雨の神殿にて





「……今日は、雨か」


平均気温が大体20度前後をうろうろするグラドネ―ラには、
珍しく肌寒い朝。

気分が落ち込んでいる今は、少しだけ恨めしい。


ぱたたぱたたと、水音が滴り、
外を濡らしているのが分かる。



アネキウスのお恵み。
村ではそう言って、雨を歓迎したものだったけど。


薄暗い部屋の中と、ひんやりとした空気に身震いする。


「あーあ……」


言いながら、ベッドに後ろ向きに倒れ込む。
ぽすんと軽い音を立ててベッドが私を受け止める。


緑月青の週10日。


初めてここに来てから既に30日以上の時間が経ってる。
それでもまだ一月は終わらないのだから、不思議だ。


一月は60日。
一週間は10日。


この常識に馴染むまで、何度も唱えた呪文。



「おはようございます、レハト様。
今日は如何いたしましょうか?」


桶と湯つぼを持ったローニカが入ってくる。
初日の日以来、朝はあれで顔を洗うのだと理解したらしく、
ローニカは起きて直ぐにそれが出来るように用意してくれる。


「おはよぉローニカ―」


じたばたと、一度亀がひっくり返ったかのように暴れてみてから、
起きなきゃと体を起こす。
髪の毛がボサボサになった。



「おはようございます。本日は雨でございますが……
たまにはお休みでも致しますか?」


私のあり様にローニカが、くすりと微笑んだ。
それに笑みを返して、彼から湯つぼと桶を貰い、桶にお湯を張る。
人差し指で軽く温度を測れば、中々いい温度だ。
きっと彼が考えて用意してくれたんだろう。


「んー……どうしよー。あ、お湯ありがとね」
「いえ……」

お礼を言えば、ローニカは少しだけかしこまって軽く頭を下げる。
目を擦ってそれに少しだけ笑っていると、他の仕事を終えたらしいサニャが
パタパタと音を立てて現れた。


「あ。おはようございますです。レハト様」
「おはよぉーサ―ニャ―」


伸びをするポーズのついでにサニャが抱きついてくれないだろうか。
そんな下心を含めたんだけど、サニャは首を傾げただけだった。


……うん。知ってた。


これは、伸びをしたいから、やっただけで、
別にサニャのおっぱいに抱きつこうとかそういう不埒なことは
一切思っていないから。


うん、それはもう全然。



「……レハト様」
「へい。すいません。用意するよ」


ローニカの言葉に思わず謝って、顔をパシャパシャとお湯で洗う。
手先が思っていたより冷えていたのか、じんわりと温まるのが分かる。


あー……あったかーい。
でも、全身、あったかーいお風呂に浸かりたいなぁ……。


お城の風呂は、温かいと言うか、生ぬるい。

ボイラーシステムがしっかりしてないのか、それとも日光で
温めたお水をそのまま入れてるのかは分からないけど、
あれをお風呂とは認めたくない日本人マインド。



「温泉でも沸けば良いのになー……」


ぽつりと呟けば、サニャが首を傾げた。


「温泉でございますですか?」


きょとんとした顔が可愛くて、ほにゃっと笑えばサニャもほにゃっと笑ってくれる。
いいなー癒されるな―。


「そー。おんせーん。地下の水が温まってる現象で……えっと。
温かい湖みたいなのがあるってことなんだけど」


分かる?と首を傾げれば、サニャがコクンと頷き、
ローニカも静かに頷いた。


「聞いたことはございますよ。南の方に行けば、そのように
湧水が温かい場所もあるそうですし」

「左様ですね。確か、人が入れる場所もあったように記憶しています」


「うっわ、マジで!? 行ってみたいなぁ……!温泉温泉……!」


ワクワクと目を輝かせる私を見て、サニャがクスリと笑う。


「レハト様は、本当に温泉好きなんですね」

「うん。結構好き。お風呂自体がそもそも好き。
お城のお風呂はぬるくてね……いや、別に悪い訳じゃないんだよ。
お風呂に無料で浸かれるだけでも嬉しいんだけど……」



そこまで言ってから、何と言えば良いかなと思って少しだけ言葉を考える。


サニャたちは、温かいお風呂に入る生活をしていないのだから、
温かいですじゃ、駄目だろう。
そう思って手振りと共に凄さをつたえてみる。


「あったかーいお風呂に浸かると、癒されるんだよ。
温泉なんて、疲労回復、滋養強壮なんでもござれで凄いんだよ!」


日本の何が良かったって、お風呂が常備された小部屋が
大体のマンション、各家庭にあることだと最近思う。
行くところに行けば、温泉が各家庭に配備されている場所まであるというのだから
日本のお風呂事情恐るべし。



「レハト様は、温泉に浸かったことがあるんですか?」
「うん、それなりに」


例えば林間学校のホテルとか、修学旅行とか。
後は、たまーに家族旅行なんかで泊まれば温泉はつきものだったように思う。


「レハト様。申し訳ございません、生憎、温泉は難しいかと思うのですが」

「あ、うん。ごめんね。困らせるつもりじゃなったんだ。
ただ、今日は寒いなーと思ったら、お風呂良いなってね」


ローニカが声を上げ、私は慌てて打ち消す。
大丈夫大丈夫、と。



「お寒いのでしたら、フードをご用意しますですよ?」
「あ、うん。お願い。サニャ」
「はい、かしこまりましたです」


サニャの提案に乗って、私はフードを用意して貰う。
サニャが衣装部屋に行っている間に、私は寝巻から普段着に着替えなきゃ。



「今日は肌寒いから中に一枚多めに着るかな……」
「ええ。お風邪を召してはことですから」


そう言われて思い出す。
私、風邪ひいたことない。


前世では、普通にひいた。インフルエンザもかかったし、
水疱瘡とか子どもがなる病気一覧もなったと思う。


だから、風邪はどんなものかってのは分かってるんだけど、
どうにもこの体は丈夫に出来てるから、大丈夫だろうと思ってしまう。

大概の無茶をしても、風邪ひとつひかないのだから。



数種類の服から好きなのを選べるように置いてある服から、
下着の上に着れそうな服と、上着とベスト。ズボンを手にとって
着付けしながら、ローニカにそう告げる。


「私、風邪引かないと思うんだけど……ひいたこと無いし」

「……それは、継承者様ですから、お強くお生まれなのでしょう。
ですが、ひかないということは無いのですよ」


諭すように言われて、そういうものかなと思う。
確かに、ゲーム画面でも無理がたたればぶっ倒れてた。
だから、無理をしすぎたら倒れるんだろう。


赤を基準とした服は、中々私に似合っている。


初日に用意された中から、赤っぽいのを選んでいたら
いつの間にか赤系コレクションか!というような服ばかり用意されるように
なってしまった。
まあ、良いけど。


「……あ。レハト様。こちらで良いでございますですか?」


着替え終わった私を呼ぶサニャの声。
これまた赤系。薄ぼけた赤というか、赤褐色と言えば良いのか。
そんなフードを持って来てくれたサニャに、笑って言う。


「ありがとう。サニャはいつも気が利いていて助かる」
「……いえ。ふふっ」


嬉しそうにバラ色に染まる頬が可愛い。
なんだろーなー。サニャと結婚したらすっごい幸せじゃなかろうか。


サニャが持って来てくれたフードを被ると、てるてる坊主みたいになった。
低身長も相まって、手足もよく見えず、だぼりとした手先は大分余ってる。

なんだこれ。


「おや、これは……レハト様、よくお似合いですよ」
「レハト様、お可愛いです!」


侍従たちの温かい目線。微笑ましいものをみるそれだ。
二人は、完璧に小学校一年生が、
合羽を被っている様を見つめる父兄の顔になっている。


それを受けながら、嫌だ恥ずかしいから脱ぐとか言えない。


「……うん。ありがとう」


実際温かいし、物自体はすべりが良くて気持ち良い。
そのまま私は、広間でサニャに給仕して貰って朝食を食べた。







雨の日の神殿は、降りしきる雨音を反響させるような静けさがあった。
きっとここにいるだろう。


そう思って、出かけてみた。


勉強をしなくちゃいけないな、という陰鬱な気分を吹き飛ばす
良い理由が出来たとも思った。


「……しょうもないな……」


苦笑して、明日から頑張るんです!と心に言ってみる。
まあ、明日から頑張ると言う奴に限ってやらないものだけど。



「何がだ?」
「…………あ」


聞こえた声に、顔を上げる。
見れば神殿の白い内部に映える赤紫の髪。

黄色のローブと、濃い紫の布で覆われた肢体は、
出ている肌の面積よりも色っぽく感じる。
それは、目の前にある胸の谷間がマ―べラスだからだからだと
直ぐに結論が出る。


「リリアノ」


声に出せば、彼女は少しだけ微笑んだ様子だった。
それに勇気づけられて、ぺこんっと頭を下げる。


「おはよう、リリアノ」
「……ああ、おはよう。レハト、偶然だな」


だぼんっと、私の纏う赤褐色の布が揺れた。
後ろのフードが地味に邪魔だ。髪にかかったのを後ろ手で払っていれば、
リリアノがそっと直してくれる。


「あ、ありがとう」
「いや、大したことではない。……だが、随分珍妙な格好をしているな」


彼女は微笑ましそうにふふっと笑う。
むう。
実際おかしいのは分かってるので、むっとしたふりで唸ってみた。


「なんだとー。これはサニャが用意してくれた無敵フードだぞー。
効果は特にないはずだが、会った人たち大体全員がそういう顔で
ほにゃーっと見るという特殊効果が!」


まるでウルトラマンにでもなったかのようなポーズを決めると、
リリアノは愉快そうにクツクツと喉を鳴らした。


「そうか、それは何よりだ」
「……うん。マジで取っちゃいやん」


おばちゃんがよくするような、ちょっとちょっとと手を何度も
パタパタする仕草を繰り出すと
それすらおかしいのか、目元が緩むリリアノ。

まあ、だっぼだぼの右手でやられてもなー。



「……リリアノは何でここにいるの?」


神様なんか信じて無さそうなのに。
そうは思っても、口には出さない。

ただ見上げれば、リリアノは笑みを消し、言葉を紡ぐ。



「なに、少し政務に間が開いたのでな、立ち寄ってみた」


そんなものだろうか。
それに首を傾げて、曖昧に頷く私の後ろで雨音が強くなる。
その音にビビって、体を振るわせるとリリアノは目元を少しだけ緩めた。


「良く降っている。
先ほども、神官たちが溢れそうになった水盤から水をくみ出しておった。
大変なことだ」


「……うわ。それは確かに……」


辺りを見れば、その騒動の後始末があったのか、
モップを持った神官の姿が見られる。


しゃらっと、静かな空間に金属音がしてそちらを見れば、
リリアノが神殿の空を見上げている。
何が見えるんだろう。
そう思って真似して天を仰ぐけど、天井の白い面と描かれた絵しか見えない。



「神は何を嘆くのだろうな」

「…………」


ぽつりと聞こえた声。神に選ばれた者が言う言葉。
隣を見上げれば、彼女はまだ天を仰いでいる。


「喜びの涙だという者もいるが、そんなに喜ばれる覚えもない。
まだ、嘆く方が心当たりがあるものだ」


「…………」


それに返す言葉はない。
また、それを彼女も望んではいないのだろう。
独白が終われば、彼女は再び天ではなく私を見つめる。


何かを試すように、少しだけ期待を込めた目で。



「……お主、神の声を聞いたことがあるか?」

「……神?」


神ーアネキウス。
神に選ばれし印を持つ私たちが、聞こえるはずの彼の声。
聞いたことがあるのか。
貴族連中の話題にもなる話だ。

それを問うリリアノの心境はなんだろう。



「我は冗談を言うているつもりはないぞ。
ごく真剣に問うておる。
どうだ、覚えはあるか?」



緑の目を真っ直ぐ見つめる。


彼女が、他の貴族のようにねじ曲がった観点で言っているのならば、
また、それを言いふらすような人ならば、
決して口には出さない。

でも、きっとそれはない。
分かっているから私は、彼女に言うことを恐れないでいれる。



「……ない。アネキウスは意地悪だ」



ふっと眉を寄せて口を歪めれば、リリアノはコクリと頷く。
分かっている、というように。



「ああ、やはりか。
何、我もない。我らは神に選ばれた者と言われるがな。
神は選んだら選びっぱなしよ。
基準も狙いも分かったものではない」


「……そうだね。神様はとんだ馬鹿だ」


小さく言えば、リリアノは目を少しだけ見開いた後、ゆっくり瞬きをする。
彼女はしばらく私の表情を観察するように見てから、
きょろりと辺りを軽く見回した。



「おっと、神官たちは側にいないな?
聞かれたら、いかめしいあの爺様に言い付けられてしまう」


少しだけ眉を寄せるリリアノは珍しい。
困ったような面倒なような、それでいてどこか愛しげでもある。
なんだか可愛い。


「ふふっ、リリアノでもそんなこと思うんだね」
「お主は、我を何だと思っておる。怖い者の無い者などおるまい」


肩を竦める彼女は10代の少女のようだ。


「あははっ。リリアノを叱る猛者がいるのか。凄いな」


私が思わず噴き出して言えば、リリアノが拗ねたように声を出す。


「お主はディットンの大神官長に会うたことはないだろう?
なかなかに曲者なお方だ。融通は利かぬがな」


こわいぞーとばかりに言い含めるリリアノに、今度はこっちが肩を竦める。
そんな人に会う予定は無い。
……たぶん。無い。無いと良いな。無いだろう。


ビビった私に満足したのか、リリアノはふふっと笑う。



「彼曰く、神の声は耳に快いそうだぞ。
一度くらいは聞かせてほしいものだ」



その言葉に苦笑することだけで答えると、リリアノも
答えを期待した訳ではないらしい。



「さて、お主とこうして話すのも良い時間ではあるのだが、
生憎、未だ執務が残っているのでな」

「あ、うん。忙しそうだね。無理はしないで」


執務をしに戻るのだろうと思って声を掛ければ、少しだけ目を開き
そしてゆったりと瞬きをするリリアノが見れた。


「……本当にお主は不思議な奴だな」
「なにがでしょうか、陛下」


わざとらしく拗ねてみせると、クツクツと笑われる。



「我に無理をするなと申す者は中々おらぬぞ」
「いや、体を心配するでしょ。普通」


何を言ってるんだ。
王様の体を心配しない家臣はいないだろうに。


そう思っていえば、またふっと笑われる。
そのやり取りが妙に王息殿下に似ていて、親子だなーと思う。


「なるほど。普通か。
ならば、お主も体に気を付けよ。
ではな」


言ってマントの裾を持ってクルリと背を向けるリリアノ。
コクリと頷いてみたけど、見えただろうか。


会話をとぎらせる術も上手いなぁ。長年の知恵かな。









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