第二皇子とわたし | ナノ

08




「弓術はやめてしまったのですか」
「はい。女性射手というのは少ないので」
「成る程」


稽古場を出、璃芳は紅明に連れられて馬屋を目指していた。着替えた服はそのままに、それまで着ていた服は侍女がしっかりと手に持って。
最初は険しい顔をしていた侍女の晶華も終わってみればどこか嬉しそうな表情で迎えていた。何かはわからないが彼女の気分を害さず、いいことがあったらしい。それが璃芳自身の弓術へのレベルが高かったことであるとは気がついていない。最も晶華にとってそれはそれでいいのだが。

璃芳は紅明との会話の中で、これ以上何かぼろを出さないようにと気を付けるので目一杯だった。しかし婚約者と隣を歩くことに嬉しくないはずがない。
だからこそぼろを出さぬよう、且つこの時間を楽しもうと自身の言動に細心の注意を払っていた。


「馬屋はもうすぐです。毛並みがよくいい馬ばかりなので気に入っていただけるとよいのですが」
「いい子に巡り会えるのが楽しみです」


近付く馬屋からは鳴き声が聞こえ、馬丁らしき人の声も耳に入った。どんな子がいるだろう、やはり気位の高い馬だろうか。璃芳は高鳴る胸を押さえながら、馬に出会えることに期待を隠せずにいる。
丁度外にいた馬丁に「馬を見せてもらえないか」と紅明が交渉をしにいった。突然の皇子の訪問に馬丁も驚いたが、馬丁頭も現れて馬をみる許可をもらえたらしい。
行きましょうか、と紅明と案内をしてくれるらしい馬丁が歩き出す。すると中から馬の高い鳴き声が響き、馬丁達の叫ぶ声が聞こえる。
何事かと案内の馬丁が扉を開きに走れば、中から馬が一匹姿を現した。

「危ないぞ!」

馬丁たちが声を上げて逃げろと叫ぶ。首を振り、興奮状態のその馬は手綱すら簡単には握らせてくれない。馬丁が何とかしようと近付くものなら容赦なく踏むだろう。前脚を上げ、鳴きながらこちらへと向かってくる。


「危ないですからこちらへ」

焦ったように紅明が璃芳の肩を掴み、彼の従者も前に出て備える。しかし璃芳は向かってくる馬から視線を離さない。言葉も返さず、ただ暴れ走る馬の様子を観察するかのようにじっと見る。そうして紅明の掴む肩さえ振り払うかのように、従者の脇をすり抜けて馬に向かって飛び出した。
一瞬のことで、紅明も従者も飛び出したのが璃芳であると認識するのが遅れてしまう。侍女も主が飛び出したことに気付き、高い声で名前を叫んだ。

「璃芳様!!」


紅明が腕を掴もうとしたところで既に飛び出した璃芳の腕は掴まらない。
興奮状態の馬へ近付いた璃芳は暴れる馬の隙をつき手綱を握る。振り払われぬうちに地を蹴り、馬の背に飛び乗った。綱を引き落ち着かせようとするが、なかなか暴れが収まらない。


「怖がらないで、怖がるものは何もないから!」

馬丁も安易に近づいてよいものか図りかねているようで、璃芳が飛び乗った後も下手に手出しは出来なかった。乗馬の準備も出来ていない馬は尾骨が擦れて痛む。なるべく暴れないよう、また長時間乗ることは避けたい。
ヒヒン、と鳴く馬は怯えた様子であたりを蹴散らすようにして未だ落ち着かない。璃芳は意を決し、手綱を片手で持ち、離した手で馬の背を撫でた。

大丈夫、大丈夫よ。いい子だから。
馬丁も璃芳の手段に驚いたのか、開いた口が塞がらない。暴れる馬の手綱を片手で持つなんて、振り払われて落ちる覚悟でないとできないだろう。そんなことさえ厭わないのかと。


「ね、大丈夫、何も怖がるものはないの……そう、いい子ね」


馬丁の焦りとは裏腹に、馬は璃芳の声に次第に耳を傾け落ち着きを取り戻す。ぶるる、と震えた馬は興奮のままに暴れる様子なく、璃芳の操る綱に従った。そのまま馬丁の方へ歩かせ、手綱を任せる。
下に降りようとする璃芳は一瞬、身体が固まる。飛び乗ったために考えていなかったのか、この馬は思ったより高い。飛び降りてもいいのだが今の服装を考えてはうまく着地できるか自信がない。袴が引っ掛かり転んでしまうかも。
そんな彼女に気が付いたのか、馬丁が手を伸ばそうと動いたとき、紅明がそれを止めた。馬丁を下がらせ馬上の璃芳を見る。上着の袖を軽く捲り、璃芳へと腕を伸ばす。

「手を」

伸ばされた腕に戸惑いながら、そっと手に手を重ねる。力強く握り返された手は安心して身を任せられる気がした。
片手で支えられながら飛び降りる。瞬間、もう片方の紅明の腕が璃芳の腰を掴んで引き寄せる。真っ直ぐ紅明の腕へと降り立った璃芳はすぐ近くにある婚約者の体温にほっと息を吐いた。


「ありがとうございます」

馬丁ではなく、自ら前に出てくれた紅明へ。握られた手はゆっくりと離れ、紅明は顔を崩して頭をがしがしと掻いた。

「どうなることかと思いましたよ、本当に」
「でもあの子を落ち着かせるには、ああするしかありませんでしたから」


それにあの子は何も悪くない。馬は周りの空気に機敏で、少し大きな反応を示しただけ。だからあの子への被害が大きくなる前に落ち着かせなくてはならなかった。それができそうな人間はおらず、頼れるのは自分だけ。そう思ったら身体が勝手に動いていた。
本来はいい子なのだろう。落ち着いた後に鳴いた声も、初めて乗った私でさえ振り落とさずに従ってくれたあの子は。だからこそこの手段でよかったのだ。自らのことなど考えずに飛び出したけれど、内心は無事であったことにほっとしている。
ふふ、と自分の事なのに、変なの、と自身を笑えば、正反対に紅明はため息をついて言った。


「あなたが無事でよかった」


ため息の後、安心したような困ったような、何ともいえない顔。
でも彼が心配してくれていたことに、無茶して良かったと思えた自分がいる。こんなこと本当はいけないけれど、それでも少しずつ紅明と触れあえることが嬉しいのだ。

……と、馬も馬丁も落ち着きを取り戻した頃。少し離れた場所で大きな音が鳴り響く。激しく耳を打つ音と、ガラガラと何かが崩れる音が同時に聞こえ、紅明はもしや、と顔をしかめた。
何事かと訳も分からない璃芳や侍女は眉を下げて紅明を見ている。危ないからと非難させるより自分の元にいた方が危なっかしくない気がした紅明は璃芳と侍女を連れ、従者と共に騒音の響いた方へ駆けだした。



馬屋から三つ隣の稽古場からした騒音に兵たちは身を守るために遠くへ逃げていた。その場の空気はとても重く、余程の人間でなければ近づけない。そこへ姿を現した紅明と璃芳、および従者侍女たちは稽古場の光景に声が出なかった。
地がえぐれていたり、城壁が半分崩壊していたり、近くの木が数本折れている。騒ぎの中心となっているらしい人物は稽古場の真ん中で佇んでいた。ピィピィと何かが周りを取り囲む二人。砂煙に巻かれて姿ははっきりと見えないが、確かにそこに立つのは二人の人物だ。


「神官殿!それに守護者殿!」

紅明が騒ぎの中心人物らしい二人を呼ぶ。紅明の声に気がついたのか、砂煙の向こう側、黒っぽい人影は一目散に逃げていった。
「あ、ちょ、お待ちください!」と聞こえた声は恐らく残った一人だろう。綺麗な高い声に女性であることが察せられる。段々と晴れる砂煙に、その姿が露わになる。
そこに立っていたのは水晶のような輝く瞳、白く光る絹糸のような髪を持つ、白の姫その人であった。
璃芳は初めてみる白の姫を目の前に視線が外せない。また彼女も、璃芳の姿を見て目を見開いた。が、すぐにそんな場合でないと頭を追いつかせたのか、紅明と璃芳に向かって頭を下げ逃げ出した。

あんな綺麗な方、見たことがない。いや、綺麗だけではない、一言では言い表せられないような、魅力的な人。珍しさだけではなく何かわからないが引き付けられるような、そんな言い表しがたい、何かがあの方にはある。
白が揺れた後姿は璃芳の視線、思考、心を奪っていったのだった。




ちょっと出ですが守護者=紅炎お気に入りの白の姫。
友人宅の子です。おおっぴらにこちらの本編では出しませんので。
しかしまあ、馬から降りるときに紅明に飛び込んでくなんて羨ましい!
14.03.02.
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