いつからだっただろうか。 ある朝。帝人は目を覚まし、パソコン付近に置いてあった携帯を取ると、パソコンの上にメモ用紙程度の小さな紙切れが置いてあるのが目に入った。 前日にそんなものを置いただろうかと首を捻ったが、心当たりはまったくない。 拾い上げて内容を読むと、そこにはただ一言、『ただいま』と書かれていた。 ただいま、など自分で書いた覚えはまるでない。誰かに貰った記憶もない。 「ただいま、か……」 本来ならこの状況では気味悪がるのが正しい反応なのだろう。しかし、帝人は何故か恐怖を感じなかった。それどころか、懐かしいとさえ感じた。 メモを書いた人物が誰かはわからないが、きっと悪い人物ではない。根拠もなく、そう思った。 帝人は立ち上がり、筆箱からボールペンを取り出す。次いでファイルから適当な紙を取りだし、裏面に一言、 『お帰り』 と、書いた。 それをパソコンの上におき、ボールペンをしまう。 「……よしっ」 返事が来ることは期待していなかった。けれど、どこかわくわくしたような気分で、帝人は紙を見詰めてにこりと笑ったのだった。 「……嘘」 翌日。学校から帰宅すると、パソコンの上に昨日まではなかった紙が置かれていた。――期待していなかった返事が、きた。 帝人は半ば呆然としながら、まだインクが乾ききっていない文字を見つめる。 一体誰が。そもそも鍵をかけて出掛けたはずなのに、どうやって中に入ったのだろう。 訊きたいことや不思議なことはたくさんあったが、帝人はそれらすべてを飲み込み、ボールペンを取る。 『今日も学校お疲れさま』 「ありがとう……ところで……君は、学校に行ってないの、っと……」 書かれた文字の下に続けて書く。ちょっとした交換日記のようで気恥ずかしい。 「……書けた」 そう呟くと同時に、ボールペンを机に放り出した。 ばたん。音をたてながら床に寝そべり、天井を見上げる。 姿の見えない手紙の相手は、いったいどんな容姿をしているのだろう。女か、男か。はたまた人外のものか。もし人間だったなら、その人は間違いなく張間美香のようなストーカーに違いない。 姿の見えない誰かと手紙のやり取りをするなどという、非現実的なことでも、身近に妖精がいたりするおかげですんなりと受け入れるができた気がする。 ――また返事がきたらいいな。 帝人はそう思いながら、ゆっくりと目を瞑った。 翌日も、その次の日も、帰宅すると手紙が置いてあった。 最初のうちは挨拶程度の短文だったが、日を重ねるごとに段々と長くなっていった。同時に内容も濃いものになっていく。 帝人も知らず知らずのうちに、ダラーズのことや折原臨也のこと――非日常のことまで書いていた。 どれ程非日常の内容を書こうが、相手の様子が変化したようには見受けられなかった。それどころか、まるで最初から、帝人の憧れる非日常を知っていたかのような反応だった。 ――臨也さん達とかと同業者なのかな。 帝人の疑問は深まるばかりだったが、それでも手紙のやり取りを止めようとは思わなかった。 その日は何故か、酷く気分が悪かった。少し前から黒沼青葉の件で悩んでいたことはあったが、それとは別件のように感じた。 胸の底に何かがたまっているような。重要な何かを忘れてしまっているような。 ――まるで半身を失ってしまったかのような。 帝人は嫌な予感がして、パソコンの前に慌てて駆け寄る。そこにはいつも通りに手紙が置いてあった。 ただひとつ、普段と違う点があることを除けば。 「これ……」 帝人はひっと息を呑んだ。 ――紙は真っ赤だった。 その赤色は人工的に作られた鮮やかな色合いではなかった。中部はどす黒く、端にいけばいくほど茶色味が増す。ところどころ白色が見えるが、恐らくそれが本来の紙色なのだろう。 帝人はその赤色に見覚えがあった。脳内で合致した色はそれしかなかった、といった方が正しいかもしれない。 「……血、だよね」 紙が赤く染まるほどの量の血液。誰が流した血かはわからなかったが、量から見て相当な怪我だとは判断できる。 その人は無事なんだろうか。早鐘を打つ心臓をなだめながら、ふと手元を見た。 そして目を剥いた。 「何、これ……」 帝人は片手に、真っ赤に染まったボールペンを握っていた。 それを見た瞬間、すべてを思い出した。 青葉を刺したこと。そして――手紙の相手は自分だったということ。 「……自作自演、だったんだ……。記憶がなかったから、二重人格っていった方がいいのかな……」 帝人が力無く呟くと、脳内で自分と全く同質の、けれど高さは若干低めの声が「違う」と否定した気がした。 一瞬だけ、聞こえた気がしたその声に、帝人は小さく微笑した。 「ありがとう。もう一人の僕。でもね、」 真っ赤に染まった紙で少しだけ見える白い部分に、ボールペンで文章を書き込んでいく。 書き終えると、もう一人の自分にも伝わるように、じっと紙を見詰めた。 「これからは僕も背負うから。僕だけ忘れたりなんかしない。君のことも、ずっと覚えてるよ」 静かにそう呟くと、脳内であの声が小さく笑った気がした。 ----------- 覚醒帝人×帝人企画様に提出させて頂きました。 参加させていただき、ありがとうございました! |