えいちくんと朝


ぐちゃぐちゃになったシーツ、適当に掛けられた布団、彼の頭の下にだけ鎮座している枕。キングサイズのベッドで目を覚ましたわたしは辺りを見回してため息を吐いた。
少し離れた隣に眠っている彼はみたところ上半身は衣服を身に付けていない。そんなで眠っていたら風邪を引くだろうと思っているが、自分も何も身に付けていない状態であることを自覚して更に深い溜め息をつく。なんでこんなことになっているのかと云えば、昨晩そういうことをしたからだ。行為のあと処理もそこそこで眠りに落ちたらしい。お互い欲も発散して、程よい疲労を感じつつ、宵闇の手招く眠りへの誘いに抗えなかった。


「ねえ」

彼の側に近寄って肩を揺する。天使のような寝顔でいるから思わず見とれてしまいたくなるが、心を鬼にしないと。彼を起こして確かめなくてはいけない。

「うう……ん、…幹那?まだ起きるには、早くないかな…」
「少し早いけど起きて。ちょっと、これ大丈夫か見て」

目を擦りながら意識を現実に繋げようとしてくれている彼。おはよう、とゆったり声をかけられたので、おはようと返事をする。内心そんな挨拶よりも早く確認してほしいことが目の前にあるのだ。いや本当、真面目に。
半強制的に彼を起こして確認させたのはベッドの一角。そこにはまさしく、昨日の行為を思い出させるような汚れがあった。細かく言えば避妊具から中身が出てしまい、その中身で汚れている、と表現するのが一番だろう。そういうことである。
これは寝具を汚して怒られるようなことはないか、むしろ彼の身体のためにならないと行為自体を咎められないか…何か自分に非はなかったか。二人とも行為後の眠気に負けてすぐに意識を手放してしまったらしいので、それを悔やむしかないのだろうか。心配ごとが頭のなかを駆け巡り、彼にすがりついて反応を待った。

「ああ、大丈夫だよ」

非常に軽く言い放った。あ、大丈夫なんだ、とほっとする。
ほっとした束の間、前にもこんなことあったなあ、なんて彼が呟いた言葉がわたしをひどく動揺させた。そんな様子に気がついたのか、彼はわたしの手をとって否定する。

「誤解をさせていたら謝るよ。前も、というのは他の誰かとこういうことがあった訳じゃない」
「…うん」

わかっている。婚約者になって早数年、さすがの天祥院財閥としても婚約者を差し置いて他の女を宛がったりするはずもなく。彼も素直にわたし以外には手を出している様子はない。
あの天祥院財閥、この英智くんの美貌…持て囃されて、騒ぎ立てられて、引く手数多の存在を婚約者というだけで独り占めしているのだ。いざとなったら彼の方からすぱっと別れを切り出されるだろうし。慈悲をかけられて、もしかしたら妾くらいには置いていてくれるかもしれないが。今のところは私が一人独占している状態だ。

「何か変なこと考えてるね」
「浮気はないなって考えてただけだよ」

信用してくれているようで嬉しいよ。
彼は先程より意識がはっきりしてきたのか、ぼんやりと揺蕩うような視線ではなく、しっかりとしたアイスブルーの瞳に芯を持つような視線で私を見る。

「たとえ君がベッドの上で粗相をしても、僕らがぬるぬるローションプレイをしてべたべたにしていたとしても、彼らは特に気にせず仕事を全うするだけだ」
「英智くんの口から“ぬるぬるローションプレイ”とかいう単語聞きたくなかった…」

昔の彼はそういう俗物的な言葉は知らなかったように思えたのだが、高校生活を送るなかで色々と身に付けて言葉を覚えたらしい。大体が夢ノ咲学院での収穫だとおもう。学院に通って、卒業してからは難しい語彙や言い回しの他にも冗談交じりで顔に似合わない言葉を口にすることも増えた。
なので衝撃的には小さくてすんだが、まさかぬるぬるローションプレイなんて言葉、彼から聞く日が来るなんて思ってもみない。

「入院するまでもないけれど、僕の体調が悪いときに水とか色々なものでシーツを汚したしたことがあってね。その時も平然としてたし、平気だと思うけど」
「結局そのあとすぐ病院送りになった話?」
「あはは。言い方がなあ」

身体の弱い彼は未だに季節の変わり目や疲労を重ねすぎるとベッドとお友達になっている。昔よりは程度を知って、少しだけ強くなって、倒れる回数も減ったものの…基本的に身体が弱い部分はそのままなので回数が減るだけ。重症度が比較的軽いだけ。
そんなことを知っているから、シーツを汚すくらいの何かをする体調であれば病院送りになっているはずだ。嫌味たらしい言い方をしたが、そうやって小さく記憶を修正してくるのは彼の手の内。数回記憶を塗り替えられてしまったが、私だって学んでいるので誤魔化されないですよ。

「すぐに回復したけれど」
「完全に回復しきっていない状態で退院したがるのに?」
「言うね…」

そうやって回りに止められて、心配をかけてるの分かってるのだろうか。本人は心底心配してくれる相手はごく数人だと思っているし、自覚はないのだろう。全く…腹のたつ。

「でも僕、丈夫になったと思わない?」
「思わないよ」
「ええ?そうかな」

確かに以前よりは、本当に少しだけ。体力もつけているし丈夫にはなったと思う。けれど比較対象が普通の人となるとまだまだ丈夫ではない。彼は未だ病弱の部類。誰がなんといおうと病弱である。

「無茶しないでね、英智くん。そうやっていきなり体調悪くするんだから」

英智くんは高校を卒業して、ESビルでの事務所を設立して…自分の夢のために進み続けている。学生の時とはまた違った忙しさと疲労を身に宿す姿に苛まれ、周りの人間は不安が尽きない。鬱陶しいほど強く強く言い続けないと聞いてくれないのはどうしたものか。

「幹那には何でもお見通しだね」

自分でわかっているなら言わせないでほしい。自覚をして尚、抗おうとしている。それに抗ったら確実に寿命を縮めるのだというのも理解した上で、だ。
茨の道を絶賛進行中の彼に対し、皮肉を込めてこう言った。

「伊達に英智くんの婚約者やってないから」

それはいいことだ。そういった彼がくしゃみをひとつしたのでパジャマを押し付けた。ここで体調でも崩されたらわたしの責任だ。仕事と関係のないプライベートで、まさか服を着ずに過ごして風邪を引いたなんてばれた日には私が潰される。確実に。
苦笑いをしながら袖を通す彼。こっちの苦労も知らないで。だけどきらきら輝く笑顔に怒る気力もわかず、仕方なく許してしまうのだ。
ああ、今日も新しい一日が始まる。

2020.06.03.
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