厭悪と愛念
「はぁっ、ん…はっ、ああ..!」
最後の一突きを入れてやると 、彼は2回ほどビクビクと体を大きく跳ねさせ、ぐったりと腕を投げ出した。
「ほ……ずき…?」
汗ばんだ髪を額に張り付けたまま赤らめた顔で腕を伸ばしてくる彼を、何も言わず抱きしめる。その瞬間にふにゃりと綻ぶ表情が、いつも自分をなんとも言えないような感情にさせるのだ。
彼とこんな関係が始まってどのくらい経つのだろう。それすら分からないくらい曖昧な関係や感情を持ちながらこういった時間をすごしている。聞こえは悪いが、お互いにその曖昧なものの捌け口としてこの時間があるのだと思う。実際どちらから始めたわけでもなく、それぞれ同じような心持ちでいたため、何の抵抗もなかった。
ひとつあるとすれば、百戦錬磨だとか何とか言う彼の方だろうか。女性関係で十分経験のある彼が今私の下にいるのも、相手からすれば複雑な思いなのだろうが、こうなってしまうのだから仕方がない。
「ねぇ、明日は早いの?」
身体の熱が冷めたのか、彼は目を開き私に問いかけた。
「そうですね、いつも通り早いですよ。」
「そっかぁ、常勤も大変だね。」
そう言いながらクスクスと笑って、抱きしめる手に力がこもった。
「貴方と違って暇じゃないんです。」
「ひどいなぁ、僕だってちゃんと仕事してるんだけど。」
「仕事といえば女性方にセクハラともとれるような声をかけているのは誰ですか、まったく…」
不満げでバツの悪そうな顔をしている彼に呆れ顔で言い放つ。「女の子だって嫌がってないんだからセクハラにはならない」と力説する彼をよそ目に、相手に向けていた体を仰向けにした。すると、彼は私の左腕に体を寄せる。
「どうしました、今日は。人肌恋しくなりましたか?」
「ちがうよ。気持ち悪いな。」
そう言うとさらに体を近づけ、腕に組み付いてくる。
「私だっておぞましい限りですが、行動と言動が伴ってません。」
彼は顔をさらに顰めさせるが、抱きついた腕には力がこめられる。何分かこの状態での沈黙が続き、お互いに何やら考えていると彼の方が先に口を開いた。
「わかんないよ僕にだって。」
先ほどの続きなのか、腑に落ちないような顔の彼の話を、何も言わずに聞いていた。
「お前のこと大嫌いなはずなのに、いつもお前が帰るのがなんかすごくもやもやするんだ...。」
そう言うと私の左腕に額を当て、布団の中に隠れるようにして「うぅ」と唸った。
「結局何が言いたいんですか。」
率直にそう問いかける。彼が考えていることは、どことなく私のその曖昧なものを明らかにしてくれるような気がした。知りたくないから明らかにしていない訳ではい。
「たぶん今から、僕も言いたくないしお前も聞かれたくないこと聞くと思うけどいい?」
「なに保険をかけてるんです。」
話すのを焦らそうとする彼を遠まわしに急かした。「うるさいなぁ」と不満げに言葉にして、ついたため息が腕にかかる。
「こういうの恋っていうのかなって思っただけだよ。」
「それを私に聞かないでください。貴方の方が詳しいことでしょう。」
再びの沈黙。さらっと交わした「恋」という単語が喉のあたりにつっかえて言葉がでてこない。納得の思いやら、複雑な思いやら、その瞬間はさまざまな気持ちが溢れ出てきて、なにかひとつ答えに出すことは難しかった。ただひとつ新しい気付きがあるとしたら、今私の左腕にくっついているものは私にとって憎らしくもあり、何より愛らしいものであるということ。今度は自分から口を開いた。
「そうだとしたら、私が今貴方を前触れもなく『愛おしい』と思ったのは、恋なのでしょうか。」
「お前よくそんな恥ずかしいこと言えるな…!!」
顔を真っ赤にした彼が、今まで私の腕に埋めていた顔をあげ、驚いた表情でこちらを見た。何が恥ずかしいのかと考えるうちに、彼はクスクスと笑っている。
「ねぇ、鬼灯。」
「なんです。」
まだクスクスと笑う彼に、顰めた顔を向けて返事をする。
「僕なんか今、すごく幸せな気がするんだ。」
そう言ってこちらに笑って見せた彼の表情がとても愛らしくて、たまらなく彼をまた抱きしめた。
「まぁ、朝までは帰らないでいてやりますよ。仕方ない。」
「なんかむかつく。別に頼んだわけじゃないし。」
「腰に激痛がきているようですので早めに休んだ方がいいかと思いますよ。」
「誰のせいだばか。おやすみ。」
「おやすみなさい。」
貴方のことは大嫌いです、白澤。
しかしそれと同じくらいの「愛おしさ」を知ってしまったら
忌み嫌い合いながら愛し合って行くことに
なんの疑問も抱くことはないでしょう。