「神奈川?」
「そ! 合宿だよ〜」


及川はふんふんと鼻歌を歌いながらドギュッ!とサーブを打った。弾丸のように飛んでいくボールを目で追いながら、なまえは「神奈川……」と呟いた。


「いつから?」
「明後日。複数の学校と練習試合するんだけど、最後が…確か、箱根? だったかな?」
「(なんつー……)」


内心げんなりとしながらも、なまえは「りょーかい」と返事しておいた。
それから及川のサーブ練を見届け、一緒に帰る。二年からの付き合いだが、もうこれが当たり前の日常となっていた。


「……会わないようにしよ」


嫌な予感は拭えないが、それでも合宿は決まっている。行くしかない。
なまえは深いため息を吐き、お風呂に入ろうと洗面所へ向かったのだった。







「んじゃ、残すところ最後となりました!」
「ひっこめ及川〜」
「そこ! うるさいよ!」


花巻にいじられながら及川は本日の対戦校、箱根学園前で話をする。五日間の合宿も、残すところ最後となってしまった。


「いい? 今日の相手も初めて戦う相手だ。だけどそんなの関係ない。――全部、越えてく」


瞳に淡い光を灯した及川の言葉に、仲間たちはぶるりと震えた。普段の及川とは違うそれに、一瞬恐怖したのだ。この瞬間はいつも慣れない。
なまえは目の前にそびえ立つ箱根学園を見つめ、きゅっと唇を噛み締めた。


「(集中しないと…私はもう、箱学生ではないのだから)」


挨拶をしてから体育館に入り、ウォーミングアップを行う。相手側のチームに見覚えのある人がちらほらといるが、髪型を変えたおかげか誰もなまえに気づかない。
張り詰めていた肩の力を抜き、なまえはドリンクやタオルの用意のために動き回った。


「及川!」
「任せたよ…岩ちゃん……!」


試合も終盤。岩泉の呼び声に及川がトスで応える。綺麗な放物線を描いたボールは、岩泉の手のひらによって相手コートに落ちた。
――笛の音が鳴る。瞬間、爆発的な喜びの声が体育館に響いた。


「岩泉ナイスキー!」
「勝っっっっ……たァーー!!」
「及川ナイストスー!」


選手達が集まり、肩を抱き合う。ベンチから見ていたなまえも、顔を綻ばせながらボトルを洗うために外へと出た。


「勝った……」


まだ実感が湧かない。だけど、勝った。
にまにまとだらしのない顔で笑うなまえは、手際よく洗い上げてボトルの入ったカゴを持った。
「よいしょ、」と無意識に言ってしまう。短くなった髪が風のせいで首筋をくすぐる。そのスースーする首に少しの違和感を感じながら角を曲がると、そこには肩で息をする東堂がいた。


「へ、」
「っ……やはりなまえか……!」


なまえを瞳に映した東堂は、端正な顔を途端にくしゃりと歪めてなまえに抱きついた。いきなりのことでなまえも反応しきれず、カゴをガシャン! と地面に落としてしまった。
ぎゅうう、と強い力で抱きしめられる。ふわりと香る東堂の匂いになまえの脳裏には走馬灯のように記憶が蘇った。


「尽八、いたか………っ、なまえ!」


ひょこりと覗いてきたのは新開だ。なまえを目に映した瞬間走り寄ってきた。しかしなまえは現在進行形で東堂に抱きしめられている。
そんな新開の声を聞きつけ、福富、荒北までもがやって来た。


「やはりいたか」
「福ちゃんの読みドオリじゃねェかよ」
「さすが寿一だ」


なまえが宮城の高校に転校したことを知っていた福富は、バレー部の練習試合の話を聞きつけてこうして一か八かで探していたのだ。
パーセンテージで言えばかなり低い確率。なのに、それでもこんなに汗だくになってなまえを探し、こうして見つけた。


「〜〜〜〜っ、」


なまえは何を言えばいいのか分からず、自分を閉じ込める東堂をドンッと突き飛ばし、落としていたカゴを拾って体育館の中へ急いだ。
――まだ、中に及川達がいるはずだ。そこまで行ったら大丈夫。そんな思いで必死に足を動かす。


「っ、」
「わぁ!? なまえ!?」
「いきなり出てくんなよ……って、なんかあったか?」
「うわ、汗だくじゃん」


体育館の中には案の定及川達が居て、ホッと息を吐いた。もう大丈夫。「なんでもない」と言おうと口を開いた瞬間、背後から口を手のひらで覆われた。


「んぐっ!?」
「いきなり逃げるなんてひどくナァイ?」
「(靖友……っ!)」


歯をむき出しにして笑う荒北の顔を見て、なまえはサーっと顔を青ざめた。完璧怒ってる。
バタバタと走る足音が聞こえ、なまえは逃げ場がないこの状況にやっと諦め、肩を落とした。及川達は目をぱちくりとさせ、未だに状況を把握できていない。


「よくわかんないけど…」


ぐいっと腕を引かれた。荒北も予想していなかったのか、簡単に荒北の手は外れる。気づいたときには及川達に守られるように囲まれていた。


「この子、うちの大事なマネージャーなんだよね〜。勝手に触るのやめてくれる?」


イケメンスマイルを浮かべる及川。だが、彼のこの笑顔はこんなにも怖いものだったか。ぐ、と力のこもった手のひらに手首を握られ、なまえは及川の背中を見つめた。
しかし、話を聞いているうちになまえは(ん…?)と首を傾げ始めた。どうやら及川達は東堂達がなまえを襲ってると思っているようだ。このままではいけないと、なまえは及川の手を引っ張った。