ぱちり、目をさます。
ぼんやりと映る天井に、私は無意識にため息を落とした。


「(……また、同じゆめ……)」


何度もなんども夢に見る。
白…いや、白銀の男、黒く長い髪をツインテールにした女を、赤い髪にバンダナを巻いている男を。
漆黒の長い髪をポニーテールにしている、刀を扱う男を。
漆黒の短い髪に、可愛らしい笑顔で笑う男の子を。


「(あれは…誰……)」


幾度となく問いかけたそれに答えてくれる人などいるはずもなく、私は重い身体を起こして着替えた。
ドレスローザの空は、他の国々と同じ青い。空はどこへ行っても変わらないと言ったのは、いったい誰だったか。


「あ、コアラ」
「なまえ! 着いてたの!?」
「うん、昨日」
「もー! 着いたら連絡してって言ってたでしょ!?」
「わすれてた」
「許す!」


ぎゅううっと抱きついてきたのは、同じ革命軍幹部のコアラ。華奢な体つきをしている彼女だが、いざ戦闘となるととても頼りになる。


「戦況は?」
「そこそこ。なんかコロシアムの戦士達も打倒ドフラミンゴに向かってるみたい」
「へー。じゃあ行くね」
「ちょっと! 行くってどこに、」
「――戦いに」


綺麗な、凛とした表情でそう言ったなまえは、立ち尽くすコアラを置いて地面を蹴った。


「しまった…ここどこ……」


しかし、案の定広いドレスローザに迷ってしまった私は、瓦礫と化した家々を前にキョロキョロと辺りを見渡す。


「なつかしい……」


――懐かしい? 何が?

私は不意に出た自分の言葉に吐き気を覚えた。どうして、何が懐かしい?こんな光景が懐かしいわけがないのに、


「ヒィ…! たす、助けて! だれか!!」


小さな子どもの、助けを求める声が耳をかすめる。それが、なぜだろう、まったく違う声に、だけどどこか似た声に聞こえたのは。


「なまえ………たすけて…!」


必死に伸ばされた手を、私はどうした?


「たすけて! だれかぁ!!」
「っ!」


再度求められた声に、身体が勝手に反応した。止めていた足を動かし、今まさに子どもに向かっていた刃を同じ刃で退ける。
――ガキィン!!


「あぁ!? 誰だお前は…」
「あんたには関係ないよね」
「アァ!?」
「ほら、立って」
「ふ、っ、グスッ、」


擦り傷だらけの男の子を立たせ、背中に背負う。ぎゅっと首に小さな腕を回させ、「しっかり掴まってて」と一声かけて私はその場から猛スピードで駆けた。


「うわぁ! お、お姉ちゃん速いね!」
「ひひ、でしょ」
「……っ、ぱ、パパとママは…」
「………しっかりしろ、男でしょ。男ならどんと構えて、目かっぽじって探して」
「っ、う゛ん゛……!」


ぐし、と涙を拭い前を見る男の子に、私も安心して前へ進む。すると前方に泣きながら名前を呼ぶ夫婦を見つけた。もしかして、とそこへ足を向けると、男の子も二人を見つけたのか小さく呟きが溢れる。


「ぱ、ぱぱ……まま…っ…」
「……ほら、声出して、呼んで」
「ふ、っ…パパ! ママァ!!


男の子の大きな声に、夫婦はこちらに駆け出した。やがて再会の抱擁を交わし、互いを涙で濡らす、
その光景に安心した私はひとまずここから早く逃げるように口を開いた瞬間、背後から迫るとてつもない殺気に刀を抜いた。


「は、っ…」
「フフッ、フフフッ……なるほど、革命軍幹部の名は伊達じゃねェようだなァ」
「…ドンキホーテ・ドフラミンゴ……どうしてここに…」
「駆け回るハイエナを見つけたから来てやったんだ…まさかこんな当たりだとは思いもしなかったがなァ」


ニヤリ、と楽しそうに口角を釣り上げるドフラミンゴに、私は刀を握りしめる手を強めた。
こいつの能力はただでさえ強力で、目に見えにくい糸。斬ってしまえばそれまでだが、なかなかに簡単なことではない。


「なァ、なまえチャンよォ……」
「…名前で、呼ばないで」
「フフフッ、そんな大事な名でもねェのに…そう言うなよ」
「大事だ!!!」


つい口から出た言葉に、ドフラミンゴはもちろん私自身も驚いた。どうして私は、名前ごときにこんなに怒りを露わにしている?
自分の身体の中にいる、私の知らない自分に恐怖した。


「なんだァ? 面白そうだな…」
「っ……!」


クイ、とドフラミンゴが指先を動かす。それと同時に私は刀を空中に振った。するとパラパラ…と降ってくる糸くずに、自分の勘が正常に働いていることに安堵した。


なまえ
「は……」
なまえ!
「な、に……!」
「こっちおいでよ! エドガー達が待ってるよ!」
「グズグズすんなよ、バカ」
「あーもう、すぐそうやって悪態つくんだから」
「ウッセェノロマ」
「のっ、のろま!? もー怒った! ボコボコにしてやる!」
「ハッ! やれるもんならやってみろ!!」



私と同じ黒い髪が二つ、揺れる。
包帯を巻いて白い服に身を包んだ少年達は、殴り合いをやめて私を見た。


「はやくおいでよ、“なまえ”!」
「夕飯抜きだぞ、“なまえ”」



なぜ、少年達は私の名前を呼ぶのだろうか。
なぜ、私はこんなにも懐かしく感じているのだろうか。


「う、っく……!」
「どこ見てやがる?」
「うる、さい!」
「フッフッフッ…なんだ、名前で呼んで欲しいのか? ならいくらだって呼んでやるよ、なァ?――なまえ」


身体が浮上する。意識も浮上する。
暗い海の底から光の射す方へ登ると、そこにいたのはキラキラした瞳を惜しみなく私へ向ける男の子と、無愛想な表情でそっぽを向く男の子だった。


「起きた! ねえ、起きたよユウ!」
「耳元でうるせぇ! 見れば分かる!!」
「うふふ、おはよう! 君の名前は“なまえ”だよ、よろしくね!」



ガンガンと頭痛が襲う。その痛みから逃れるように、ドフラミンゴに斬りかかった。


「………お前が、」


殺傷力のある糸が、私の刀を受け止める。一歩でも気を抜けば、この糸は私を貫くだろう。


「お前なんかが、」


両手で刀を握りしめ、さらに力を込める。ギギギ、と刀と糸の擦れる音が嫌に響いた。


「お前なんかが! 私の名前を呼ばないで!!」


この名前に、たとえどんな意味が込められていようとも、あの子が教えてくれた名前なんだから。


「フフフッ、フフッ!!! ……油断、したな…?」
「っ、ガハッ……!」


腹の真ん中を、何重にも重なった糸の束が貫く。喉から血が込み上げ、そのまま口から赤いそれが吐き出された。
握りしめていたはずの刀が手からこぼれ落ちる。必死に手を伸ばしても、まるであざ笑うかのようにそれは届かない。


「……ふ、っ…さぼ……!」


いつだったか、夢を見始めた頃に彼は私に言ってくれた。


「辛くなったらおれを呼べ」


あの時は鼻で笑って流したけど、いいだろうか。今更何だと侮蔑するだろうか。
君に、助けを求めてもいいだろうか。


「たすけて、……たすけて、っ…サボ…!」
「――まったく、遅いぞ…なまえ」


地面に叩きつけられる前に、がっしりとした腕に抱かれる。ハットを被って鉄パイプを背負う彼は、待っていたと言わんばかりに私に笑いかけてくれた。


「さ、ぼ……!」
「一人で我慢するからだ。言っただろ、辛くなったらおれを呼べって」
「う、ん……うんっ……」


言ったね。
ごめん、意地っ張りで。


「ほら、ここで少し休んどけ」
「ゴホッ、ゴホッ……ごめ、ん、サボ…」
「悪いと思うなら、回復に努めてくれ。腹貫かれてんだ、安静にしてろよ!」


それだけ言い残すと、サボはニヤニヤと立つドフラミンゴの元へ走り出した。その背中を眺めながら、私はいつの間にか側に置かれた刀を手に取る。


「…イノセンス――“藤袴(ふじばかま)”……」


花の名前から名付けられた刀の名前を呼ぶ。この名を呼ぶのは幾月ぶりだろうか。


「……わすれて、ごめんなさい…」


ジクジクと、徐々に穴の開いた腹の傷が塞がってゆく。まさかと思って服をまくり、胸元を見れば、そこにはかつての記憶を決定づける“証”が存在していた。


「まさか、梵字まで……」


は、と息が勝手に溢れる。
カタカタと震える手を抑えようとやけになっていたら、ふわりと身体が何かに包まれた。


「……いきなりなに…」
「…………」
「ど、ドフラミンゴは、」
「ルフィが倒しに来た」
「そ、そっか……」


………ほんとに、なに。
私は訳のわからない現状にお手上げ状態だ。しかしじんわりと伝わる人肌の温もりに、震えは次第に治まっていった。


「……何があったかなんて、聞くつもりはねェ」
「う、うん、」
「だけど、一人で泣くのはやめろ」
「は!? なっ、泣かないよ!」
「じゃあこれは何だよ!」


ぐいっと顔を上げさせられ、無理やり顔を合わせられる。その反動でか、つぅ、と頬を伝う感覚が私を襲った。


「…へ、あ、え…?」
「泣いている自覚はなしか…相当やばいんじゃないのか?」
「う、るさい! ほっといて!」
「放っておけるか!」


また無理やり頭を掻き抱かれ、私はサボの肩に頭を預ける形になる。
彼らとは――ユウとは、アルマとは違うのに。どうしてこんなにも安心するのだろう。


「この国は、きっともうすぐ終わる」
「………」
「戦いが、もうすぐ終わるからだ」
「………」


だからなに。
そう問いかけたいのを山々に、私は黙ってサボに身体を預けた。


「いつか、なまえが話したくなったらでいい。お前の抱えてるもんをおれに教えてくれ」
「………やだよ」


こんな途方もない話をしてどうなる。一言で言うなら「前世の記憶を思い出した」だけなのに、それを言ったところでサボには関係のない話だ。


「どんなにくだらないことでもいい。おれに、教えてくれ」


それなのに、サボがクソ真面目にそんなことを言うから、
私はアルマの最期を思い出して、やがて頷いた。


「本当か!?」
「…サボがしつこいからね」
「よっし! ならさっさとこの戦いを終わらせるか!」
「な、ちょっと! 電伝虫鳴ってるよ!」
「ばか! なまえといるのに電伝虫なんて知るか!」


訳のわからない言い訳に、私は呆然と、しかし笑ってしまった。まったく、なんてサボらしい。
きっと今頃コアラやハックが怒ってるんだろうな、なんて思いながら、私もポケットに入ってる電伝虫の着信には気づかないふりをしてサボを追いかけた。



「いつか、なまえに愛する人ができたら、その時は僕のことを思い出にしてほしい。――いつか、笑って過ごすために」


灰となって消えた少年は、いつの日か見たような笑顔で、優しくそう言った。