複雑レハトと初めての夜
結婚してからというもの、レハトの様子がおかしい。
元々、表情があまり出る方では無い彼女だったが、結婚するということに
対しても淡々としていた。
そして、どこから聞いて来た知識なのか結婚に対しての彼女の言葉は
「タナッセが主人になるということ?」
首を傾げながらそう一言だけ。聞かれたのでそうだと答えた所、少しだけ目を見開いた後、
目を伏せたのが印象的だった。
悲しんでいるのだろうかと焦ったが、それ以降彼女はそういった様子を見せない。
だから、私の見間違いか彼女の表情の現れ方が特殊なのだろうかと流してしまった。
「レハト、レハト。待て。待たないか」
「……したくない?」
結婚して領地に入って一日目。
城からの距離もかなりあるこの領地に来るだけでも体力をつかう。
彼女の様子はといえば、少し疲れた様子だったので、慣れるまではそういったことを
すべきではないだろうと判断したのだが。
夜の帳がおりてしばらく。
左隣で寝ていると思っていた彼女がもそりと動きだし、私の体をまさぐり始めた。
胸元を滑り落ちる指先。さらりと流れる茶髪。
首筋に唇を当てられ、ハッと我に返った時には下腹部に彼女の手があった。
「ま……待て」
「……? タナッセはしたくないの?」
首を傾げる様は不可思議なものを見るそれだ。
無邪気ともいえるその表情にいくばかの毒気を抜かれて、嘆息する。
その吐息に彼女がぴくりと肩を揺らしたのが分かったが、その意味までは分かりかねる。
じっと見つめてみたが、それ以降変化は無い。
気のせいかと首を竦めてから、少し体を起こす。
ぎしりと少しだけ寝台が揺れ、シーツに皺を作るのを見つめてから、座りなおしたレハトの方を向く。
「そうではない」
「……そう」
私の言葉を了承ととった様子でレハトは、もぞりと指先を動かし始める。
まるで慣れているかのような仕草に、カッと赤くなるのを自覚しながら言葉を紡ぐ。
「ま、待て。だからと言って、手を……その、そんなところに置いてはいけない。
い、いや、いけない訳ではないのだが。つまり、お互いの同意が無ければ、
そういったことをするべきではない」
言い募る私を、黒曜石のような瞳がじっと見つめている。
その瞳に映る私は、頬を赤らめ満更でも無いような態であり、顔から火が出そうだ。
まったく、なんて顔をしているのか。
「タナッセはしたくない?」
「……そうではない、が……待て」
否定の言葉が入る度に動かそうとするいたずらな指を捕まえる。
不思議そうにそれを見て首を傾げる愛しき者に、くらりと体が傾ぎそうになるが、
それを首を振ることで抑えて、ゆっくりと口を開いた。
「夫婦なのだから、そういったことをするのは別に構わないのだが……。
なんというか、お前の様子はそういったことを積極的にしたいようにはとても見えない」
「…………」
心の内をさらけ出すようで何だが、興味が無いわけではないのだと付け加えると
レハトは珍獣を見るような目でこちらを見返してくる。
彼女にとって、私の反応はとても意外なものであったようだ。
元から行動がおかしい所があるとはいえ、今日は特におかしい。
妙に暗い表情で思いつめた様子のまま、褥を共にしようと言ってきたことも、
こうして、強行しようとすることも違和感を強めるばかりだ。
彼女自身が、そういったことに興味が深いというようにはとても見えない上に、
楽しそうな様子でも無いのだ。
こういったことは緊張はあっても、無理にするべきことではないのではないか。
瞳に力が無く私を見ているようで見ていない。
常に前を向き、向かってきていた昨年の彼女とは大違いだ。
そう思いいたってから、彼女の顔を下から覗きこむ。
「……誰かから入れ知恵でもされたか?」
「…………」
その言葉に反応するように目を数度瞬くレハトに、当たりのようだと判断する。
「以前から思っていたが、お前は人を信用し過ぎるきらいがあるぞ。
美徳とも言えるが、それは貴族社会を生きる上で悪手とも言える手であってだな。
……いや、そういったことは私が注意すれば良い話ではあるのだが」
「…………」
私の言葉を聞いているのかいないのか。
じっと見てくる目が子ども時代のそれと変わらずにいることに、心の奥で安堵する。
彼女は変わらない。
私の醜い面を見ても、常に同じように物事を見ている。
その心の広さに救われる思いをしながら、レハトの髪を梳いてやる。
さらりと絹のような手触りがした。
「一体どこの誰にそのような入れ知恵をされた」
「……」
きゅっと両手を握る幼子のようなレハト。
唇を何度もかむような様子と、ちらりと私を見上げてくる様は保護欲を誘われる。
言い淀むような仕草を宥めるように、頬を撫でてやる。
「レハト。怒らぬから言ってみろ」
丸い頬は柔らかく熟れた果実のような手触りがする。ふにふにと軽く摘まめば、
嬉しそうにレハトの目元が緩む。
甘えるように少しだけ私の手にすり寄る彼女に、胸が熱くなるのを堪えていると、
「おかあさん」
小さく、だがはっきりとレハトの唇が声を出す。
その言葉の響きも綴りも知っていたはずだが、思わず声が漏れる。
「お……か……」
誰だ。こんな時に間抜けな声を。
そう感じるほど、掠れた声が自身の声だと自覚するまで数秒を擁した。
歯切れの悪い言葉を引き取る様に彼女がコクリと頷き、常識外のことに驚くがそれを認める。
レハトにとって、それが当たり前の答えであるようだからだ。
「お母さんが男の人はこうすると喜ぶって言ってた」
「…………」
驚いて声が出ない私の顔を見ながら、レハトは口元に少し笑みを浮かべる。
そうして笑うと普通の村娘のような仕草よりも、どこか淫靡で色香の漂う仕草のように見える。
まだ成人したばかりだというのに。
「私は器量が良いから、成人したら女になるの。高く売れるから。
でも、飽きられちゃったら意味が無いから、男の人を籠絡するの。
その為にはお母さんが教えてくれたことをしないといけないの」
「…………」
レハトが褒めてくれと言わんばかりの笑顔で述べてきた言葉は、常識の埒外のことばかりだ。
少しだけ頬を染めて笑って。
その様子はとても可愛らしいのに、何故このような。
「このあざ……印が無かったら町に行って高く売れるんだけど、消せないし。
しかたないから、村で一番の人の所が狙い目だって」
「…………」
「ああ。安心してね。
私、誰かの所に行ったことは無いんだよ。初物が一番高いから初めてはお金持ちにって。
お母さんは、もっと良い相手が見つかるかもしれないからって成人の儀までは……
……タナッセ?」
笑って言った言葉に私が反応しないからか、彼女は首を傾げた後、不安そうに眉根を寄せた。
彼女の八の字になった眉を見ながら、寄ってしまった自覚のある自身の眉を伸ばす。
まるで物のような言い分。
彼女がそれを自分で言いだす訳もないのだから、彼女の母がそう言い聞かせてきたのだろう。
高く売れると。付加価値をつけると。
貴族社会も似たような物だ。似たような物ではある。
そう自身を納得させなくては、ムカムカと気分の悪い何かが込みあげてきてしまう。
彼女が悪いわけではないのに、彼女に八つ当たりをしてしまいそうになる。
「……レハト」
嘆息をした後、自分を落ちつかせる意味で声を出すとレハトの肩が反応する。
まずいことをしたのかと、まるで迷い子のようだ。
それに苦笑して頭を撫でると、少しだけ落ちついたらしい。
「お前を否定するつもりではないが、それは、あまり褒められたことではない」
「……そう、なの?」
両頬を両手で覆って感触を楽しむように少し押すと、遠慮がちに彼女の両手が空を彷徨う。
導くように私の腰にその手を引っ張り、頭を抱え込む。
花の匂いがした。
「うわ……」
ぽすりと軽い衝撃と共に胸元にレハトの頭。
額に唇を寄せてから、肩を抱きこんで少しさすってやる。
緊張からか硬くなっていたレハトの体が弛緩していくのが分かる。
「レハト。
それは身売りだ。娼婦と呼ばれる類の仕事に当たる。
好きでもない相手に抱かれるという意味が分かっているか?」
真剣に問うと、腕の中でもぞりと動く小さな頭。
少しだけ考えるように目を瞬いてから、こくりと頷く。
「わかってる」
夜の空気が作りだすまろやかさに誤魔化されないように、
寝台の灯りを見てから彼女の目を見つめ直す。
「……そうか。ならば、言うまでも無いのかもしれないが、
生活に困っている場合を除き、そうした仕事に従事するのは感心されない。
何故か分かるか?」
小さな背中を撫でながら聞くと、レハトは傾げた首を振った。
それに微笑んで、複雑な生い立ちの彼女を哀れに思う。
「そういった仕事は、危険が伴う。
貴族間でも家同士の繋がりを強固にする為に、新しい爵位の為に、子どもを利用することは
よくある話だ。
だが、それは身の安全は保障されている」
噛んで含むように言うと黒目が頷いて先を促してくる。
そんな場面でも無いのにその仕草が妙に幼く感じられて、微笑みそうになるのに堪えてから
口を開く。
「彼らにとって、夜の営みは子どもを作る行為であり、子どもは彼らの地位や名誉を守る。
歓迎される行動だ」
「……私のは違う?」
純粋な疑問という様子で聞いて来た彼女の頭を撫でて、誤解の無いように言葉を選ぶ。
私とお前は夫婦なのだから、その例に漏れないのだと。
だが、それだけで終われば何が起こるかも分からない。付け加えるように弁を振るう。
「娼婦というのが何故歓迎されないかと言えば、多数の異性と交わることがよく無い。
お前も習っただろう。産みの繋がりとして相手にもその影響は出る。
お前が母御にどのように習ったかは定かではないが、妊娠の危険性は避けられない。
これは、太古の昔から変わらぬ事実だ」
分かりきったことだとは思うが、
時折、彼女はその分かりきったことがすっぽりと抜け落ちている様に思う。
現に、今も私の言葉に目を丸くしているのだから、始末に負えない。
彼女の母がどのようにして彼女に何を教えたのかと。そう考えるだけで暗く淀んだ何かが
口から出ていきそうになる。
「多数の異性と交わることで、病気になりやすいのではないかという説もある。
……ああ、まあその辺りのことをお前に話しても仕方がないか」
「…………」
長々と話すこともないだろうと、切りあげるとレハトが少しだけ不満そうな顔をしたように見えた。
気のせいかもしれないが。
「1対1が当たり前の付き合いに浮気相手が来るようでは良い気はしないものだ。
お前とて……その、私が誰かと居たら少しは……」
そこまで告げてから失言だったと思いいたり、忘れてくれと付け足すように告げる。
腕の中で少しだけ考えていた様子の彼女は、
「……そっか。そうだね」
コクリと頷いた。その言葉は、私に誰か異性が居たらに反応したのか
あるいは忘れて欲しい旨を理解したのか分かりかねる答えだ。
そのことに思いを巡らしかけるものの、あまり夜遅くに長々と話すことでもあるまい。
「お前はまだ、分化したばかりだ。
分化して直ぐの体はまだ成長途中であるし、その……性に関しての欲求も
あまり無いのではないか」
以前読んだ文献には、15歳になったばかりの子どもたちに関する供述も多数見受けられた。
『魔の15歳』として知られる時期ではあるが、大多数が好奇心による。
性としての目覚めは本人の自覚や体の成長が物をいう為、未だ未分化の香りを残すレハトが
こうしたことに積極的というのが違和感に繋がったのだ。
そう結論付けて様子を伺うと、彼女は少しためらう様に私を見てから小さく頷いた。
そのことに、内心ほっとして言葉を続ける。
「私は、お前を抱くことはやぶさかではない。
だが、誤解しないで欲しい。お前を娼婦のように扱うつもりではない。
出来る限り、お前が傷つかずにすむようにしたい」
「…………」
ぱちりぱちりと何度も瞬く瞳は、今にも目から零れてしまいそうだ。
その様子に笑って、きつく抱きしめて布団を掛けてやる。
「……いいの?」
私の様子に不安げに揺れる声が聞いて来る。
そっと離し、光る徴に自身の額を当てて微笑む。
「ああ。おやすみ、レハト」
「……うん。おやすみ、タナッセ」
大事なのだと分かるように、何度も頭を梳いてやるとふんわりと嬉しそうに彼女が笑った。
20130223