なくしもの。
とても大切な、とても重要な何かを僕はなくしている。しかしかけらも思い出せない何か。
それはずっと前に落としてきてしまったように思うのだが、さて、何だっただろう。
丸かっただろうか、四角だっただろうか、赤だっただろうか、青だっただろうか、
心のずいぶん大きな容積を閉めていたのだが今では形を変え、色を変え、戻る場所などない。
結局あんな物いらなかったということだ。
なくたって困らない、なくたって生きて行ける。
現に僕は生きてきた。
これからだって同じように生きていく。


そう、思っていたのに。




「あ、起きちゃった?」

視界いっぱいに広がる赤が「作戦失敗」と悪びれもなくにこり笑った。
何をする気だったのか、聞けば次は悪戯っ子のようににやり笑って「スガタをキャンバスに世紀の大傑作の作成?」と太いマッキーペンを握っている。
つまり僕の寝てる間に顔に落書きをするつもりだったのか。

「なーんて嘘だよ嘘、」

「ふーん」

「あっ、信じてないな!」

慌てて隠したマッキーペンが真実を語ってるよとは言わない。多少なりと本気だったんだろう。
頬を膨らませたタクトが僕の座る椅子の隙間に膝を乗せ乗り上げる。
いくら中庭の大きな椅子と言えど二人腰掛けるのはやはり狭い。
結局僕がタクトを抱える形になったのだが、彼はこれが目的だったようだ。ふにゃりとご満悦。

「スガタいないなーって探してたらさ本持ったまま寝てたんだよ」

ふ、と隣のテーブルに目をやればなるほど、本はタクトが既に避けていたようだ。
パタンと閉じてあるけれど、タクトの事だ、ページ数は確認しなかっただろう。まぁ問題はないけど、後でネタには使わせてもらおうと思う。きっと慌てふためくんだろうな。


「スガタ、今何か企んでるだろ…」

「さぁ?」

はぁ、と大袈裟なため息が聞こえる。
タクトは本当によく表情が変わる。笑ったり、泣いたり、怒ったり、はっとするような艶っぽい表情もあれば、さっきのように子供みたいに頬を膨らませたり、
豊かな人間だ。タクトというのは。
だから、惹かれたのかも知れない。
形を変えて、色を変えた僕の隙間を満たしてくれたのかもしれない。



「すーがーたー」

甘える猫のような声がした。次の瞬間には首に絡む二本の腕。

「スガタみてたらさ、僕も眠くなっちゃったんだよね。」

温かい身体が触れる、それは心地好くて、感じるのは安心。

淡い風が優しく撫でる、日差しが柔らかく包んでくれる。

何でもないことが幸せに感じる。



「そうか、じゃあ、お前も寝るか。」


身体を抱きしめて穏やかに囁く。

ふわり、優しく笑顔。


つられて、笑った


laugh and laugh


なくしたんだと思っていた
けれど、君はそんなことないよと笑う、笑う、

あぁ、本当だ。
僕も君のように笑うことができた





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