西の太陽 凪砂くんとの楽しい仕事が終わった帰り道。凪砂くんとも別れてひとり、玲明学園の寮へと向かう車に乗っているときだった。携帯が短く震えなにか通知を受けたことを知らせる。ポケットにしまってあったそれを取り出して確認すれば、一週間ほど前に自分から連絡した相手からのメッセージだった。 『双葉ちゃんは夢ノ咲で保護しているよ』 通知内容をみた瞬間、ぞくりと背筋が一瞬凍りつく。文面をみて脳が処理をするのに時間がかかった。双葉ちゃんが、夢ノ咲に?どうして?ぼくがお昼前にでてきたときにはちゃんと寮にいたのに? 何故、という疑問が様々にわき出てくる。どうして英智くんが双葉ちゃんを。だって君はその子に興味なかったはずだよね。君のなかでの優先順位の上位にいなかったはずだよね。だからぼくは、そんな双葉ちゃんだから……。 自分の手の温度が低くなっていることに気がつく。先ほどまで上機嫌だったにも関わらず、今はとても気分が悪い。嫌な予感がする。だってこんなにも、英智くんの連絡で心臓が大きく音を立てている。柄にもなく焦燥感を覚えたぼくは運転手に少しスピードをあげるように声をかけた。ぼくは信じない。自分の目で確かめるまでは。だってそうでしょう。ぼくの側にいてくれたきみは、柔らかく笑って隣にいたきみは、現実だもの。昨日も一昨日も、起きたら隣にいてくれたきみが何処かに行ってしまうなんて。ぼくは絶対に、信じない。 玲明学園に戻って、寮の部屋へとまっすぐに歩いていく。その足取りはいつもより速い。信じない、信じたくない、嘘でしょう。焦る気持ちを取り払いたいのに、歩む速さが制御できないのはどうしてか。 ジュンくんと一緒に借りている二人部屋ではなく、隣の双葉ちゃんと過ごすために新たに借りた一人部屋。内側から鍵を開けられるのも知っているが、今まで双葉ちゃんはそれをせずに大人しくなかで待っていた。だから今だってこの扉を開けた向こうには双葉ちゃんが待っている。最近口にしてくれるようになった「おかえりなさい」を言ってくれる。そうしたらぼくは「ただいま」と言って抱きついて、キスをする。そう、夢を見ていたのに。 「双葉ちゃん?」 扉を開けた先、ぼくが声をかけても返答はない。それに部屋のなかは暗く、人の気配もしない。もしかしたら寝てしまっているのかな。昨日は疲れてしまったようだし休んでいるのかもしれない。ドキドキと心臓の音が耳に反芻する。 「…………」 玄関で靴を脱いで室内に足を踏み入れた。それでもなかに誰かいる気配もなく、部屋を見渡して再認識する。そしてベッドの上、綺麗に脱がれた玲明学園の女子制服が置かれていることに現実を知る。ああ、本当に……。 制服を手にとって抱き締める。手にしたそれは暖かさが失われていて、あの子が脱いでから時間が経っていることを物語っていた。ほんのりとかおるあの子のにおい。呼吸をして、目を瞑って、ここにいないあの子を思い浮かべる。どうして、と小さく呟いて、息を飲み込んだ。理由なんてわかっていたのに。それでもあの子が側にいてくれることを夢見て縋った。あの子も大概、お人好しなのだ。断れなくて側にいて、笑顔を浮かべて…ぼくは、ぼくは。 「うわ、おひいさん帰ってたんですか」 「……ジュンくん」 後ろから聞こえた声の主は愛するユニットの片割れ。物音がしたので様子を見に来たのか。特段室内にあの子がいないことに驚かないところを見ると、彼はぼくよりも先に知っていたのだろう。でもそれは何故?知っていて、ぼくに連絡もせずにいたのは、もしや。 振り返って口にした彼の名前。思いの外、低くでた自分の声に驚いた。いつものように明るく名前を口にできない。もしかしてと考えた、あの子がいないきっかけを彼が作ったという可能性を見いだしてしまったからには。 「…はい。なんすか」 「これは、…」 ぼくの低い声に気が付いたのか、ジュンくんもぴちっと背筋を伸ばして返事をした。ああ、嫌だ。何も聞かなくても、態度でばれてしまってるね。もっと感情を隠せるようにならないと。嘘をついても、嘘を真実にできるくらいの振る舞いをしないとね。 「………やっぱりいいね。君の口からは何となく聞きたくないね」 そういってぼくは、手にしたあの子の来ていた制服を抱きしめて部屋をでる。続けてでたジュンくんを確認して、扉を閉めて、鍵をかけた。ぼくもジュンくんも言葉はなく、静かに隣の部屋へと足を動かす。ほんのりと香るあの子のにおいはいつまでぼくを包み込んでくれるのだろう。 * 双葉ちゃんがいなくなった日から、ぼくは自分でも自覚するくらいに落ち込んでいた。何故、どうして、なんて最初からわかりきったことだったのに。逃げられてもおかしくないことをしていた自覚はある。けれどそれ以上に彼女がほしくて及んだ強行手段だった。無理にでも手にいれたくて、全てを受け止めたくて、遠回しに痛いところを突いてこちらに傾かせようとした。そのなかでもあの子は笑顔を見せるようになって、ぼくの相手もしてくれて、目をみて話してくれるようになった。好意が少しでもあるのだと、ぼくをみてくれていると思っていたのに。 あの朝、目を覚ましたきみが笑ってくれたのは嘘だった?あの夜、ぼくを求めるような表情は夢だった? 少しずつでも良い方に変化があった日々。それは嘘ではないと思っていた。だから今、こうしてあの子がいないことを受け入れがたくて。 そんなぼくを見たジュンくんは茨に連絡をしたらしい。大体のぼくの予想は当たっていて、恐らく双葉ちゃんがいなくなったのはジュンくんの差し金だろう。電話口からわずかに聞こえた茨の声に確信をした。確信がなかった、あの子がいなくなった日はそれでも虫の居所が悪くてジュンくんに当たったものだけど、間違いではなかったらしい。彼の心理も、あの子の心理も、口にしなければわからない。どうして今に至ったのか。どういった選択の末に今があるのか。 自分の気持ちを理解してもらうには相手に伝えることは必要不可欠だ。それは自分にもいえることで、彼女に対してぼくはその行動を省略した。自覚をして、省いたことを後悔しているわけではない。ぼくの心理は語らなくてもいいこと、彼女が知らなくてもいいことだし、これからも口にするつもりはない。 「ねえジュンくん。ぼくは嫌われていたのかな」 「え、今更……ンンッ」 「君ね……」 慰めるならちゃんと慰めてほしいね。そういうところはジュンくんらしいけど。呆れてしまったぼくに、ジュンくんは苦い顔をしながら謝る。別に謝ってほしいわけでもないけどね。 「まあ最初は反発されてたし、そう考えるのは間違いないと思いますけどねぇ。でも変わってってると思いましたよ、俺は」 付け足すようにフォローをいれるのもジュンくんらしい。素直に自分の気持ちを偽れないこの子の美しいところだ。 「うん、そうだよね。あの子はちゃんと笑ってくれてたね」 「………おひいさん、」 決して正当な手段だとは思っていない。それでもぼくの気持ちは偽りなく本物だ。はじめこそぶっきらぼうでなかなか表情を変えてくれなかったけど。笑顔を見せるようになったのはいつからかな。ちゃんと笑って、ぼくをみてくれたときは満たされた気持ちに酔ってしまった。ぼくと同じ気持ちをきみが感じてくれればいいのにと心底願ったよ。きみの笑顔でこんなにも満たされたから、ぼくの笑顔できみも満たされないかな、なんて。 「ぼくはね、本当にあの子が……双葉ちゃんがすき。愛したくて、愛してほしくて、ぼくなりの表現をしたのにね」 「貴族のそれが普通のひとには通用しないって、いい加減気づいてくださいよ」 「何でぼくが合わせるの?ぼくに合わせるべきだね!……って、言いたいけどね。どうも間違いみたいだし」 笑顔を見せてくれたきみは、それでもぼくのもとから去ってしまった。何がいけなかったのか、どこがいけなかったのか、はじめから間違いだったのだろうか。 ぼくの愛はきみにとって荷物だった?抱えきれないものだった?ぼくだけのものにして、周りを見えなくさせてしまえば、ぼくだけをみてくれると思ってたのに。それでもきみはぼくじゃなくて、なかなか振り向いてくれない夢ノ咲に夢見ていたよね。そこにきみが愛すべきものがいても、きみが夢見るような愛はないんだよ。あの子と同じ愛をきみは受けられないと、どこかで自覚をしているはずなのに、どうしても焦がれてしまうのは仕方がないことなのだろうけれど。 「愛して愛されるのって、こんなに難しいものだっけ」 アイドルとしてたくさん愛を振り撒いてきたつもりだった。ぼくを愛してくれるひとたちに、ぼくは愛を囁いていた。互いに愛して愛されての関係を築いていたから、こうも愛することに難儀するなんて思ってもみない。 「そもそもアイドルとは違うんじゃないっすか」 「どういうこと?」 「アイドルとファンの愛して愛されるのと、男女としてのそれはまた別物でしょ」 愛の種類も、程度も。それこそ根っこから違うんじゃないんですか。そういったジュンくんの言葉は純粋なもの。心理を突いているようで、ぼくはがつんと殴られたような錯覚に陥る。 「…明日は雪が降るね?」 「なんとなく見下されてる感があるんすけど。いい加減怒りますよぉ?」 ねえ、双葉ちゃん。きみは今何をしているの?ぼくのことはなにも思っていないのかな。ぼくはこんなにもきみを想っているのに。胸が張り裂けそうなくらいきみが恋しいのに。ひとりで使うベッドはこんなに広かったかな。ねえ、君の温もりがないとこんなにも寂しいんだね。 2020.06.28. |