静まり返った書斎。月の光が窓硝子に描かれた神秘的な画を地面に模写するかの如く差し込んだこの部屋で、私とサルはふたり抱き締め合っていた。いや、正確に言うと私が一方的に抱き付いているという形になるのかもしれないが。


「何のつもりだい?」


いつもと変わらない優しい声が返ってくる。こんな時間に電気もつけないで何をしてるのかと思ったら、サルってば泣きそうな顔してたから。そう言えばサルは何も言わないまま私の背中に手を回した。服の上からでも分かる布という隔たりを装着したサルの手がゆっくりと下から上へ、私の背中を伝ってやがては肩を掴むとぎゅっと抱き締められる。


「こども、作っちゃおうか」

『えっ?』


それからしばらくの沈黙の後でそんな事を言い出すものだから私は思わず上擦った声を放ってしまった。そういう事は何度か言われた事がある。冗談だよ、なんておどけたように笑って私の反応を面白がるのがいつものサルだけど今はそんな様子など伺えない。その一言だけ呟いて何かを待つように黙り込んでしまったサルに私も言葉が詰まった。声色や喋り方は極めて冷静を装っているけど私には分かる。サルの迷いが。

私達は明日、特殊ワクチンを打つ。セカンドステージ・チルドレンの持つ特別な力と引き換えに未来を得るられるワクチン。未来を生きる命があれば今を行き急ぐ必要等ないしこれから"人間"と同じ分だけ色んな事を経験する事が出来るだろう。だけど、今まで力に頼って生きてきた私達にはその力を失う事が自分を守る術を失うようで何よりも一番怖いのだ。


「きっと次の世界の英雄になるよ……僕が目指した素晴らしい世界を創り上げてくれる」

『サル……』


それからゆっくりと呟かれた言葉は、逃れる事の出来ない決定事項にやるせない意を持つように深い意味を宿して私に、そして彼自身の心に刻まれていくような気がした。復讐心など捨てて未来を生きる事も大切だと、本当は誰よりも幸せを願っていたサルが一番分かっているはずなのに……

視界を暗闇に溶け込ませるように目蓋を綴じれば聞こえて来る小さな嗚咽に、私は今までよりも強くサルを抱き締め直した。私よりも少しだけ高いサルの心臓の位置からドクドクと伝わってくる鼓動に、耳をかすめる弱々しい声に、不思議と安堵にも似た感覚がふっと頭を過ぎって目頭が熱くなるのを感じる。まるで泣き出してしまう予兆。もらい泣きだろうか。いや、もしかしたら私の方が先に泣いていたのかもしれない。だけど、僕達はどうすればいい、そう言って最後に私を床に押し倒したサルの表情は確かに私が今まで見てきた中で一番"人間"らしかった。







愛しくて堪らなかったその光に手を伸ばしてみても、こんな腕じゃ短すぎて届きやしないんだ。
(不完全なヒトと)
(未完成な人間。)







-----------------------
力を失う事を受け入れきれないSARU。



(130417)



<<