優しくしたい皇と何も大事に出来ない風の話。
優しくないのは多分強くないからだ。















風樹











なんだか、泣いてるみたいだ。



その夜は風が強かった。

それは慟哭の様であり、時折啜り泣く様にも聞こえて酷く胸をざわつかせる。

こんな日は早く寝てしまうのに限る、というのに、

(眠れない…)

宛がわれた寝室で、皇はなかなか寝付く事も身動ぎする事も出来ずにいた。
それでも体は疲れていたのかいつの間にかウトウトしていたらしい、夜中にふと目を覚ますと大分風は収まっていた。
これなら明日の行軍に影響は出ないだろうと胸を撫で下ろす。
何せこちらには怪我人が居るのだ、悪天候で無理をさせたくない。
そこまで考えたところで、部屋の中が静かになっている事に気づき皇は跳ね起きた。

「風騎士…?」

部屋に二つある寝台の内ひとつが、綺麗に整えられていた。

慌てて寝台を降り枕元の外套をひったくる。

同室の風騎士はティンタージェル城で負わされた傷がまだ癒えていない。
ここまで平然と付いてきているが、本当なら立っているだけでもつらい筈だ。
それがいつの間に、こんな夜中に何処へ。
逸る気持ちを抑え、他の者を起こさないよう静かにそっと宿を出た。

外は意外な程明るかった。
あの強風で雲があらかた流されたのだろう、今は月が出ている。
誘われる様になんとなく月の方角へ向かって歩いていると、丘の上にぽつりと佇む木が見えてきた。
昼間通った時も目についたので覚えていたが、月明かりに輪郭だけが浮かび上がった姿は、日の光の下で見るより妙に大きく感じる。
そんな事を考えていると、ふと木の根本で何か動いた。
目を凝らして見るとそれは人影だった。
鮮やかな青い外套、探し人だ。

良かった、あまり遠くに行っていなくて。

風騎士は木の幹に背中をもたれて空を見上げていた。
月明かりに青白く照らされた表情は何処か物憂げで、近寄りがたさを感じて思わず皇は足を止めた。
見つけた事に安堵して忘れかけたが、そういえば彼はこんなところで何をしているんだろう。
今声をかけるべきか、知らず息を詰めて物陰から様子を伺っていると、不意に風騎士が俯き、口許を押さえて小さく笑い始めた。

「今晩は、いい夜ですね」

風騎士がゆっくりとこちらに振り向く。
どうやらとっくにこちらの気配に気づいていたらしい。
わかっていたなら声を掛けてくれれば良いのに、格好悪いったら無い。
のこのこと出ていって冗談混じりに抗議すると、

「真剣に隠れているようだったので」

と言って風騎士はふわりと微笑む。

「こんな時間に何を?お一人で出歩かれては危険ですよ」

それはこっちの台詞と言いたいところだったが立場が違う、と返されてしまいそうで言葉を飲み込んだ。
どうも皇子扱いにはまだ慣れないというか、居心地が悪い。

「君こそ、起きたら居なくなってるから心配したじゃないか」

「申し訳ありません、少し夜風に当たったら帰るつもりだったのですが」

風騎士は相変わらず木の幹に体を預けたまま、視線だけを宙に泳がせる。

「なんだか随分久しぶりに空を見た気がして、つい」

風騎士につられて皇も空を見上げた。
言われてみれば、最近はゆっくり空を眺める事が無かった様に思う。
ベルファストに居た頃は特に意識もしていなかった、空なんていつも自分の上にあるのに。
人は死んだら星になると昔から言うけど、ひょっとして自分の父親の星もあの中にあるのだろうか。
擦りきれた記憶を手繰ってみるが、父の事はやはり殆ど思い出せない。
隣に並んだ風騎士に視線を移すと、彼は無心に星の瞬きを目で追っていた。
その様子がとても寂しそうであまりにも愛しそうで“向こう”へ行きたがっているようにさえ見えて。

「…あの、何してるんですか」

知らない内に風騎士の外套をしっかり掴んでいた、勿論思いきり怪訝な顔をされた。

「やっぱり、父上に会いたい、とか思ってしまうのかな」

風騎士はしばらく目を瞬かせていたが、意図を察したのか宥める様に優しい笑みを浮かべて外套を握り締める皇の手を取る。

「私は何処にも行きませんよ…例え死んでも貴方の傍らに居ります」

あまりに穏やかな声色に胸がざわついた。
違う、そう言う事じゃない。
その先の言葉を遮るように皇は声を荒げる。

初めて会った時からそうだった。
「例え死んでも」とか「命に代えても」とか、そういう、どうして自分の事はどうでもいいみたいな、言い方。
今だってそうだ、酷い怪我をしていたのに、まるで無かった事の様に振る舞って。

剣幕に押されて風騎士がわずかに後ずさる。

「僕は…僕はそんなに頼りないかな、こんな無理を君にさせる程」

主として仲間として、己の非力を突き付けられる様だった。

「心配なんだ、君の事が」

黙って皇の言葉を聞いている風騎士の表情はどこか虚ろだった。

「僕達は似ているから、余計に心配なんだ。君が、自分が傷つく事も構わずどんどん前に進もうとしてるのが解るから」

力にはなれないかもしれない、頼って欲しいなんて言えない。
ただ自分にも心配してくれたり、死んだら哀しむ誰かが在ることを思ってくれれば。

不意に、外套を掴んでいた手を乱暴に振り払われた。

「似ている、私達が」

顔を背けた風騎士の声は冷たく沈んでいる。
彼のこんな表情を見るのは初めてだった。

「…この七年間私が何をしてきたか、皇様はご存じですか」

風騎士がレジスタンスとしてザビロニアとずっと戦い続けてきた事は、聞いた話として知っている。
七年間匿われ圧政と混乱から遠ざけられてきた皇はこの辺りの話には少し疎かった。
そして、七年前といえば彼もまだ幼い子供だった筈だ。


「皇騎士が現れるまでの繋ぎ、ですよ」

それが暗に自分に求められた役割だったと言って、風騎士は薄く笑った。

亡き円卓の騎士の忘れ形見、風騎士。
彼の名は人を集めるには随分都合が良かったのだろう。

「…所詮劣化代替品ですけどね、レジスタンスも民衆も本当に望んでいたのは私じゃない」

風騎士の冷ややかな視線が皇を射抜く。
まるで心臓を掴まれた様な感覚に思わず体が竦んだ。

「仮とはいえ私は旗印です、強く、気高く、清廉でなければならない」

あの子ならやる筈だ、血筋がそうさせる筈だという根拠の無い信任。
無責任に押し付けられた期待が、幼い双肩にどれだけ重かった事か。
いずれ起つ皇騎士の為に、ブリティス再興の為に、その大義名分の下全てをうやむやにされて。

「窮屈でした、私は一日も早く父の無念を晴らしたい、それだけなのに周りは常にそれ以上を私に望んだ」

でもそれも終わり…淡々とした彼の言葉に責められている様で罪悪感を覚えた。
皇が田舎で安穏と過ごしてきた七年間、彼はどんな思いで生きてきたのだろう。
よく見ればこんなにあどけない顔をしているのに、歳もそう変わらないのに、皇から見た日頃の風騎士は随分と大人びた青年だった。
後ろ楯を持たぬ子供が生きていく為には大急ぎで大人になるしかなかったのかもしれない。

風騎士がわざとらしく大きな溜息を吐く。
知らず同情的な目で見てしまっていたのか、きっと彼はこういう事に辟易しているのだろう。
謝らなければ、でもそれは彼にとって果たして本意なのだろうか。
そうして逡巡している内に風騎士の方が先に口を開いた。

「皇騎士のラナール解放を知って、タガが外れたのですよ」

頭を打たれたような衝撃と、地面が足元から崩れる感覚。
風騎士はいっそ無邪気な程屈託無く笑いながら、自身の肩口辺りをさすっている。
それはまだ癒えていない、あの時の傷だ。

「僕のした事が、君にあんな無茶をさせた…」

「風が吹けば、というやつです。貴方が気にする事ではない」

風騎士は再び淡々とした口調で続ける。
皇は彼の顔を見ることが出来なかった。

「大望を果たされませ、我が君。貴方はただひたすら前だけを見てひた走ってくれればいい。隣で誰が倒れようと仲間の屍を踏みつける事になろうと構うことなく、一切を顧みず」

「風騎士、僕は」

「そして数多のザビロニア人と、ブリティスの士の屍の上に恒久の平和をお築き下さい。…私の望みはその道程で果たされるでしょう」

立ち尽くす皇へ、風騎士は突き放す様に言った。

力になりたいと思った、でも救えないと思ってしまった。
彼はきっとその“屍”に自分の命も平然と数えるのだろう。

また風が出てきた。

そろそろ戻らなければ、部屋がもぬけの殻と気付いたら仲間が騒ぎ出してしまうだろう。

帰ろう、とただ一言掛ける事も出来ずに皇は黙って踵を返した。

「皇様」

呼び止められて振り向いた刹那、突然の強風が続く言葉を拐っていく。

「今、何て」

「…何でもありません、帰りましょう」

風騎士は早足に皇を追い抜き、先導する形で少し前を歩く。
振り返るわけでもないのに彼の歩調は皇にぴたりと合っていた。

あれは、聞き違いだったんだろうか。

か細い声だった、風に掻き消えてしまいそうな程。
風のせいにして聞こえないふりをした。



…そんなの、こっちが言いたいのに。

つかず離れず前を行く風騎士の背中へ、聞こえない様にそっと呟く。

この夜の彼の言葉を、皇はずっと忘れる事が出来なかった。
















*****


あとがき。

風騎士ちゃん渾身の当て擦り。
嫁が全然天使じゃなくなってつらい。


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