妖精の尻尾ギルド内は、今日も今日とて騒がしい。
ルーシィは依頼掲示板を眺めながら悩んでいると、ギルドの扉が音を立てて開いた。何の気なしにそこを見てみると、そこには小柄できゅっと髪を三つ編みにしている女が一人。


「ごめんくださーい」


まるで店にでも来たかのような言い方。だがそれを聞いている者はルーシィ以外誰もおらず、その声は喧騒に飲まれてしまった。
仕方がない、とルーシィはその女に自分が対応しようと掲示板から一歩離れた瞬間、


ごめんくださぁぁぁああい!!


耳をつんざくような声量に、ルーシィはたまらず両手で耳を塞いだ。他のみんなも同様で、喧騒は途端に止み、ギルド内はシーンとした静寂に包まれた。
それに気を良くした女は、コツン、と足音を鳴らしてギルドの中へ入ってくる。そこでようやくギルド内にいたメンバー――ナツやエルザ、グレイ達は女の存在に気づいた。
ナツ達と目が合った女は、ふわりと三つ編みを揺らして満面の笑みを浮かべた。


「どーも! お久しぶりですー!」


明るい声に、ナツ達もみるみるうちに笑顔になってゆく。やがて耳を塞いでいた手をそろそろと離し、ワァ…! と誰からともなく駆け出した。


なまえーーー!!!
ふぎゃっ!!


女――なまえはナツ達に潰されて、情けない声を出して人に埋もれていった。それを掲示板前から見ていたルーシィは、ぽかんと口を開けて立ち尽くしていた。


「もー! 重いです! どいてください!」
「なまえー! お前今までどこいたんだよ!!」
「まったくだぜ! 帰ってくんのが遅すぎんだよこのヤロー!」
「わかりましたから! さっさとどいてください!」
「なまえーーー!!」
「もー! 人の名前を叫ばないでください!!」


ギャーギャーと騒がしいそこへ入り込めていないルーシィに、ミラは「ふふ、」と笑った。無理もない。なまえはルーシィが妖精の尻尾に来る前に離れていたのだから。


「あの子はなまえ。れっきとした妖精の尻尾の魔導士よ」
「ええぇ!?で、でも一度も見たことないですよ!?」
「ふふ、そうなの。あの子はもうものすごい魔導士でね、引く手数多な中ナツが無理やり引きずってきたのよ」
「そ、そんな…もうどこからツッコめば……」
「で、今まで勧誘していた他のギルドからも睨まれちゃって、危うく抗争になりかけたの」
「へええぇ……」
「それを止めるために、なまえは期間を設けて他のギルドに行って、そのギルドで働くことになったの」
「す、すごい……」


ミラの話にルーシィは改めてなまえがいる方見る。が、その顔は自分の目の前にあり、思いもよらぬ近さに驚いた。


「ヒィィィ!!」
「あっはははは!ほんとですね! ナツの言う通りビビりさんですねぇ!」
「だろ!? ビビりルーシィ、略してビリィだ」


ケラケラとナツと笑い合うなまえは、目尻に浮かんだ涙を指先で拭い、驚いたまま固まったルーシィと向き合った。


「初めまして、私はなまえです」
「あ、わ、私はルーシィです! よろしくお願いします!」
「そんなお固いのは無しですよ。気楽によろしくです〜」


そう言うとなまえはぶんぶんとルーシィの手を取って上下に揺らす。底抜けに明るいなまえに、緊張していたルーシィの肩の力も抜け、次第に笑顔を浮かべていた。そんな中、「しつれーしまーす」と男の声がギルドに響く。


「んぁ? ……誰だ、アイツ」
「グレイ、服!」
「うぉ! っと……」
「締まらん奴だな……おい! 貴様、誰だ」


グレイがいそいそと服を着るのを尻目に、エルザが問いかけた。男は眼鏡の奥にある瞳を細め、背後からナツに抱きしめられているなまえへと視線を移した。


「なまえチャンよ〜、俺らを放って行くってちょーっとひどくね?」
「ひどくないです。むしろ私が被害者です」
「いや、だからあれは謝ったじゃん」
「謝られても時間は帰ってこないのです」
「ご、ごごごめんなぁーなまえー!!」
「うぶっ!! ……え、えーじゅん君……いだいです……」


ナツがいることもお構い無しに、別の男――沢村は横からなまえに体当たりをした。黒い目を涙で潤ませ、えぐえぐと泣いているその様を見れば、さすがのなまえも責める言葉など言えるわけもなく、


「あーもう、えーじゅん君泣かないでください。目が充血してるですよ」
「っ、でも、おれっ、どーしてもなまえと離れたくなくて…っ!」
「う゛……お、お気持ちは嬉しいですけど、私は妖精の尻尾に所属してるので…」
「だ、だよな……ふ、ぐすっ…」
「あーあ、沢村泣かせたー!」
「こうなるの分かってて連れてきたのあなたですよ、御幸さん!!」
「えー? なんのことー?」


「僕わかんなーい」とぶりっ子キャラのようにとぼける御幸に、なまえの怒りも頂点に達した。
が、なんとタイミングのいいことか、マスターマカロフが帰ってきたのだ。


「なんの騒ぎじゃ?」
「わぁ! マスター!!」


後ろにいたナツ、そしてお腹にへばりついていた沢村をベリィ! と力づくで剥がして、マカロフにぎゅうっと抱きついたなまえ。端から見ていたそれは、久しぶりに再会した親子の抱擁のようだった。


「帰ってきていたのか、なまえ」
「はい! ついさっき帰ってきたです!」
「そうかそうか。どうじゃった?」
「……とっても素敵なギルドでした」


マカロフの問いに、なまえは穏やかな声で答えた。次いで未だ涙目の沢村とキャップをかぶってニヒルに笑う御幸へと目を向ける。


「もし、私がここに所属していなかったら、きっと入っちゃうくらい素敵なところでした!」
「え、ならおいでよなまえチャン! 倉持とかも待ってんぜ?」
「倉持さんはプロレス技をかけてくるので嫌いです」
「じ、じゃあクリス先輩! クリス先輩も待ってるぞ!!」
「う……そ、それは…」
おいなまえ!!


沢村の言葉に少しぐらついたなまえを見て、とうとうナツが吠えた。少し乱れたテーブルの上に立ち、ズビシッ! と沢村と御幸に向かって指をさした。


「お前、こいつらのところに行くつもりか!?」
「へ? い、いやいや、行かないです――」
「だめだ! そんなの許さねぇ!」
「ちょ、ナツ落ち着いて!」
「ルーシィ、こうなったナツは誰にも止められないから、ここで黙って見てましょ」
「ミラさんーーー!? なにくつろいでんですか!」


カオスだ。まさにその一言に尽きる。
だが当の本人は至って本気で、眦を釣り上げて天井に向かって炎を噴いた。


「なまえの居場所はここだ!」


支離滅裂で、人の話なんてちっとも聞きゃしない。けれどナツのその真っ直ぐな言葉に、あの日、自分は惹かれたんだ。
なまえはくすりと笑って、御幸と沢村を見た。


「と、言うわけなので、私は行かないですよ」
「ちぇっ、結局こーなんのかよ。沢村ぁ、お前もうちょい泣き落とししてこいよ」
「なに言ってんだよ! アンタこそ何もしてねーじゃねぇか!」
「アンタって…うちのギルドが上下関係厳しいのまだわかってねーの? 監督に怒られんぞー」
「うぐ……っ…」
「もー、御幸さんもこれ以上えーじゅん君をいじめないでくれます? ほら、えーじゅん君」


なまえは沢村の手を握りしめ、下から覗き込むように目を合わせた。黒と黒の瞳がぶつかり、不思議な雰囲気を漂わせる。


「またいつか、会いに行くです。だからお互い頑張りましょう…ね?」
「……あぁ、わかった」
「ふふ、そうと決まれば! 私は今すぐにでもお仕事行ってくるです!」
「お、俺だって! 帰ったらソッコーで仕事行く!」


ようやく沢村の表情にも笑顔が戻る。それを見てホッと息を吐いたなまえは、再び御幸と目を合わせた。


「御幸さんも、ぽっくり逝かないでくださいね」
「それ俺がじじいって言いたいの?」
「またそちらのギルドに行ったときに御幸さんがいないんじゃあ、ちょっと物足りないですから」


ここで今日初めてきょとんとした顔を見せた御幸に、なまえはしたり顔で笑った。この男がこういう顔を見せるのは稀なのだ。


「では! 最後にとっておきの魔法でお別れです!」


タッと駆け出し、なまえはギルドの外に出る。御幸たちが後を追いかけるも、彼女はもう高い屋根の上だった。


「さあ! みなさんお立ち会い願います!
“空から降るは宝石の雨! 触れればたちまち雫は溶け、その心に大いなる虹の架け橋を生み出すことでしょう!”


魔法で彩られた言葉は、やがて真実になる。
晴天の空からはキラキラと光る宝石のような雨が降り、それは屋根や地面、人に触れるとたちまち小さな水しぶきをあげて消えてゆく。すると、消えた水しぶきは透明な光となって空へと集まる。


「久しぶりに見たな、なまえの魔法は」
「だな! しっかし相変わらず綺麗な魔法を使うなぁ、あいつは」
「(まさかグレイ様、あの女のことを…!)ジュビア負けない…!」
「ねぇ、なまえの魔法って……」
「創生魔法だ。なまえの紡ぐ言葉が、そのまま創り出されていくんだ」
「そんな魔法が……」
「一国をも軽々と滅ぼすことのできる魔法だと恐れられているが、使い手がああだとその心配も無用だがな」
「……――確かに…」


あんなにキラキラと輝く笑顔を見せるなまえが、そんな使い方をするはずがない。ルーシィは出会ったばかりの女に、確かにそう思ったのだった。


“空に浮かぶ大輪の花は、別れの後押しとなるだろう。されど進め、大いなる導きのままに。――冒険は、まだ始まったばかりなのだから!!”


色鮮やかな花火が空に咲き誇る。なぜか見ているだけで魔力が湧くような、そんな気がした。
やがて御幸と沢村は去り、ギルドもいつもの調子を取り戻しつつあった。


「ジュビア? ガジル? それって…ふぁ、ファントムの?」
「知ってたのか」
「知ってるですよ! あれですよね、エレメント4!」


えっへん! と腰に手を当てて偉ぶるなまえに、エルザは「よく知っていたな」と褒めるように頭を撫でた。


「ところで、次の仕事は一人で行く気か?」
「んん、そのつもりです。今のところお金には困ってないので、報酬の安い簡単な仕事に行こうかと思ってるですけど…」
「良かったら、私たちのチームに入らないか?」
「……え? え、え、エルザ…チームを組んでるのですか?」


信じられない、と目をパチパチと瞬かせるなまえに、エルザは「あぁ、」と頷いた。


「他には誰が…」
「俺だ!」
「俺もだ!」
「あ、あたしも」
「あい」


なまえの呟きにしゅぱっと手を挙げたのは、もちろんナツ達だ。なまえはふんふんとメンバーの顔を一人一人順番に眺め、「うん!」と一つ頷いた。


「面白そうです! 試しに一緒にお仕事行ってもいいですか?」
「当たり前だ。っし、そうと決まればこれにいくぞ!」


グレイが用意周到に持ってきた依頼書は、S級魔導士同伴じゃなければ行けないもので、つまり、難易度はものすごく高い。それを見たルーシィは顔を真っ青にさせて首を左右に全力で振った。


「いやよ! あたしはぜっっったい嫌!!」
「なんでだよ!! 面白そうじゃねーか! グレイにしてはナイスだな!」
「ふむ、確かに良さそうだ。ただのモンスター討伐だし、そこまで苦でもなかろう」
「よーし、それなら早速出発です!」
「いやぁぁあああ!!」


ルーシィの泣き叫ぶ声を背に、なまえはスッと服の袖を捲くった。そこには油性のボールペンで書かれた御幸達のギルドのマークがくっきりと残っている。


「……また、会う日まで」


まさか今から行く仕事に御幸達もいるだなんて知る由もなく、なまえは後ろで喧嘩を始めそうなメンバーに声を張り上げた。


もーー!! 早くしてください!!


はてさて、これからどうなるのか。
それは神のみぞ、というやつである。