるかも知れない。
 そして、思った通りチケットの配布元が分かった。
 自分だ。
 しかもこれは伯母に言われて用意したものだ。
 これを伯母に渡したいきさつが稲妻のように脳裏にひらめき、ディルクは納得しながらも驚いた。
 彼女はEの子……じゃない、ユニカだ。

     * * *

 分厚い資料本を持って席に戻ろうとしたユニカは、隣の席に座っていた男子学生がおもむろに振り返ったのに驚いてびくりとしながら足を止めた。
「落としたみたいだよ」
 そんなユニカを宥めるようににこりと笑い、青年は白い封筒をひらひらと揺らす。
「あ……」
 つい先ほど貰ったばかりの封筒だった。クリアファイルに挟んであったが、メモを取り出す時に落としてしまったらしい。
「ありがとうございます」
 本を置いてから、ユニカは恐る恐る学生に向けて手を伸ばした。
 知らない異性ついつい最高出力で人見知りを発揮してしまい、お礼の声は消え入りそうなほど小さくなった。しかし相手は笑顔のまま「どういたしまして」と頷き、耳にイヤホンを差し込んで机に向き直る。
 彼がこちらを見ていないことを承知の上で、ユニカは衝立の縁から見える横顔にもう一度ぺこりとお辞儀をした。
 緊張でまだ少しどきどきしている胸を鎮めつつ、ユニカは封筒を開けた。
 入っているのはこの大学の管弦楽部が主催する夏の定期演奏会のチケット二枚。ついさっきクレスツェンツがくれたものだ。
 この間、「いいものをあげるから、一度わたくしの研究室へ来なさい」という謎のメッセージを貰ったので、ユニカはようやく忙しいクレスツェンツと予定を合わせて、彼女のもとを訪ねた。そして渡されたのがこれだ。
 いわく、「アヒムと一緒に聴きにおいで」。
 管弦楽部はかなり本格的な活動をしているという話を聞いたことはあったが、特別興味もなかったので、クレスツェンツからのプレゼントはまったく思いがけないものだった。
 クラシックを聴いても分かるかなぁと心配だったが、そんなユニカの懸念を見透かしたように、夏の演奏会は秋の演奏会よりもずっと砕けた雰囲気だからとクレスツェンツは説明してくれた。
 公演時間は土曜日の午後。夕方のほどよい時間に終わるので、よかったらそのあとアヒムと三人でご飯を食べに行こう、という一押しもあったので、ユニカはこっくりと頷いてチケットを貰ってきたのだった。
 それにしても、管弦楽か……。あれだ、ヴァイオリンがいっぱいいてピカピカの木管楽器がいっぱいいて、シンバルがジャーンと鳴るやつ……くらいの認識しかなかったが、ここ数日何やらご縁がある。
 と、思ったら、早速スマートフォンがぶるぶると震えた。
 届いたメッセージを開いてみる。
『今日は学校でしょ! ディルクは見つかった?』
 あわわ、今日も来た。
 先日とあるカフェでお知り合いになったお姉さん――もといレオノーレからのメッセージだった。
 ユニカの大学にイケメンの兄が通っているから、是非探してみよと彼女は言う。メールアドレスを交換してしまった時はてっきりその「イケメンの兄」の写真を送ってきて満足したのかと思ったが、数日後「ディルクを見つけた?」とのメッセージが届くようになった。
 今のところ、それだけで怖いことは言われていない。しかし、そもそもレオノーレのイケメンの兄を探すつもりがないのでユニカはあいまいな返事しか返さなかった。ところ、「ちゃんと探してよ!」と怒られてしまいどうしていいのか分からない。
(ヴァイオリンを担いでるんるん歩いてるお兄さんって言われても……)
 そう、ヴァイオリンだ。その兄は管弦楽部に入っているらしい。ということは、定期演奏会で見つけることが出来るかも……。
 演奏会を聴きに行くことはレオノーレに教えておこうかな、と思いながら文字を打ちつつ、いつの間に彼女とこんなに友達っぽくなったんだろうかとうっすら疑問に思うユニカだった。
 そしてそのメッセージを送信する前に、ユニカはふと思った。
 あれ? そういえば。
 隣に座っている学生さんは、ちょっと不思議なフォルムの荷物を机に立てかけてあったような……。
 思い立ったらじわじわ気になり、ユニカは姿勢を正すふりで身体を起こしつつ、さりげなく隣の青年を横目に見た。
 するとやっぱり、ユニカと反対側に黒くてつやつやした、曲線も美しいケースを持っている。あんな丸っこいケース……少なくとも参考書やノートは入っていないだろう。
 それに、イヤホンで一心に何かを聞きながら時々鉛筆を走らせている彼の髪は金色だ。
「……!」
 慌ててメールの画面を閉じ、レオノーレに貰ったイケメン兄の写真を開いてみる。わぁ、金髪だ……!
 衝立が邪魔で隣に座っていては横顔を確かめられないのがもどかしかった。さっき微笑みかけてきた彼はどんな顔だっただろうか……!? 直視できたのは一瞬なのでよく思い出せない。
 でも、ものすごくレオノーレのイケメン兄っぽい。
『もしかすると隣に座っている方かも……?』
 一度打った文面を削除し、恐る恐るそう書き直して送信してみる。
 すると数十秒で返事がきた。
『なんですって! 電話するわ!!』
(えっ電話!?)
 一瞬、ユニカのスマートフォンが鳴るのかと勘違いして驚いた。しかし電話番号は交換していない。ということはつまり。
 ブーン、ブーンと、隣の席からバイブレーションの音が聞こえてくる。
 ユニカが跳ね上がらんばかりにびっくりしたことには気づかず、隣の青年は頬杖を外して机の上を探り始めた。さらさらした明るい色の金髪が揺れて――横顔は見えない。
 電話!? 偶然だろうか? それともそれはレオノーレからの着信? 兄が出たらレオノーレはなんと言うのだろう?
 隣にユニカがいるかも知れないと――言われても、兄はわけが分からないだろうし、ユニカだって紹介されてもわけが分からない。そもそも自分とレオノーレの関係も謎なのだから。
 もしそれがレオノーレからの電話だったら出ないで……!
 ユニカは必死に祈りながら身体を強張らせていた。
 すると――
 はぁ、と溜め息を一つつき、青年は何かを――多分スマートフォンを机の上に置いた。
 ユニカも遅れて細々と溜め息をつく。安堵のために気が遠くなりそうだった。
 そして、今度はユニカのスマートフォンが震えた。
『出てくれなかったわ。マナーにしてあるみたい』
 不満そうな顔文字にユニカは苦笑し、なんと返事を打とうかと指先をさまよわせた。
 「そうですか」、だけだとそっけないかしら。でも、「残念」なんてつけるのも変だし、むしろ出られなくてよかったし。横顔が見えたことにしておく――と嘘をつくことになるし、もしかしたら隣の彼がレオノーレのイケメン兄ではない可能性もゼロではないのだ。
 うーん困った……。
 ユニカはスマートフォンを片手にもう一度溜め息をついた。


 ディルクはレオノーレからの着信を無視したあと、うつむいていて凝りそうになっていた首と背筋を伸ばした。そして曲の聴き飛ばした部分をもう一度再生するため、ポータブルプレイヤーを手に取る。
 そのとき、ふと視界に入ったユニカは何やら難しい顔をしてスマートフォンを睨んでいた。そして物憂げに溜め息をつく。
 おやおやどうしたのだろう。気にはなったが、今は面識がないことになっているし、こんな地味なところで突然声をかけるのもなんとなく嫌だ。
 どうせ今度の演奏会で伯母に紹介されることになっているのだから、きちんと挨拶をするのはそのときにしよう。
 こちらの視線に気づかないユニカの横顔をしばし楽しみ、ディルクは口の端に笑みを浮かべながら視線を楽譜へと戻した。

(出会っ………た?)

20170607

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