第二皇子とわたし | ナノ

牡丹一華に紫を乗せて




「お忘れ物はありませんか」

忘れ物、といってもいつもと変わらぬ服にいつもと変わらぬ扇、特にこれと言って特別今日限りで持っていくものもない。しいて言うなら“覚悟”くらいだろうか。

「ええ。大丈夫です」
「あ、ほら。言ってる傍から上着が」


いよいよ本日、迷宮攻略へと旅立つ皇子一行。今回は紅明の婚儀の縁担ぎという名目で同行する。メインで攻略に励むのは紅炎やその側近たちであるが、紅明の軍略を駆使していくのが見どころ。…とはいうものの、妻である璃芳は同行することは出来ず、この禁城でただ帰りを待つのみ。
迷宮は危険な場所だ。多くの…万という単位の人が挑戦し帰ってこなかった迷宮もあるという。ここで勉強をし始めてから侍女に幾度も教わった事実。それでも迷宮を攻略してきた皇族の人々は本当に戦に関して秀でているのだろう。紅明は実践を好まない人間であるが“縁担ぎ”と称されて同行しないわけにはいかない。言うなれば主役ということである。主役がいなくてどうするのだと、紅炎に無言の圧力をかけられていると小さく呟いたことは鮮明に思い出せた。
くどい様だが、この迷宮攻略は紅明一人というわけではない。紅炎とその眷属、また側近たちもいるのだ。紅炎やその側近もいる中、紅明が命を落とすことなど万が一にもないだろう。だから心配はしていない。していないのだが……。


「お怪我など、なされませぬように」
「…心配してくださるのですか」
「当たり前です!」

夫を心配しない妻などいましょうか!おそばを離れて危険な場所へ行くというのに!
長年は連れ添っておらず、まだ婚儀を挙げて幾何という夫婦関係であるが、それはそれは心の底から、出来ればそんな危険な場所へ赴いてほしくはない、自分のそばにいてほしいと幾度口にしたかったか。璃芳は未だ“行かないで”という言葉を飲み込むほど。気を抜けば今だって口にしてしまいそうなほどに紅明の安否を心配しているというのに。

ずり落ちた上着を直し、両肩に下りた髪を撫で整える。迷宮へ出向かうということで数日この禁城を空けることとなる。その穴埋めと言えようか、紅明はここ連日空けることなく夜は璃芳の部屋へ入り浸っていた。といえども婚儀を上げてから紅明が璃芳のもとへ赴かなかったのは片手で数える程度であり、それ以外は飽きることなく通っているのだ。
夫婦仲がいいことはいいのだが、思ったよりも仲が良すぎではないだろうか。などと皇子に対して言える輩などいるはずもなく。笑って言えるだろう存在の紅炎は面白がって様子を見ているくらいだ。誰も文句など言えるわけがない。

紅明自身、璃芳に入れ込んでいると感じている。しかし衝動を簡単にとめられる程自身に厳しくはない。生を共に寄り添う相手くらいには甘く見てもいいだろう?と堂々としていた。


「大丈夫ですよ。兄王様も、眷属の方々もいます」
「……はい」

そんなことは知っている、百も承知。けれどやはり心配なものは心配なのだ。
貴方だって私がたとえ戦争で後方からの弓兵として出向くとなれば心配してくれるでしょう?紅炎様のお近くで戦争に参加するとなっても心配するのでしょう?それと同じこと。強く頼もしい方がそばにいるとしても、何かあったとなれば気が気ではない。しかし我が儘を言うこともできない。特に今回は婚儀の縁担ぎ、この国の為となることでもある。いくら夫を心配したとえ失うこととなろうとも、大人しく従うしかないのだ。

ふ、と璃芳は息を吐く。
心配ばかりしていないで、しっかりとしなくては。ほら紅明様に心配を残して気を反らしてもらうわけにもいかない。危険な場所へ赴くのならそれなりの覚悟で集中をし、目の前のことを考えてもらわなくては。一時でも私のことなどを考えて万が一にならないように。


「すぐに帰ってくるつもりです。しかし貴女にとっては少し長いものになるかもしれません」

そういえば迷宮内の時の流れは迷宮の外とは違うと聞いた。それは迷宮の中で数日とかかったことが外では数刻の出来事であったり、逆に中で数刻の出来事が外では数日であったりと不規則らしい。であるからこそ「すぐに帰る」心算であっても外では「すぐ」ではないかもしれないということを意味している。それでも今の自分にできることは一つしかない。自分にしかできないことを、自分がすべきことをすることが第一である。身を弁えて自分のすべきことを成せばいいだけ。


「お待ちしています。璃芳はここで、紅明様を」

頭ではわかっていても、大切な人と離れることに感情が動かないわけがない。目の奥が熱くなるのを我慢して自分よりも高い位置にある紅明の顔を見つめる。
心内が分かったのか紅明は璃芳の表情を見て眉を下げて微笑んだ。

「本当に貴女という人は」
「な、なんでしょう」
「…いや、意地悪くするのも勿体ないので」

上着の袖が服に掛かり、手を伸ばされる。辿りついた先は頬で。一撫で、頬を滑らせるようにして撫でると近づいてくる顔。何事かと思考を働かせているうちに唇に温かいものが押し当てられた。
ちゅう、と小さく音を立てて吸い付かれる。静かに離れていったそれに何をされたのか暫くわからなかった。けれども近くにある紅明の顔に事態が理解できたのか、璃芳は顔を赤くする。

「こ、めいさ…っ」
「黙りなさい」


先程頬を撫でた手は、今ではしっかりと頭後ろを支えて逃げられないようになっている。紅明様、と名をしっかりと呼ぶ暇もなく、まるで打ち消されたかのように唇を塞がれた。開いた口のすき間から侵入してくる舌に翻弄されども、恥ずかしいけれど自分からも唇を押し付けて。

もう、折角直した上着がまたずり落ちてしまった。そう思っても紅明の唇が離れることはなく、舌が出ていくこともなく。璃芳は苦しくなる息に紅明の上着をぎゅう、と握りしめた。
紅明の口元が緩く持ち上がったことは本人以外知る由もない。


牡丹一華=アネモネ がヒントです。
14.11.01.
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