とうりくんとモヤモヤ


「桃李」

寝起きでリビングに姿を表した桃李は驚きで声が出せなかった。普段ならかわいらしい「ふぎゅ?!」「ふにゃあ!?」という声すら出ない。予想外の展開になると人間、声が出せないのだとひとつ学んだ。

「おはよう、今日もいい天気ね」
「えっ? 幹那……?どうして僕の家にいるの…?」
「今日はお昼前に学院にいくから、朝はゆっくりしてるって聞いて……来ることを伝えていたはずだけど?」

未だパジャマ姿の桃李は、優雅に紅茶を口にしている婚約者に首を傾げた。歳上の婚約者…幹那はパジャマ姿の桃李ににこっこりと笑みを浮かべる。幹那の桃李をみつめる眼差しはいつでもあたたかい。その眼差しにほっとさせられるのを素直に口にできない桃李は視線を反らした。
ただ来ることを伝えていたにも関わらず、当の本人への連絡が行き届かなかったのは不本意だ。今までも唐突に訪ねてくることはあれど、来ることをあらかじめ伝えているときには確実に桃李の耳へとはいっていた。これは伝達不足、ひいては姫宮家使用人に愚か者がいた証拠。次期当主として物申さねば。

「それ誰に聞いたの?」
「執事さんだったかしら」

まさかの自分の使用人であることを告げられ、桃李は一瞬固まった。
あの弓弦が?この僕に伝え忘れ?ありえない。
そういうときは意図的に言わなかったのだ。ということに気が付いた桃李は自分の側で控える弓弦に視線を向けた。

「弓弦〜!」
「おや、幹那さま。ご自分で坊ちゃまにお伝えすると思っていたので、わたくしから言及は控えさせていただいておりました。申し訳ありません」

にこり、悪びれのない笑顔を向けている弓弦。そんな弓弦をぽかぽかと殴る桃李。幹那はそんな光景に困りつつも、やられたなあと弓弦に感心した。

「…もう、意地悪な執事さんね」

弓弦も何も意地悪でこんなことをしたわけではない。主人と婚約者の仲が悪くなることを推奨などしてはいない。むしろ順調に進んでほしいと願っている。しかし年齢が2つ離れており、ただでさえ子どもっぽい主と大人っぽい婚約者というのにヤキモキしている弓弦は、こうして時々ふたりにちょっかいをかけるのだ。
桃李は気が付いていないが、幹那は気が付いている。だからこそ怒らず、弓弦の手段に感心する。


「ごめん、なにも準備してないよ」
「気にしないで。顔を見にきただけだから」

弓弦を叩くのに飽きたのか、満足したのか。幹那を振り返る桃李は申し訳なさそうに呟いた。
訪問をあらかじめ知っているのであれば、美味しいお菓子やお茶やらを準備して待っていたのに。そうして朝から自分も美味しいものを口にできて幸せな気分になるのに。なんていう企みも少しはありつつ、本当に何も準備せず、むしろ寝起きで出迎えてしまったことを恥じているらしい。
そんなところも可愛いんだから。と幹那は口にはしないが大いに思っている。むしろ寝起きでパジャマ姿なのはかなりレアなので、幹那的には十二分にいい思いをしているのだが、桃李はそんなことを知る由もない。

「そういえば制服着てる」
「わたしもこれから学校へいくのよ。部活動なの」

そろそろ行くわ、とティーカップを置き、通学鞄を手にとる幹那。えっ、もう行くの?と桃李は慌てて幹那に寄る。
まさか朝起きて婚約者に会うだなんて思ってもみず、しかもその婚約者は会って早々、数分のうちに学校へいくのだと去る。そんな急展開ある?と桃李は疑問を浮かべるが、口にしないので幹那にはわからない。ただ戸惑っている桃李に首をかしげるだけだった。
パジャマ姿ではあるが、出迎え出来なかった代わりに見送りくらいさせてほしい。弓弦は桃李に着替えを仰ごうとするが、そんなことをしていたら恐らく幹那は居なくなっているだろう展開を読み、桃李の気持ちを組んだうえで黙っている。

「何でわざわざ僕の家にきたの?」
「桃李に会いたかったから」

ぱっと、なんの躊躇いもなく口にされる言葉。会いたかったから。そんな単純なことなのに、桃李は幹那からの言葉に特別な感情を抱く。
夢ノ咲へ進学してアイドルになって、寂しさだって薄れたはずだった。いつも弓弦がいるし、英智や渉、友達もいる。むかぁしからの寂しさだって薄れているのに、アイドルとして応援してくれるファンもいると知っているのに、ただ真っ直ぐに自分にぶつけられる好意があることに胸の奥がくすぶる。それは婚約者だからというだけではない。幹那が、幹那から言われるからこそ、桃李には特別なものに思えて仕方がない。それは英智に褒められることや、創な尊敬されること、あんずに甘やかしてもらうこととは違った特別が、桃李の頬を色付かせる。

「今日も桃李がかわいくてやる気がでてきたわ。ありがとう、かわいい桃李!」

存分に可愛がってくれている。かわいいを売りにしている自分にとって、かわいいと言われることは最大限に嬉しいはずなのに。少しだけすっきりしない靄がかった気持ちが喉の奥につっかえる。
吐き出せれば楽なのに、吐き出す方法がわからない。この気持ちをうまく言葉に変換できない。ぐるぐると消化しきれないものがある。それを言うべきかどうかなんて、言わない方がいい。桃李を思って言ってくれている言葉を否定してしまう気がしたから。

「うん、どういたしまして」

そんなことで嫌われるはずはないと思っていても。それでも臆病になってしまうのはいけないことだろうか。
歳上の婚約者に戸惑っている自分。好意が失われてしまう恐怖。今にしあわせを感じていているからこそ、喪失を考えただけで気を失いそうになる。
笑顔で手を降り、去っていく幹那の後ろ姿。真っ直ぐな好意に嬉しくも、ちょっと苦い、自分だけではうまく消化しきれないきもち。
これが明確に恋であることを桃李はまだ知らない。

2020.07.05.
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -