えいちくんと勘違い


静かな病室で本を読んでいる。特別室であるこの個室は病院のなかでも最上階に位置していて、あまり騒がしくもない。私はその静かな空間に座して手持ちの本に目を向けていた。
ベッドのなかで眠る英智くんはまるで死んでしまったかのようだけど、よくよくみると呼吸はしているしちゃんと生きている。

私の本をめくる音が部屋全体を支配する。微かに聴こえる英智くんの寝息はか細くて、弱々しくて、風が吹いたらあっというまに飛んでいってしまいそう。もしそうなったとして、私は彼を必死に掴むけれど、彼が私にどうしてほしいかは分からない。飛んでいきたいから手を離してほしいと言われるのか。私も一緒に飛んでいこうと言うのか。
変化や進化を、改革を望む英智くんは同じ場所で足踏みをしていたくないのだと…最近の行動を聞いて思う。だから私は彼を掴んでいても、その手を掴んだままでいいのか、離した方がいいのか、はたまた手を差し出してくれるのか想像がつかない。彼のやっていることを詳しく知らない身としては歯痒さが伴う。全て話してほしいわけではないけれど、こんなことになるまで身体を酷使しないでほしいと文句は言わせてもらおう。


「ん……」

本をめくる音がしばらく止まっていると、ベッドで眠る英智くんが起きたようだ。ぼんやりとした視線が私を捉えている。頭で私だと認識しているのか、寝起きの舌足らずな声で名前を呼ばれる。

「うん、幹那ですよ」
「お見舞いにきたのかい」
「それ以外になんだっていうの」

顔は見に来たが、遊びに来たわけではない。ちゃんとお見舞いに来た。眠っていると思ったから本を持参して読んでいるだけ。目的は英智くんの様子をみることだ。
身体を起こした英智くんは少しだけぐったりとしている。寝起きというのもあるだろうけど、やはり身体がしんどいのだろう。コップに入った水を口に含んで呑み込みを確かめる。ゆっくりと確認をしながら、噎せ込まないようにしながら。

「英智くんあのね、ちょっと大切な話を聞いてほしいんだけど」
「なんだい?」
「身体を大事にして。それができないなら今後のおうちのことも考えてほしい」
「…どういうことだい」

寝起きの彼に伝えるのはいささか卑怯だとは思ったが、普段の彼は忙しい。ゆっくりと話す時間はそこまで多くなく、こうした入院期間の方が時間が作りやすい。負担が大きくなるのは承知の上。いずれは伝えなくてはいけないことで、彼も全く知らないわけではないだろう。

「跡継ぎのこと。こんなに頻繁に倒れてたら、跡継ぎは大丈夫なのかってちょっと言われ始めてるの…知らないなんて言わせないから」

止まる動作に、知っていて言及しなかったのだと確信する。私が小耳にはさんだのは天祥院の家とは違う、懇意にしているおうちの方が話しているのを聞いてしまったから。そのうち私たちの耳に直接はいってこないだけで、周囲の人間はよく口にしている話題だということに気が付くのには遅くなかった。
彼だけではなく、私の周りにもお節介な大人が多い。いや、それ程にも跡継ぎを重要視されているということだ。その自覚は英智くんにないわけはない。もしかしたら彼の耳には入っていて、私に話がいかないようにしていた可能性もある。私の周りには、大人だけでなくお節介な人間がいるらしい。

「僕たちはまだ早いよ」
「することしておいて?」
「ちゃんと避妊しているじゃないか」

婚約者になって年単位の付き合い。そのなかで思春期の性への好奇心も重なって、私たちには既に身体の関係が築かれている。周囲はそれを咎めなかったし、何なら身体の弱い英智くんなので早い時期からの安心材料を求められていたのだろう。結果、未だそれがなされていないので、今のような周囲の言葉が耳にはいるようになっているわけで。
大人たちの期待に添えず悪いが、毎度ちゃんと避妊をしているので確率は低い。そしてそれは英智くんが納得して子どもを望むときがこないと確率は上がらないだろう。つまりもうしばらくは跡継ぎの期待には応えられないということだ。

「英智くん、わかってるの?今みたいなこと続けてたら、本当に早死にしちゃうよ。そうしたら私はどうなると思う?」
「僕の家はそう長くは生きられないというのは知っているだろう」
「そうじゃない」

そうじゃない、そういう意味じゃないんだよ。あなたが学院で何かしようとしているのは知ってる、身体の負担をギリギリ保つところまでにしているのも知ってる、心配してくれている人を無碍にしていることも、わたしは知っているんだよ。
もともと長く生きられるという希望はなくたって、それにしたって生き急ぎすぎているのではないの。どうしてそんな、流れ星のように一瞬で消えてなくなってしまいそうなほどに追いかけているの。
色々な疑問が私のなかを駆け巡る。けれど目の前の彼はそれを知らず、知らないままでいようとしている。

「僕がたとえ早死にするのなら…婚約は破棄になって、君には他の婚約者が現れるのかな」
「馬鹿なこといわないで。私はもう天祥院に半分囚われてるの。天祥院の血を残すことを契約させられてるんだから。英智くんがいなくなったら、わたし…」

この先は口にしたくない。けれど彼に教えなければ。わたし、わたしはね。貴方がいなくなったら。

「わたし、天祥院のおじさまの子どもを産まなきゃならない選択肢だってあるのよ」

口にするのを一瞬ためらって、彼をみれずに俯いた。ついに言葉にしてしまったという現実が突き刺さる。「は?」と彼らしくない合いの手が耳に届き、ああ彼は知らなかったんだなと少しだけ悲しくなった。

「幹那こそ馬鹿なことをいわないでくれ。たとえ結婚する前に僕が死んだら、きみは天祥院から解き放たれるはずだ」
「それはもう無理だもん。わたしは天祥院の血を存続させるために、そういう約束をしたの。英智くんがいなくなったら別のルートでわたしは天祥院家の子どもを産むの。それはつまり、英智くんのきょうだいを、産むことになるかもしれないのよ」
「はは…そんな……きみが、そんなことを?」

本当に知らなかったのだろう。私が貴方の婚約者になったとき…貴方と会って、半強制的ではあったが互いに納得をして婚約に頷いたとき。私は天祥院家との誓約を結んでいる。先程彼に伝えたように、天祥院の血を後世へ繋ぐための婚約であること、それがいかなる場合でも天祥院の子を産むこととして私は受け入れてここにいる。受け入れたからこそ英智くんのとなりにいられる。私の価値は天笠家でもなく、昔の家同士の約束のためでもなく、天祥院家を繋ぐための人間だということ。
自分のいなくなった後のことを想像しているのだろうか。英智くんの顔色は寝起きの時よりも悪くなっている。そのようにする話題を出したのは私だし、こうなることも予測はしていた。けれど予想以上に彼を追い詰めてしまっているのかもしれない。

「僕は絶対にそんなことをさせない」
「させないって…ならちゃんと身体を大事にしてよ!なにも言わなかったけど、みんな心配してるんだよ!」

目の前で蒼白くなっていく英智くんに気が付いているのに、私はどうしても吐き出したかった。貴方を心配している人間は私以外にもいるのに、貴方のもっと近くにもいるのよと教えたいだけなのに。もっと自分を大事にしてほしいだけなのに。どうしてそうやって、貴方は貴方以外のことに命を燃やすの。分かりたいのに、分からない。
私を大事にしてなんて我が儘はいわない。けれどもっと寄りかかってほしい、と思う。支えたいと思うのに、手を振りほどかれてしまう。犠牲は最低限でという英智くん。その犠牲のうちに貴方の割合はどれくらいなの?そうして身を費やした先に貴方はちゃんといる?
全ては口にしなかった。けれどお互いにひどい顔をして口を開いていたのは事実だ。息が上がっている彼をみてはっとする。だめだ、体力を思った以上に使わせている。もう早く寝かせて、私も頭を冷やさないといけない。そう思って彼を寝かせようと手を伸ばせば、その手にしがみつくように彼も手を伸ばした。


「…幹那は、ぼくの、こと……い、と思…っ…」

掠れてだんだんと聞こえなくなっていく声に、絞り出そうと眉をひそめていく表情に、私に訴えるような視線に、一瞬身体が固まった。同時に英智くんの身体が前方に傾くのに気が付いた私は、椅子から立ち上がってベッドから落ちないように身体を支えた。と、思ったのだが、何かに引き付けられるようにして身体が浮き上がる。

「きゃっ」
「っげほ、っう…、ぐ、」
「英智くん?ちょっと…え、」

ぐっと身体を引かれたらしく、背中にはふかふかではないが多少柔らかい感触。天井が見えることからベッドに押し倒されたようだ。最後の力を振り絞ったらしい英智くんは、ベッドへと敷いた私の胸にすがり付くようにして身体を丸めた。
咳き込みながら私の腕と服を強く握っている。さすがにこの状態は危ないのではないかと、自分が先程、彼にかけた負担のことも考えてベッドの上から伸びるものを顔を動かして探す。自分の頭の斜め上にあったそれを見つけ、腕を伸ばしたところで英智くんがその手を止めた。

「大丈夫…呼ばないで……きみがここにいて…くれれば…」

ナースコールを押そうとしている私を、小さな声で制する。だってこんなにも苦しそうなのに。本当に呼ばなくていいの?何かあったら遅いんだよ?私がいるだけでいいなんてことあるわけない。あるわけないのに、苦しさで涙を浮かべている彼の瞳をみてナースコールから手を離す。

「お願いだ、僕のそばにいて……ここにいてくれ」

はあ、はあと苦しそうな声が私の胸に響く。胸元に埋まる彼の頭を反射的に撫でた。もう片方の手で背中を撫でてゆっくりゆっくり、落ち着くように撫で上げる。喘ぐようにして息をしている英智くんに心配になりながらも、撫でてから少し落ち着いてきたらしく、わたしはひとり胸をなでおろした。
こうしてすがり付くようにしている英智くんが思わず小さな子どものように見えてくる。もしかしたら瞬間的に、本能的にそう感じて頭を撫でたのかもしれない。子どものように穏やかな表情で、屈託のない夢を見れますように。今だけでも彼を憂いる全てから解き放たれて眠りにつけますようにと、夢のようなことを思いながら撫で続ける。

咳き込みもなく、早かった呼吸も落ち着き、いつの間にか寝息をたてている英智くんに気が付いた。ただこの手を離して私が退けば、折角寝付いたのに起こしてしまうかもしれない。少しの間なら彼のベッドになってあげようとそのままの体勢で深くため息を吐いた。
本当に、びっくりした。あんなにも彼を追い詰めさせて私は…。目をつむって自分の罪を振り返る。
これから先、こうして苦しむ英智くんを幾度見ることだろう。そこに幾度立ち会うのだろう。そうして立ち会うたびに私は何を思うのか。今回を機に、自分が引き金を引くのはやめようと思う。でもどうやって彼の意識を変えられるのか、他の手段を探さないと。どうやっても自分の身を削ることをやめない婚約者の手綱を握ることは私には出来ないのかもしれない。






ふと、意識が浮上する感覚がした。目を開ければ見慣れない天井を瞳に映す。あれ、ここどこだっけ…。そう思って視界の隅にいた金色の髪を輝かせる婚約者をみたところで、彼のお見舞いにきていたことを思い出した。

「あ…起きたかい?」
「……っ」
「大丈夫だよ。もう少ししたら看護師がくるから、そろそろ起きた方がいいかもしれないけど」

勢いづけて身体を起こす。もう私の上で寝ていない婚約者は身体を起こして私の横で座っていた。

「…休めた?」
「うん。他人の鼓動を聴きながらだとよく眠れたよ」
「そ、そう」

恐る恐る聞いてみるが、二人して意識が途切れる前のことなんてなかったかのように穏やかな空気になっている。一瞬、あれは夢だったのかと思ってしまうけれど、英智くんが私をみる目が悲しみの色を写していて夢ではないことを物語っていた。
それになんだか私にぺたぺた触れてきて、何かを誤魔化すような、何かを埋めるような感じだ。もうそろそろ看護師さんがくるなら止めた方がよいのでは…。

「ねえ」
「なんだい」
「…さっきはなにか誤解させたみたいなんだけど…」

話題もとを察したのか、私の手をぺたぺたふにふに触っていた手が止まる。英智くんは私にその話題を口にさせないようにわざとらしく態度を変えていたのかもしれない。けれどそれに流されるようでは今後、彼との付き合いはやっていけないだろう。
そして先程の話題は前座だ。本当にいいたかったことのとっかかりにすぎない。

「本題はそこじゃないの、文句じゃなくて」
「…そうなの?」
「うん」

彼への文句がいいたいんじゃない。いや、言いたいけれど、そこを重きに置いているのではない。本当はその先のことを言いたかった。思わず脱線してしまったので伝えたいのだが…改めて口にしようとすると恥ずかしくなってくる。あんなにも責め立てるような言い方をして、有耶無耶な終わりかたをしてしまった後に口にするのは、今の私には恥ずかしさが上回ってしまう。

「あの、そのね、」
「言ってごらん」
「…あの、わたし、私はいつでもいいと思ってるからねってことを、言いたくて」

口ごもりながらも、促されて口にした言葉はふんわりとした意味合いのものだった。さすがの英智くんでもこれを読み解いてくれるとは思っていない。自分が口にした言葉の意味を、私自身はわかっている。その意味合いにやっぱり恥ずかしさが込み上げてきて、顔がだんだんとあつく熱をもっていくのがわかった。

「え…」
「そう、そういうこと!高校生だからって周りに何か言われることもあるかもしれないけれど、私は高校生活にこだわっている訳じゃないから…英智くんがもうだめになってしまう前に、ちゃんと形見を残して、ほしいのよ」

もしかしたら最初だけで理解してくれたかもしれない。けれど理解していないかもしれない。恥ずかしさのあまり、彼が口を挟む隙をなくそうと言い訳のように補足の言葉を付け足した。といっても、補足って…となるような言葉しか紡げず、私は耐えきれなくなって両手で顔を覆った。分かりにくかったかもしれないけれど、それでも最後で分かってくれたと信じている。身体の弱い彼、跡継ぎのはなし…そのあとに出た形見という言葉の意味を。
ああっ ここまではっきりと口にしたことは思えばなかった。だからこそこんなふうにお互いにこんがらがってしまっているのだけれど、ギクシャクしてしまったのだけれど!

返事のない英智くんを不思議に思い、指の間をあけて様子を伺う。だって気になってしまう。もしかしたら引かれているかもしれない、なんて思って怖くなるけれど、その考えはすぐになくなった。
引いているというより、ぽかんとした顔で英智くんは私をみている。そしてこっそり指の間から様子を伺う私に気が付き、そっと片手を彼にとられる。まるで王子様がお姫様を導くような、そんな手付きに羞恥心がおさえきれない。

「それは、プロポーズになるのかな」
「えっ!?プロポーズ!?むしろ子どもをせがむ面倒な女じゃない!?」
「面倒だなんて思ってないよ」

囚われている手が次第に持ち上げられ、英智くんの口に触れた。柔らかで、みずみずしさは少しなくなった唇の感触。そうやって唐突に外見に見合った行動をしてくるから困ってしまう。

「うう…プロポーズもなにも私たち婚約者じゃない…」
「僕がいうのもあれだけど、幹那はもっと夢をもっていいと思うよ」
「英智くんに夢を見すぎても現実がシビアすぎるから却下」

数刻前までの緊迫した空気が嘘のよう。ただそのギャップが常々、彼に夢を見られない原因ではあるのだけれど。
手をとられたまま、私は前に身体を倒し、英智くんの胸にすがるようにして顔を埋める。どくどくと聴こえる鼓動が、確かに彼の生きている証拠。この心臓が植え付けるのは天祥院を繋ぐもの。私はそれを橋渡しする役目をもつ。この心臓が、鼓動が、脈打つ時間が私に残された時間も同じ。そう思うと、恐怖と愛おしさが混在したなんともいえない感情がつくられていく。
私がすがり付いたのが、何を思ったか英智くんの庇護欲をかきたてられたようだ。頭にそっと這わせられる大きな手はあまり力をいれずに撫でてくる。

「君に言わせてごめん。でも僕はまだ、………待っていてほしいんだ」

大丈夫。待つ、待つから。ちゃんと私、あなたのきもちが追い付いて、向き合ってくれるまで待っているから。だからこの鼓動が止まってしまう前にどうか残してほしい。天祥院だけじゃない、あなたと私を繋ぐ確かなものを。残される私を少しでも思ってくれるなら、どうか。

2020.10.08.
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