「いやーやっぱり温泉はいいねぇ」

じゃぶじゃぶとお湯をかくとそこから波紋が広がった。
その波が壁にたどり着くまでしばらく。それだけこの浴槽が大きいのがわかる。
もう一度波を立てる。さっきと同じように広がって、でも今度は壁にぶつかる前に障害物に。
視線を上に、白いそれをのぼって、印象的な海のような青を見つけた。
スガタだ。

「なに年寄りみたいなこと言ってるんだよ。」

笑って、隣に。
年寄りってなんだよ、酷いなぁ。

「僕が年寄りだったらスガタも年寄りだ。」

だって同い年だし、だって誕生日同じだし、
心の中で唱えたけれど、それも一緒にスガタのそういうことを言ってるんじゃない。なんてお説教に飛ばされた。
おまけにコツンと殴られた。
勿論全然痛くはないけれど、そこで収まるのは癪だったから大袈裟に小突かれたところを押さえて言ってやった。

「ドメスティックバイオレンスー」

「お前と家庭を持った記憶はないな。」

妙に真面目な返答が返ってきた。
まぁ、確かに家庭内暴力、というか暴力ですらないんだけど、さて、どう切り返したものかと悩んでいる間に、目の前には青。
あまりに急なことで思わず息を飲む。
その時に体を引いたのがいけなかった、浴槽の縁に背中があたる。すかさず覆いかぶさって来る彼に完全に逃げ場をふさがれてしまった。
あれ、この流れはまずい、気がする。


「別に、僕はタクトとなら家庭を築いてもいいけど?」

「いや、あ、あれはそう、言葉のあやというかさ、そんな深い意味はなくって、」

「お望みとあらばバイオレンスの方も。」

「つ、慎んで遠慮いたしま……っつ!」

言葉の途中でかぶさる体が急に距離を縮めてきたと思ったら首筋に鋭い痛み。
噛まれたのだと分かったのは顔をあげた彼が口元についた僕のであろう血を、その舌で舐めとったときだ。
ぞわり、僕の中でなにかが駆け巡る。

「あ…、スガ…」

真っ直ぐに僕を射止めるその双眼はまるで獣のようにギラギラしていて、
ゆっくりとまた体が近付く、強張るのを押さえられない、
待ってと紡ぎたい声が、喉につっかえて出てこない、
ズキズキと痛みと熱を孕む傷口に熱い吐息を感じて思わず目を固く閉じた。
喰われる、と本能が警戒音を鳴らす。
だけど体は嘘みたいに動かない、このままじゃ本当に…

と、思ったときだ。くすくすと風呂場だから余計に響く笑い声が耳の近いところに届く。
この場には僕と彼しかいないのだから当然その笑い声は僕でないなら、彼の方でしかなくて。
同時に思う、やっぱりからかわれたと。

「スガタ…!」

「ごめん、タクトの反応があまりにも素直すぎたから、」

「だっ、だってスガタがほんとに…っ」

本当に暴力を振るうような、それくらいのなんか、そういうのがあって…
だから、

『怖かった』と言おうとした言葉はスガタの唇に奪われた。
強引なキスだ。でもさっきみたいに怖いとは思わない。
優しい、優しい、キス。

十分に唇を交わしてから、今度は抱きしめられた。
その腕はやっぱり優しかった。

「冗談がすぎたな。もうしないから…だからそんなに怯えるな。」

「別に怯えてなんて…」

「体、震えてるぞ。」

言われて、水中からあげた自分の手を見たら確かに少し震えていた。
抱きしめてるスガタなら尚更その震えが伝わってる事だろう。
はぁ、と息が漏れる。
脱力したまま目の前のスガタの肩になだれた。
直に感じる温もりに、緊張の糸が解ける。

「あれが演技ならファンクラブ結成も納得かも、」

本当に、演技なら。
と付け加えようと思ってやめた。
今ここにいるスガタが本当だ。
笑ってスガタの返答を待つ。
どうせまた与えられた役割をうんぬん言うんだと思ってた。だから、純粋に驚いた。
スガタがあまりにも真剣な表情をしていることに。

「…痛いだろ、ごめん。」

ちろりと真新しい傷を舐められた。
ピリ、と痛みが走る。でもそれ以上にスガタの表情の方が何倍も痛そうだった。
そんな顔で、何度も傷を舐めるスガタはなんだか子犬のようだ、なんて不謹慎だろうか?

「平気だよスガタ、それよりくすぐったいって」

言えば舐めるのをやめる。
それでもあからさまに落ち込んでいて、なんだか本当に犬のようで、

「よしよし。」

「………。」

頭を撫でてやったらちょっと不機嫌そうだ。
でもいつものように反撃しないのは、さっきのアレが相当きいてるんだろう。
怯えたつもりはなかった。
ただスガタもやり過ぎたとは思ってるんだと思う。
スガタなりの反省の現れなんだろうけど、
どうしよう。コレ、楽しい。

「…タクト、もうあがろう。のぼせるぞ」

あぁ、残念逃げられた。
内心笑いつつ、わかったと返事をする。
先に湯舟をでたスガタの後を追うように僕も出たのだが、こつ、となにかにぶつかる。
それはやっぱり鮮やかな青の髪の持ち主。

どうしたの、と問う前に攫うように唇を奪われて、唖然としている間にピタリ、脱衣所の扉が閉められた。
一人取り残される浴場。
のぼせそうなくらいに熱くなる体。
きっと顔は真っ赤だろう。

でも、そんな行動をとったスガタが何となくかわいいと思ってしまう今日この頃だった。


ある日のお風呂場


翌日スガタにこってりしぼられました。






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