27000打目を踏んでくださった、ご訪問者様への贈り物です。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。



春。

新入生を迎えて活気付く学園は、桜が雪の様に舞っている。
佐伯克哉は、今年2年生になった。
後輩ができると、友人の本多は喜んでいたっけ。
校舎へと続く桜色の道を一人で歩く克哉は、微笑を浮かべて空を見上げた。

「いい天気」

今日からまた、新しい一日が始まる。


春告げ鳥、鳴く


「・・・って思ったけど、そんなことはないかな」

片手では到底持てない量の書籍は、克哉の両腕を占領して悠々と運ばれていた。
克哉が図書委員に仰せ付かったのは先週の話だ。
本は好きだし、静かな空間で一人で黙々と作業できるのは、自分の性に合っているとも思う。
だから、その点に関して不満はないのだが、一つ言いたい事があるとすれば。

「も〜。野見山先生は人遣いが荒いですよね、佐伯さん」

後輩が唇を尖らせているのを苦笑して見ながら、克哉もまた肩を回していた。
やっと最後の荷物を運び終えて、資料室とは名ばかりの物置のごとき部屋を後にする。

「ごめんね、藤田くん。手伝って貰っちゃって」

「なに言ってるんですか。それが仕事なんですから、佐伯さんは気にしないでください。また何かあれば、いつでも呼んでくださいね」

「ありがとう」

人好きのする笑顔は、春にぴったりの陽気さと温かさがある。

「じゃあ、俺は部活に行ってきます」

「いってらっしゃい。頑張ってね」

「佐伯さんも当番、お疲れ様です」

風のように駆けて行く姿を手を振って見送った克哉は、自分も階段を上っていく。
藤田の言ったように、今日は当番の日だ。
図書委員会では、一週間を持ち回りで当番を設けている。
とはいえ、そう特別な事をする訳ではない。
本の貸し出しの際にカードを記入するのが主な仕事で、あとは棚の整理や、たまに今日のような、藤田に言わせれば「雑用」が舞い込んでくる事もある。

「でも、悪い人じゃないんだよな」

思わず、この場にいない人間への擁護に回ってしまう自分に、また苦笑してしまった。

人通りの寂しい廊下の突き当たりにある図書室は、基本的に来訪者は少ない。
時折、自習に使用する生徒もいるが、他に自習室も用意されているこの学校では、そういう意味でも利用者は多くはないだろう。
商売じゃないのだし、人が少なくても実害はないのだが、本好きの身としては身近にこれだけの読み物があるのだから、利用しない手はないと思っている。

一歩入ると、それだけで違う空気を持つこの部屋が、克哉は好きだ。
大きな窓が2ヶ所開けられていて、柔らかな風が時折カーテンを揺らしている。
いつも通り、貸し出しカウンターの後ろにあるロッカーに荷物を押し込んで、最近お気に入りの作家の短編集を机に出した。
今すぐ続きを読みたい欲求を押し込めて、まずは一仕事だ。
相も変わらず、本日の克哉の職場は閑散としているが、その方が作業は捗るというものである。
昨日の分の貸し出しカードを広げて、書名と日付をチェックをしていく。
ノートに書き上げて終わりなのだが、それも5分もしないうちに終わってしまった。

(まあ、10人いないしな)

「・・・ん?」

小さな溜め息の直後に、意識せずに小さな声が出た。
さっきの溜め息と同じくらいの大きさの疑問が、カードの端々から見て取れたからだ。

(この人、すごい・・・。一週間でこの量って・・・)

学年は、克哉の上。

「3年、御堂・・・さん」

克哉の3日間の読書量を、この御堂という生徒は1日で読み終えているらしい。
気になると、徹底的に調べたくなるのは幼い頃からの性分だ。
幸い、まだ図書室内に人はいない。
過去のノートや手近にあるカードに片っ端から目を通していくと、案の定、その名前がかなりの割合を占めていた。

「難しい内容が多いな・・・。あ、これは読んだぞ。でも一週間ギリギリだったんだよな」

克哉が、返却期限に滑り込みで間に合わせて読み上げた長編の物語も、御堂生徒にかかれば3日らしい。
けれど、克哉にとってはそんな事よりも、顔を見たこともない上級生との小さな接点ができた気がして、気持ちが高揚した。
現金な事に、憧れにも似た感情が生まれた自分に、恥ずかしい気分と嬉しい気分の天秤が、ゆっくりゆっくりと揺れている。

「すみません」

落ち着きのある静かな声が克哉を現実に引き戻さなければ、いつまでも天秤に揺られたまま、百面相していたことだろう。

「わ! は、はいっ」

反射的にカウンターを振り返ると、自分を呼んだ声と全く同じ雰囲気の人物が立っていた。
手には数冊の本とカードが用意されている。
当然、借り出し希望の生徒だ。
だが克哉は、その名前を見るや否や、図書室で働く図書委員とは思えない声を発した。

「あ・・・御堂さん!?」

「え!? あ、ああ。そうだが・・・」

驚いて目を丸くする上級生は、なるほどとても綺麗な顔立ちをしている。
それこそ、そのまま物語の主人公になってしまえるような、均整のとれた目鼻立ちに整えられた髪。
同じ制服を着ているのに、なぜか彼の纏っているものは高級そうな気がしてならない。
それに、これだけの読書家だ。
きっと知識も豊富で、非の打ち所もないのだろう。
克哉は、勝手に想像していた「御堂さん」が、実際はそれより遥か上に住んでいる人という印象を、一瞬で受けた。
そしてその興奮そのままに一人で先走った行動を取ってしまった事は、自分でもかなり驚いた。
しかしこれは、いきなり初対面の人間に向かって、褒められない対応だ。
克哉は、まずは非礼を詫びた。

「いきなりすみません。オレは、図書委員の2年、佐伯克哉です。さっき、貸し出しカードを見ていたら、先輩の名前がたくさんあって、すごいなぁって・・・」

「・・・そうか。受験生なのに、本ばかり読んでいる場合か、と」

「ち、違います。純粋にすごいと思ったんです」

外見からは、とても真面目で硬い印象を受けたが、こうやって冗談混じりに笑ったりもするのか。
会って数分の相手の事を少し知れただけで、どうしてこんなに嬉しいのか。
克哉は逸る気持ちを諭すように落ち着けて、もう少しだけ、と御堂に言葉を歩み寄せた。

「オレも本が好きだけど、先輩ほど速くは読めません。『鈍色の木』なんて、一週間ギリギリでしたし」

「ああ。あれはなかなか良かった。そうか、読み終えたのか」

御堂は、嬉しそうに目を細めた。

「しかしあれは、あまり借りる人はいないんじゃないか?」

「そうですね。先輩の名前の次は・・・オレ、ですし・・・」

言っていて、なぜか顔に熱が籠もるのが分かった。

「どうした?」

「へ? あ、いえ! なんでもありません! この3冊でいいですか?」

「ああ」

扉の開く気配がして御堂は横目でそちらを見るが、雑念を振り払うように一心にカードを注視する克哉は、それさえ気付かない。

「はい、どうぞ。返却期限は、来週の水曜日です」

「ありがとう」

本を手渡すのと同じタイミングで、克哉に声が掛かった。
それはさきほど入室した女生徒で、棚の最上段にある本を取ってほしいと言う。
快くカウンターを出た克哉は、脚立を用意してそちらへ向かった。

「これでいいですか?」

「ありがとうございます」

「いえいえ。この棚は、男でも脚立を使わなきゃいけないから、またいつでも言ってくださいね」

物腰柔らかく対応する姿を、御堂は黙って見ていた。
女生徒はそのまま他の棚へ移ったが、克哉はなかなか降りてこない。
そう思っていると、そのまま整頓を始めてしまった。
この際だからやってしまおう、と彼の心が読めた気がして、御堂は微笑とも苦笑ともつかない顔になる。

しかし、その優しげな表情が変わるのは一瞬だった。

「危ない!」

脚立の上でバランスを崩した克哉は、短い悲鳴を出して足元を失くした。
そのまま床へ落ちる自分の姿が頭に浮かぶが、何もできないまま目をギュッと瞑る。
しかし、いくら待てど、硬い感触に叩かれることはない。
そっと開いた目に飛び込んできたのは、さっきまで散々、綺麗だ端整だと心の中で褒めちぎっていた顔だった。

「え・・・、え!? み、御堂さん!? どうして・・・いやそれより、すみません!」

「大丈夫か? 脚立が古くなっていたようだな」

「御堂さんこそ、大丈夫ですか!? オレを庇ったりなんかして・・・怪我してたらどうしよう」

「私は大丈夫だ」

「うそ! ここ、擦りむいてるじゃないですか」

場所を忘れて、克哉の声が荒くなる。
血がうっすらと滲んでいる御堂の手を取って、克哉はそこに唇を近付けた。

「!?」

柔らかい唇は、御堂の白い手に乗る。
小さな水音も、静まり返った室内では耳に妙に大きく残った。

「・・・やっぱり、ちゃんと消毒してもらわなきゃ。御堂さん、今から保健室に・・・・・、御堂さん?」

「あ、いや。これくらい、何とも・・・」

夕陽のような顔が、ふいと背けられた事で、克哉はハッと我に返った。

「〜〜っ!! あ、いや、これは・・・すみません!」

さっきから、彼の行動はすべて必死に一直線だな、と御堂は小さく笑った。

「君が無事ならいいんだ。私も大した怪我ではないし、あまり恐縮するな」

「ありがとうございました・・・」

泣きそうに歪む顔に笑いかけ、その頭を軽く叩くと、克哉は途端に破顔した。

「君の表情は、ころころと変わって面白いな」

「そ、そうですか? でも、それを言うなら、御堂さんの方がそうですよ」

「私?」

「はい。今日初めて会っただけで、御堂さんのいろんな表情が見られて嬉しいです。でもきっと、それはほんの一部ですよね。もっと御堂さんのことを見てみたいなって、そう思いました」

「・・・もういい」

「え? あの、オレ、何か気に障るような事・・・」

「・・・けだ」

「え?」

「そんな事を言われたのは初めてだから、驚いただけだ」

だから、克哉に非はないとモゴモゴと話す姿は、これもまた初めて見る姿で。

「これからも、いろいろお話しさせてもらえませんか?」

「・・・ああ」

ぶっきらぼうに投げられた返事も、克哉にとっては春の便りのようだった。




あとがき

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