午後一時。 丁度午後一番の授業が始まるこの時刻に、度々訪ねてくる人物がいた。 今日もそろそろか、と視線を扉にやると、まるでタイミングを見計らったかのように扉が開いた。 入ってきた人物は予想通りで、僕は何度目か知れない溜め息を吐いた。 「またですか……折原君」 名前を呼ぶと、彼――折原臨也はにこり、と笑ったのだった。 「冷たいなあ、帝人先生」 「今授業中でしょ。何でいるんですか」 「帝人先生に会いに」 そこらへんの女子に向けるべきだろう鮮やかな笑顔と甘い言葉に、こちらのほうがあらゆる意味で目眩がしてくる。 僕のそんな心境などお構いなしに、折原君は優雅にパイプ椅子を引き寄せ、僕の隣に座る。そこは彼が此処――保健室――にいる時の定位置になってしまっていた。 本来、今の時間は授業中のはずだ。それなのにどうして彼は此処にいるのか。毎回毎回あからさまな仮病どころか、言い訳すらも取り繕わない彼を見ていると、いい加減こちらの方が根負けするというもの。結局、彼が此処に入り浸りはじめて二ヶ月経った今でも、僕は彼を追い返せないでいる。 「ほんと、教師失格だよ……」 折原君に気づかれないように呟いた言葉は、しかし彼にはしっかりと届いていたようで。嘘くさい心配そうな表情で僕を覗きこんでくる。 「何か悩みでもあるの? 俺でよければ相談に乗るよ?」 「今まさに君のことで悩んでるんですけどねえ」 嫌みったらしくそう答えれば、彼はからからと笑い、同時に机を揺らした。折り畳み式の簡易机は、ぎしぎしと古びた金属音をたてた。 僕は再度溜め息を吐き、やりかけの仕事を再開する。折原君は黙ったまま僕を見つめてくる。 「……折原君、さすがに居心地悪いんですが」 走らせていたペンを止め、折原君を見上げる。僕の方が幾つか年上のはずなのに、悲しいかな、身長差は10センチ程度はあると思われる。勿論折原君の方が高い。よって必然的に彼を下から覗き込む体勢になるわけだが、何故か彼はいつも嬉しそうに笑みを浮かべるのだ。……気持ち悪いとは言わないでおこう。 にやにやしてる折原君は、右手で頬杖をつきながら言う。 「先生、折原君じゃなくて、臨也って呼んでよ」 「何でですか」 「理由なんかいるの?」 にべもなく返された言葉に、僕はぐっとつまってしまった。本当に口だけは達者だ。頭脳は知らないけど。 僕が黙っているのを了承と受け止めたのか、彼は一層嬉しそうに微笑を浮かべた。無駄に整った顔をしているため、不覚にもかっこいいなあ、とか思ってしまう。あくまで無い物ねだりの範疇だけど。 彼は嘘臭いとはいえ、あんまりにも嬉しそうに笑うものだから、僕はちょっとした出来心でぼそりと名前を呼んでみた。 「……臨也、君」 その瞬間、彼が驚いたように息を呑む音がした。僕は何故か恥ずかしくなって、急速に顔面目掛けて熱が集まってくるのを感じた。 「帝人、せんせ、」 彼が僕の名前を呼びかけ、手を伸ばしてきたその時。 「りゅーがみねせんせー! 怪我の手当てしてくんね?」 勢い良く開いた扉から、目に優しくない金髪頭が飛び込んできた。――日頃から正規の理由で保健室に入り浸っている、紀田君だった。 「あ、ちょっと待ってね!」 僕は慌てて立ち上がり、紀田君のもとへ駆け寄る。背後から折原君の行き場を失った手とか、恨みがましい舌打ちとかが襲ってきたが、知らない振りを通しておけばいいや。面倒だし。 僕が紀田君用に椅子を持って行くと、紀田君は何故か僕の背後を見つめてガタガタ震えていた。気になって振り返ると、案の定折原君が凄艶な笑みを浮かべていた。 「こら、怖がらせないで下さい」 「ただ笑ってるだけなのになあ」 「君の笑顔は威圧感があるんです。自覚してるでしょう? さあ、早く授業に出なさい」 軽くたしなめると、折原君はおもしろくなさそうに唇を尖らせ、渋々といった様子で扉に向かう。 やっとかえってくれる。そうほっと息を吐いた瞬間、折原君は歩みをぴたりと止め、振り返った。 「待っててくれてありがとう。そんな優しい先生が大好きだよ」 「――んなっ!?」 僕が慌てて扉にかけよるも、折原君はあはは、と笑ったまま教室棟へ向かって歩いていってしまった。 ――一体何なんだ。待ってる? 誰が、何を。僕が折原君を? いやそんなわけ……。 「りゅーがみねせんせ?」 紀田君の怪訝そうな声に思考回路から引きもどされる。慌てて笑顔を取り繕い、怪我の治療を開始した。 紀田君の怪我はたいしたことはなく、消毒程度で済みそうだった。軽くてよかった、と安堵の溜め息をつくと、頭上からそう言えば、と紀田君の声が降ってきた。 「さっきいた折原先輩、りゅーがみねせんせーが目当てで保健室に入り浸ってるーとか、二人は付き合ってるーとか、専ら噂になってるすっよー」 「あはは、そんなわけないよ」 軽く笑って流そうとすると、紀田君は驚いたように目を見張った。次いで、普段の明るい彼からは想像もつかないような、にやりと悪い笑みを浮かべる。 「へえ……。なら俺にもまだチャンスはあるんだ」 「……ちゃんす?」 僕はきょとんとおうむ返しに訊き返す。しかし紀田君は微笑したまま何も言わない。 ――一体どうしたと言うのか。今日は折原君も紀田君もおかしい。 何かあったのかなあ、と首を捻っていると、視界の端から紀田君の手が伸びてくる。そして僕の頬に手を添え、軽く近寄った。 次いで、一瞬の、熱。 「……な、ななな何、して……!」 キスされた部分からぶわっと熱が広がっていく感覚。僕は今絶対変な顔をしてるだろうと思いながら、両手を顔に添える。案の定、あつい。 紀田君は動揺する僕を見て満足気に笑った。 「折原先輩には負けませんから。まずは俺が一歩リードってことで」 それだけ言うと、彼はさっさと立ち上がり、保健室から出ていってしまった。 後に残されたのは、顔が真っ赤なままの僕一人。 「……何なんだよ、もう……」 未だ冷めやらぬ頬をばしばし叩きながら、僕は呆然と呟いたのだった。 ------------ 学園天国様に提出しました。 参加させていただき、ありがとうございました! |