第二皇子とわたし | ナノ

期成純美





午後の日差しはとても暖かく、外で身体を動かすにはうってつけの天気。部屋に取りつけられた窓からは遠くの方で鍛錬を重ねる兵の声が微かに聞こえる。ああ、身体を動かしたいな、と考えながら璃芳は書を読んでいた。
目の前には自分付きの侍女である晶華。数歩下がった後ろには昔馴染みであり従者である景琳。机には数々の書籍が積まれている。


「先の迷宮攻略で紅明さまが金属器を得られました。金属器とは…」


前に立つ晶華が書になぞらえながら様々なことを話していく。晶華は所謂先生と言うところで、璃芳は生徒。璃芳は晶華の話すことを聞き、必要時書き込みをし、知識を増やそうと教育を受けているところだった。
父が官職についており、書を読むことが多かったとはいえ知識はそれ程多いわけではない。一般市民と比べれば多いかもしれないが、専門職や皇族の有している知識の量と比べてしまえば圧倒的だった。すべての知識を専門的に有せよというわけではなく、皇族の籍に入ったのであれば相応の知識を持っているべきだ。臣下を、国を、世界を見るうえで必須な知識は最低限持っているべきであり、当然である。

璃芳自身、今ある知識や経験は少なくもっと多くのものを自分に取り入れなくてはならない事実などとっくに理解していた。だからこそ婚約期間中から教育を受けていたし、自ら「教育を受けたい」という要望を出していた。
幸い侍女の晶華は他の侍女に比べて有する知識量が膨大に多く、また頭の回転も速い。初めから今まで璃芳に作法を含め知識面から何まで教育をしているのは彼女だ。晶華は新米侍女の教育をしていたこともあり、誰かに物を教えることに慣れていた。だからだろうか、紅明から直々の使命で璃芳の侍女に就いたのは。晶華も晶華で婚約前のじゃじゃ馬っぷりを見ていた影響か、教育心に火をつけられたらしく璃芳を立派な皇族の妃へ育てる欲が備わっていたので進んで璃芳に様々なことを教えている。


「…璃芳さま?」
「、ごめんなさい。ちょっと疲れました」
「少し休憩の時間を取りましょう。話を聞いていても頭に入らなければ無意味ですから」
「そうですね。話を聞いたのに覚えられないのは晶華さまに悪いです」


璃芳は未だに晶華に「さま」をつけて呼ぶ。最初の頃よりはだいぶ気を許しているが、この呼び名は未だに続いていた。冗談であるが時折、主人に対して使うものとしては適切ではない言葉も使えるほど、打ち解けているのに。それが時折寂しく思うが、仕えるようになってから数ヶ月経ったとはいえまだ短い。もう少し時間をかければ従者のように気兼ねなく話せるような関係になれるだろうか。そんな思いを馳せながら、晶華は机の上の書籍を片付け休憩の準備をする。

頭を使うときには甘いものがほしくなる。そういえば蒸かした菓子を作っていると厨房から聞いたことを思いだす。お茶と共にそれを出そう。きっとこの後も効率よく頭を使えるし、女性に甘味はご褒美である。そのようにしようかと璃芳に問おうと口を開けば、扉をたたく音でかき消される。


「璃芳」

声の主は第二皇子であり璃芳の夫である紅明だ。呼びかけられた璃芳は椅子から立ち上がり、服を整えながら「お入りください」と声を掛ける。
扉の向こうからは紅明と従者が立っていた。従者と侍女は手を組み膝をついて頭を垂らす。璃芳も同じくしようとしたが、以前に紅明から「私にはしなくていい」と言われたことを思いだし、手を組み頭を軽く下げて挨拶をした。

「紅明さま?どうされたのですか」
「いえ、仕事の休憩で来たのですが…少々邪魔なようで」

部屋に書籍が積まれており、紅明は明らかにのんびり過ごしているような雰囲気ではなかったことをすぐに察した。ついで璃芳のすぐそばの机には書き込んだ跡のある書物もある。
邪魔をしたと紅明が立ち去ろうとするが、言葉を出せなかった璃芳の代わりに晶華が「お待ちください」と止めた。

「璃芳さま、今日の勉強はこのあたりで終了いたしましょう。また続きは明日に。只今お茶とお菓子をご用意いたします」

膝をつき手を組んだ状態のまま、晶華は顔を上げている。呼びとめられた紅明は特に不快な気持ちも持たず、晶華の言葉を受け止め、どうしてほしいのかを察した。璃芳は自分の代わりに彼女が呼びとめてくれたことに安堵の表情を示す。


「そうですか…それならお部屋ではなくて外に用意を」
「外?」
「こんなにお天気がいいんですもの、お部屋の中では勿体ありません!」


よろしかったら、ご一緒にお茶などどうですか。
璃芳からの誘いだからというのもあるが、晶華の無言の要求に紅明は考える暇もなく頷いた。もともと自分の休憩に璃芳を巻き込むつもりで来たのだが、邪魔であるのなら顔が見れただけでもよかったと立ち去るつもりであった。が、侍女の気回しに感謝せねばならない。


と、外の方にお茶の準備が出来たのはいいが、璃芳は紅明に頭を下げた。晶華から「紅明さまはお外で大丈夫でしたか」と問われた後に紅明が休憩をどうやって取ろうとしていたか聞くのを忘れいたからだ。

「…申し訳ありません。紅明さまのご意志を確認せずに」
「あまり外で休息をとることはないので、新鮮です」
「今からでもお部屋に移動いたします!」
「いえ、その必要はありません」

紅明は室内で休憩をするつもりであったが、璃芳が楽しそうに外での休憩を提案したことでそんなことなどどうでもよくなってしまった。否、本当はどうでもよくないが、彼女と休憩できれば外でも構わないという意味で。
だから頭を下げた璃芳を怒りはしなかったし、咎める気も一切なかった。そんなことより彼女と違う話がしたい。そう、今何を学んでいて、彼女は何を感じているのかを。


「貴女といると普段と違うものを感じられますから」
「…ご迷惑では、ありませんか?」
「迷惑だなんて思いません。むしろ、」

そして彼女の感じているものを、見ているものを、考えていることを知りたい。璃芳と共有したい。自分には感じることのできないものを彼女から学びたい。
それだけではない。彼女の少しの気遣いや行動にさえ自分を慕い支えてくれる意思が伝わる。自分に向ける笑顔がどれ程、仕事で疲れた心を癒してくれるのか、彼女自身知らないだろう。

「むしろもっと、見てみたいと思ってしまいます」

紅明が微笑んで言えば璃芳は顔を赤くし、観念したように椅子に座りこむ。傍に控えていた晶華からお茶を促されれば俯いたままお茶に口を付けた。


「それより侍女からの教育はどうですか」
「は、はい。多くのことを学ばせてもらっています。晶華さまは知識を多く有していらっしゃるので」
「辛かったら遠慮せずに言うのですよ。それと無理をしないように」
「無理なんて。覚えることは難しいことが多いですが、早く覚えたいのです」

璃芳には以前と同じく、目立たない範囲でなら厨房にも出て良いし、剣や弓などの稽古も付けて良いとなっている。時折従者の景琳と共に剣を交えているという話も聞いている。無理をしない範囲で気分転換をしながら、一つのことに根を詰め込みすぎないように出来ているとは思うが、なにぶん慣れない宮中での生活をしているからいつか容量を過ぎて倒れてしまわないかが心配であった。
常にそばに居る景琳も、侍女の晶華も気にかけてはいるものの、強く言えない立場にある。だから思い出したかと言うタイミングで紅明が問いかけている。
けれど璃芳は懸命に慣れようと、多少の無理をしてでもいいからという意思を持っていた。早く本来の妃の振る舞いが出来なければと。紅明に恥をかかせないように、自分の立場は自分で守れるように。


「早く覚えて、何かに使うんですか?」
「早く覚えたらお役にたてるのではないかと思って」
「役に?」
「あ、いえ、その…私ごときが役に立てるかどうかはわかりません。けれど雑用でもなんでも、少しでもご負担を減らせるなら、と」


そうして最初に感じたように、役に立ちたいと。紅明に仕えて、少しでも彼の力に、支えになりたいと。直接仕事を手伝うことでなくてもいい。影から支えられることが出来たらと。


「紅明さまのお役に立ちたいと、思っています」


段々と声が小さくなっていったが、紅明は聞き逃さなかった。勿論聞き逃すはずがなかった。璃芳が言った、紅明の為を思う言葉を、どうして聞き逃すものか。

「………」
「こ、紅明さま?」
「いえ、すみません。まさかそのような答えが返ってくると思ってなかったので」

驚きと、何とも言い難い優越感。役に立とうとしている彼女が可愛くて、自分の為と言う言葉を直接聞くことがこんなにも気分を高揚させるとは思わなかった。
自然と緩くなる口元を見られたくなくて扇で隠す。だらしない顔を見られるわけにはいかない。落ち着け、と紅明は自分を制するように深く息を吸った。

「申し訳ありません!生意気な口をききました…どうぞお忘れください」
「忘れません。寧ろ楽しみにしています」

役に立つ、立たないで傍に置く置かないを決めているわけではない。役に立たないからといって切り捨てるわけではない。が、決して彼女は役に立たないわけではない。反対に、いつの間にか彼女に癒され支えられている。
その事実は未だ言ってやらない。頑張っている彼女の姿が愛らしくもっと見ていたいと思ってしまった以上、止めるわけなんてない。だからもっともっと、その健気でかわいい姿を見せて。


期成=やりとげようとすること。
15.06.28.
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -