第二皇子とわたし | ナノ

07




紅明は神官の姿が見えないことに気がつき、禁城付近を探していた。いつもの通り馴染みの従者を連れ、様々な兵が鍛錬をする稽古場を捜索している。ぶっちゃけた話、神官は何処かに行ってしいまえば気が済むまで帰ってこないので探すだけ無駄だ。そうとわかっていながら、仕方なく探していた。
珍しく従者の分野である弓兵たちの稽古場をたまたま通過したときだった。兵たちが半円を作り、的に向かって弓を射るただ一人を真剣に見つめている。何かいつもと違うことに気がついた紅明はそちらへと歩み始める。従者もそれに続き、兵と同じく視線を向けた。
同時に、弓を引く人物を見た紅明は声が出せない。まさかいるとは思わなかった人物が弓を引いて立っており、真っ直ぐ強靱な眼差しで的を見つめていた。

…璃芳殿。
小さく呟いた名前は少し距離のあるこの場所から本人の耳には届かず、また、真剣に的を見つめる璃芳に紅明の姿は映っていない。
弓術を行う際に女性が身につける服を着用し、長く蒼光りする髪は後ろで動きやすいようにまとめている。今まで見たことがない姿に最初は誰か分からなかった。しかし彼女は紛れもなく紅明の婚約者である璃芳であった。
矢を手に弓を引く彼女の周りだけ世界が違うように、時間の流れが違うかのように異様なものに感じる。璃芳の纏う空気か、それとも…。

撓(しな)る弓、真っ直ぐ矢を的めがけて固定をする。ぎりぎりと思い詰める空気の中、璃芳の手から矢が放たれる。ヒュン、と風を裂く音が耳に届く。力強い音と共に弓は的を射た。…ただ残念なことに矢は的の真ん中ではなく、少し右にズレたところに在った。
ああ惜しい。
そんな空気が兵たちから流れ、紅明も同じように惜しいと肩を落とす。一番悔しいのは璃芳自身であるはずだが、彼女はまた当然であろうという顔で振り向いた。


「年単位でやっていませんでしたから」

空気に同調したように眉を下げ、悲しげに微笑む。きっと心内では“仕方ない”と思っていることも、場の空気に乗じているのだろう。紅明は自然とそんなことを感じ取れた。


「次の矢を…」

周りを囲む兵に放った言葉が途中で途切れる。むしろ璃芳は目を見開いて固まっている。中途半端に持ち上げられた腕が不格好に存在を主張していた。
…そう、彼女は自身を囲む兵の向こうに目立った赤い存在を見つけてしまったのだ。


「こここっこっ紅明様!」


璃芳の言葉に兵たちは後ろを振り向き、紅明の存在を認知すると一斉に膝をついて頭を下げる。侍女たちも同じようにしている中、璃芳は手で拳を作りそこに片手を重ね、頭を下げた。


「驚きましたよ、弓術も出来るのですね」
「ま、まさか今のを見ていたとか」
「ええ見ていました」

勿論ですと、頭を上げた璃芳は紅明が笑っているのを確認した。
何故、こうも都合良く出会ってしまうのか。自分は禁城から遠くに出向くというのに…この広い宮中で何故。そればかりが頭に浮かび言い訳も何も口にできない。ああもう、どうすればいいと頭の中で混乱すればするほどどうすべきかが思いつかない。
そんな時、紅明のが璃芳を助けるように言葉を紡いだ。


「続きをお願いします」
「へ…?」
「まだ射るのでしょう、是非見せてください」

彼女に矢を、と紅明が近くの兵へ指示すれば兵は断ることなく矢を用意する。兵から渡された矢を受け取った璃芳は断れない空気を察した。
こうなったらやるしかない。年単位のブランクが何だ、やってやろうじゃない。…と強気なことを思いたかった。実際は口には出さず、成功しますようにと心の中で願い続けていた。

先程の位置へ戻った璃芳は礼をし一連の動作をして弓を構える。こうした彼女にはもう直線に見える的しか目に入っていない。
中心を強く見つめる。撓(しな)る音しか聞こえないこの場は異様なほどに静かで、心音まで聞こえてしまいそう。震える手で掴む矢を的へと固定し、先程と同じく風を切るように射た。が、今回は先程よりも随分と中心から外れた場所へ到達する。璃芳もこれには堪えたのか、下ろした手で作った拳は白くなるほどに握られていた。


「ほっほっ 紅明様がいらっしゃるから緊張でもしたか?」

側に控えていた師が逆撫でするように璃芳を挑発する。師の言葉が気にくわなかった璃芳は唇を噛んで耐える。

「…お約束は五本です。次の矢を」

燻(くすぶ)る感情を懸命に抑え、近くの兵に矢を催促した。内心では悔しく、師の言葉が強く刺さったであろう。それでも表立ってみせぬように堪えている。侍女も主の感情を読みとったのか息をのんで静かに見守っていた。同様に紅明も下手な言葉は掛けず、ただ集中出来るようにその場から見守っている。
璃芳が矢を受け取り再び礼をする。息をふっと強く吐き、弓矢を構えた。その時少し離れた場所で何かが衝突するような音が聞こえる。だが集中し的しか見えていない璃芳にそんなことは関係ない。まるで世界が其処だけ隔てられているように動じず、構えた姿勢を崩さない。
一点集中し狙いを定めたその瞳が見開かれたとき、璃芳の手から矢が放たれる。侍女が手を組み願うように目を瞑る。矢が的を射た音が静かに響いた。

……矢は的の真ん中を射、残りの二本も同じく真ん中へと射られる。先の二本が嘘のように後三本が真ん中へ射られれば、師も満足の表情で璃芳を褒めた。


「二本で感覚を取り戻すとは、まだまだ衰えていないようだな」
「いえ、まさか三本が決まるとは私も思ってもみませんでした」


弓を近くの兵へ返し、少し乱れた服を直す。矢を射るときの表情とはまるで違う璃芳に、紅明は何処か似たようなことを最近考えたような、と感じていた。


「どうでしたでしょうか」
「…家庭的で色々出来る方だと聞いていましたが、まさか弓術まで身につけているとは思いませんでしたよ」


どうやら少女の抜けない彼女は家庭的ではあるが、様々に興味を持つようだと思っていた。しかし周りの空気を感じ取り同調するという手段もしっかりと持っていた。それだけでなく弓術を身につけているということは、多少身体も動かせる。何もできないならばそれなりに目を配っていかねばならないが、どうやらそこも自立しているらしい。
家庭的、周りの空気を感じられる、そして彼女自身の身を守る術も身につけられるだろう。否、もしかしたら既に身についているかもしれない。そして他にも得意とすることがあるかも。


「もしかして馬にも乗れるとか」


えっと驚く璃芳。一瞬焦るも、事実をひた隠しには出来ないことを学習した彼女は諦めた表情で言った。

「…はい、乗れます」
「ならば今度、遠乗りなど如何でしょう」

私はそこまで得意ではないのですが、と紅明。
それでも禁城を出て出掛けてみるのはいい気分転換になるだろう。口には出さずとも彼女を気遣う姿勢の紅明。璃芳は思ってもみないお誘いに「是非」と返事をしていた。
内心、弓術や馬術などを身につけていることに退かれないだろうかと心配していたが、どうやら平気らしい。穏やかな表情の紅明に、ほっと胸を撫でおろした璃芳は小さく息を吐く。


「となるとあなたの馬を決めねばなりませんね」


お時間があれば馬屋にどうですか。良いのですか。ええ、勿論。
当初の目的である神官探しなど忘れているように、一連の会話をした紅明は一歩また一歩と足を進める。それに続くように璃芳も師へ頭を下げた後、侍女と共に歩きだす。後ろに控えている従者が複雑な顔をしていることに紅明は気付かぬまま。


実はアクティブな璃芳さんです。
14.02.25.
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