あんさんぶるスターズ | ナノ





日々樹渉はその日、暇をもて余していた。
普段行っている姫宮とのレッスンも本日は休業。休みも必要であることを本人にも説明し、自分も今日はレッスンをしないこととしていた。…実を言えばいままで演劇部の部室でこっそりレッスンしていたが。誰にも見られていないのなら、していないのも同じ。一息ついた渉は部室を出、もうじき橙へと色を変えていくであろう校内を歩いていた。

ふと、特別室のひとつの扉が薄く開いているのに気がつく。ここはプロデューサーの一人であり、恋人でもある双葉が作業をする際によく使う部屋だ。
中を覗けば無防備にも寝息を立てている恋人の姿。机にもたれ掛かり、細い腕を枕にして夢の世界へ旅立っているようだ。彼女の周りにはいくつもの紙が散らばっており、中には「没」の字もある。担当しているユニットの衣装をデザインし疲れたのだろう。
最近では革命をプロデュースしたあんずとともに、各ユニットのプロデュースにひっぱりだこの双葉。一方、trickstarとの敗北に気持ちを切り替えた桃李に熱烈なレッスンをしている渉。互いのための時間を割くことがなかなかできずにいた。

「たいへんお疲れのようですね」

室内に渉が入ってきたことにも気づかず、閉じた瞼は開かれない。壊れ物を扱うかのように優しく髪を撫でる。
せめて顔を会わせるだけでもと、彼女の姿を見かけたら声をかけ、驚かせるなどしていたものの、逆に疲れさせてしまっていただろうか。笑顔で素直に驚きを表現してくれる彼女の優しさに、甘えてしまっていただろうか。自己満足で心が満たされていたのだろうか。様々な憶測が頭をめぐるが、真実は目の前の寝入っている彼女にしかわからない。

双葉の髪から手を離し、一度握ってから開けば手のなかには一輪の薔薇が現れた。眠る双葉に落とせば、今度は制服の中から次々と薔薇を出していく。観客はいなくとも芸を披露するように表情を変えてたくさんの花が産み出される。軽く双葉が埋まってしまうほどに溢れさせれば満足げにふん、と鼻を鳴らした。
最後に一輪、懐から真っ赤な薔薇が姿を現す。それにふわりと口づけ、寝ている彼女の耳へとかければ完成だ。これで彼女が起きてくれれば大成功なのに。彼女の笑顔がこの場にないだけで少し寂しく感じた。但し、冷えきっているだけではない。この寝顔を見つめるのが自分一人だという優越感はある。こんなにもぐちゃぐちゃと心を乱す彼女は、何も知らずに未だ夢の中。
疲れているのならゆっくりと休んでほしい。わたし一人にしないで起きて笑顔を見せてほしい。相反する思いにたまらず彼女の頬へ指を掠める。そっと、柔らかな暖かい頬は渉の指を優しく反発する。

「んん…」

小さく唸りながら身をよじらせる双葉。ゆっくりと閉じた瞼を開き、数回まばたきをすれば視界がはっきりとしてくる。が、思考は未だ夢の中に取り残されたままなのか、目の前に広がる色とりどりの花が撒かれた状況に、ぼうっと見つめるだけ。
ふと、自分に影を落とす存在にようやく気がつく。隣へと顔を向ければ、渉は待っていましたというように笑顔を浮かべていた。

「ひびき、せんぱい…?」
「はい、貴女の日々樹渉です…☆」
「先輩もいっしょに、ねませんか」

普段のしっかりとした口調と比べ舌ったらずでゆっくりと喋る恋人の発言に、渉は思わず笑顔のまま固まった。
彼女は今、なんと言った?一緒に寝る?馬鹿なことを。
なんて彼が考えているなど微塵にも思っていない双葉は「ねえ」と返答のない恋人の腕を引きながら縋りつく。ますます笑顔のまま張り付いた表情を崩せなくなる渉。力なく縋りつかれている彼女の腕を払うことも、馬鹿を言うものでないと怒鳴ることも、彼には出来なかった。だって目の前の彼女は優しく穏やかに、さながら女神のように渉を誘う。誰がこの手を振り払えようか。

ゆらりと席を立った双葉は渉の腕を引きながら部屋の隅へと歩み始める。彼は引かれるがまま、彼女の目指すところまでなすがまま。
決して広くない室内で目指すところはすぐに見つかった。窓辺から日差しが上手く差し込むこの場所。そこには学校には本来存在しない、大きな大きなクッションが座していた。恐らくこの特別室をよく使用する双葉が持ってきたものなのだろう。クッションへと迷いなく身体を委ねた双葉は、いつのまにか離していた腕を渉に向けて伸ばした。


「こんなにあたたかいと、眠くなっちゃいます…」
「もう既に寝ていましたよ」
「だってねむいんですもん」

自身がクッションへ沈み混んだところで双葉は自分の耳に何かがかかっていることに気がついた。静かに手を当てて、目的のものを外してみると赤い薔薇が手中に鎮座する。にへり、口を緩ませて渉へ笑みを浮かべ、どうしようもない感情を溢れさせた。

「おはな、きれいです」
「あっちに沢山だしましたよ」
「うれしい」

わたしのために花を出してくれたんでしょう?
寝惚けながらも、彼女はしっかりと彼のしたことの意味を見出だしていた。自分を笑わせるために彼がしたのだと。
陽の光と相まって彼女の笑顔は蕩けるように成された。

「せんぱいは、わたしを嬉しくさせるのが得意ですね」
「喜んでいただけて何よりです」
「…ひびき先輩、は、楽しませることばっかり」

差し出された手に手を重ね、寝転がる彼女へ重なるように渉も身体を横たえる。掴んだ手を握りしめながら先程まで蕩けてしまいそうな笑顔を表していた情は直ぐ様破綻した。
寝惚けた熱を孕んでいた瞳は更に潤ませ、きらきらと輝きを放っている。下がった眉は渉の庇護欲を掻き立て、また胸を締め付ける。

「自分もちゃんと、楽しまないとダメですよ」

心咎めのように、双葉の言葉が突き刺さる。与え続けた愛に、無償で返された愛に、渉はどうしようもなく立ち塞がる。
与えるだけでよいと考えていた渉にとって、彼女から愛を返してもらえるなんて思ってもみなかった。恋人となったときには随分と悩まされたものだ。今でも彼女から無条件に、自分へ向けられた愛を受け取るのを恐れている自分がいる。与えるだけでよいと思っていた…本心では愛を渇望していた自分を、上手く隠していたと思ったのに、彼女は見つけ出してしまったのだ。
本当を知られるのが恐ろしい。知られたのなら、彼女は離れていってしまうのではないか。だから別離の悲しみを、恐怖からの解離のために距離をおいていたはずなのに、いつの間にか彼女が与える愛に貪欲になって求めている自分すら存在する。自分が醜いと感じ、しかし与えられた愛に触れるときは幸せであることを良しと感じ、人間らしい感情を知ってしまったと第三者目線で評価する。

「楽しんでいますよ。喜んでいますよ。ちゃんと、貴女の笑った顔で、幸せを感じているのですから」

抗ってももう遅い。自分は彼女という存在を絡めとり、どうしようもないところまで浸潤している。周りが、世界が、誰がなんと言おうとも。彼女から与えられる愛に自分はこんなにもひどくあたたかい感情を植え付けられている。

「わたしが先輩を幸せにしてる?」
「ええ」

与えるばかりの愛に、求めることをしてもよいと少しでも思わせてくれたのは目の前に在る少女だ。彼女自身に自覚はないだろう。複雑な感情を露呈していない自分もそうだが、そういったものなど彼女は気にしていない。ただ自分が与えられた愛に、同じように愛を与えて返しているだけの純粋さがあるから。

「じゃあずっと一緒にいたら、ひびき先輩はずぅっとしあわせです」

先程のような蕩けた表情へと戻り、双葉は渉の頬へ手を滑らせた。そのまま首後ろへと回り、ぐっと強引に引き寄せれば、彼は彼女の腕の中へいとも簡単に捕らわれる。どさり、と衝撃はクッションと、柔らかな彼女のからだが受け止めている。
双葉は抱き枕を手にしたこどものように渉を抱き締め、触り心地の良い髪を丁寧に撫でた。


「わたしと一緒にいて、くださいね」


呟くように小さく紡がれた言葉は、腕の中の渉にだけ聞き取れる。まるで内緒話をするように、二人だけの睦事のように、秘めやかで官能的な約束を契る。


「いまも一緒に、寝てくださいね」
「それは…寝ないとダメですかねぇ」
「ねなきゃだめでーす」

すうすういつのまにか聞こえる寝息。抱き締められたまま、渉は随分と甘く優しい温もりに包まれながら目を閉じた。
このまま、この娘の温もりで、融けて混じり合うことが出来たなら。そんな幸せなことはないだろう。
与えられる無償の愛のまえに、自分の存在はひどく滑稽で立ち向かえない。全てに取り込まれて、ひとつになれたなら、そこは。


日々樹渉の解釈が難しい。
2020.01.19.
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