夏の甲子園も終わり、雪が舞い散る冬。主力だった3年生が引退し、新しい青道野球部としてスタートを切っていた。
そんなやる気いっぱいの野球部。しかし、そんな野球部で今話題となっているのは野球の事ではなかった。


「……どうだ?」
「今はマネージャー達が宥めてる。つってもまだ泣いてるみてーだけどな」
「そうか……」
「御幸! 俺はもう行くぞ!」
「待て待て! つか俺先輩!」


倉持や御幸が部室を見ながら様子を伺う中、沢村はもう我慢ならないようで強行突破しようとしていた。これには流石の御幸も慌ててしまう。

なぜ御幸達がこうも慌てているのか。その原因は、端的に言えばなまえである。休日の今日、午前練だけで終わった部活。片付けや挨拶も終わり、マネージャー達も含めて昼食を一緒に食べていた時に事件は起こった。
ワイワイとみんなが騒いでご飯を食べている中、なまえはふと今日初めて携帯を見たのだ。その後数秒固まり、気づけば両目からぼたぼたと大粒の涙を流していた。理由を聞こうにも嗚咽混じりの言葉では何を言っているのか聞き取れない。とりあえず落ち着く事が先だと、マネージャー陣はなまえを連れて部室に引きこもってしまった。それから今現在、一度も出てきていない。


「春っち! もう行こうぜ!」
「ダメだよ栄純君! そうやって無理やり入ったらなまえちゃんに嫌われるよ」
「ウッ……」
「なら僕は……」
「降谷君もダメ! どうして自分はいけると思ったの!?」


一年生組が言い合う中、ガチャ…と部室の扉が開いた。部員達の目が一点に集中する。
マネージャー陣に手を引かれながら出てきたなまえは、こすりすぎて目元が赤くなってまぶたが腫れているものの、もう泣いてはいなかった。


「みょうじ!」
「さ、沢村くん…み、みなさんまで、どうして……」
「お前を待ってたんだよ」
「御幸先輩……」


柔らかく微笑んだ御幸を見て、なまえは後悔でいっぱいになった。なまえが泣いた理由は、なまえにとっては泣くくらいに重大な事だったとしても、御幸達にとってはくだらないだろうと思ったから。


「理由は聞かねぇけどよ。なんかあったら先輩を頼れよな」
「御幸だけに頼らせねー! 俺にも頼ってくれよな、みょうじ!」
「沢村くん……うん、ありがとう」


やっと笑ったなまえに、御幸も沢村も安心する。そうして部員達が皆なまえを心配して声をかけ、マネージャー達が帰ろうとした時のことだった。
校門まで送る、と言った御幸や倉持、沢村や春市、降谷と一緒に校門前で話していたなまえや春乃達。すると、ある団体が走って此方に向かってくるのが見えた。


「あ? あれって黄瀬じゃねーの?」
「マジだ。なに、あの大所帯」
「この学校に用事でしょうか……」


倉持や御幸、春市がそれぞれの思いを口にする。沢村と降谷も目を凝らすが、それよりも隣にいたなまえが突然震えた様子で口元に手を持って行った事の方がびっくりだった。


「え、ちょ、みょうじ!?」
「みょうじさん…!?」
「なーに騒いでんだよ、沢村、降谷……って、なまえ!? おま、また泣いて…」
「何があったんだよ!」


騒ぐ沢村達を他所に、なまえはただぼやける視界で前を見ていた。
――笑っている、また、みんなで。たったそれだけの事なのに、なまえにはどうしようもなく泣けてきた。


「なまえさん………!」


一番になまえの名前を呼んだのは、黒子だった。その呼びかけに答えるより早く、黒子はなまえに抱きついた。ぎゅうっと、力強く。


「なまえさん…っ」
「て、っちゃ……!」
「勝ちました……!!」


もう、無理だ。
なまえは震える腕を黒子の背中に回し、わんわん泣いた。


「おめでとう! おめでとう、てっちゃん…!」
「はい……っ!」
「ほんとに…おめでと……!」


そんな感動的な場面をぶち壊したのは、我らが帝王。


「そこまでにしておこうか」
「ぐえっ……せ、征十郎……」


俺様何様、赤司様だった。


「ナイス! 赤司っち!」
「てかなまえちん泣きすぎじゃね?目すっげー腫れてんだけどー」
「ブサイクがよりブサイクになったな」
「もう! 大ちゃん! なまえ、大丈夫? ああもう、目擦らないの」


みんながみんな好き勝手喋るため、収集がつかない事態に。
突然現れたカラフル集団に囲まれた、我らがマネージャーの一人であるなまえ。御幸達は唖然として見ているだけだったが、途端に我に返って事情を聞くことに。


「感動の再会…的な場面に申し訳ないんだけど……」


ハハハー、と笑いながら話しかけた御幸に向けられたのは、なんとも冷徹な7人からの眼差しだった。







「――じゃあ話を纏めると…、今日泣いてたのは『黒子の学校がバスケの大会で優勝した』っていうメールを見て泣いたってことか?」
「はい……」


そう改めて口に出して説明をするというのは恥ずかしいもので、しかも理由が理由なだけに余計に羞恥心に煽られた。
けれど、正しくその通りだったのだ。『誠凛がウィンターカップで優勝した』ことは、なまえにとっては他のどんな事よりも望んだ事だったのだから。


「また……こうしてみんなで集まれることが…、本当に奇跡のようで……」


今でも、夢なんじゃないかと思ってしまう。けど何度目を擦ってもみんなちゃんとそこにいて、かつてのあの日々のようにふざけながら笑っている。
その現実がどうしようもなく、愛しくて、愛しくて。


「なまえさん……、」


ぽつり、黒子がなまえの名前を呼ぶ。ぽたりぽたりと流れる涙を拭って黒子を見るが、滲む視界ではまともに捉える事さえ難しい。
そんななまえに黒子はくすくすと笑って親指でなまえの涙を拭いてやる。その優しい手つきに更に涙が溢れてしまいそうになる。


「また、みんなでバスケしましょう」


叶わない願いだと思っていた。
もう二度と実現しない夢を、幾度となく想像しては絶望した。
野球部という、渇望していた仲間が出来て本当に嬉しかった。けど、やっぱり頭の隅では求めていたんだ。同じ時間を分かち合った彼らの事を。


「うん…っ……!」


何度も何度も頷く。したい、またみんなとコートを駈けたい。


「ごめんね、任せっきりにして、ごめんっ…! ありがとうっ…ありがとう、てっちゃん…!!」


私一人逃げて、勝手に新しい仲間を作って、安心して。征十郎達の事を心配して、あの頃に戻りたいなんて思っていても結局は一歩も動かなくて。ぜんぶ、全部てっちゃんに任せちゃって。

ずっと謝りたかった。
ずっとお礼を言いたかった。
ずっとずっと、ずっと。


「…頭がいいくせに、ほんと馬鹿ですよね…なまえさんって」


黒子の笑みは変わらない。穏やかで、全てを包み込むような、柔らかい笑み。


「…すまないのだよ、なまえ。…ほんとに、」
「ごめんねぇぇなまえっちぃぃぃい!! バスケしよ! わんおんわん!」
「ッセェ黄瀬!! こいつは俺とバスケすんだよ!!」
「なまえちんなまえちん、」


己の倍くらいある位置から見下ろす紫原は、ぽすぽすとなまえの頭を撫でる。珍しくお菓子を持っていない紫原の手は手ぶらで、代わりにポケットが膨らんでいる。大方飴でも大量に突っ込んでいるのだろう。


「なまえちんとバスケ、したい」


紫原から初めて聞いた言葉。なまえはたまらず目を見開いたが、すぐに細めて大きく頷いた。


「黄瀬、青峰、うるさい。バスケはみんなでするぞ」
「チッ…わーったよ」
「それ終わったらわんおんわんしてくれるっスか!? なまえっち!」
「…いーや!」


ぷいっと顔を背けたなまえは、ガーン! とショックを受ける黄瀬を笑い、「うそうそ」と言う。


「やろ。負けないよ」
「! はいっス!」
「じゃあ俺ともしようぜ!」
「体力が余ってたらね」


笑い合う声が響く。懐かしい。


「桃ちゃんは私と同じチームね!」
「わ、私も!? 無理だよ!」
「だーいじょぶだいじょぶ! てっちゃんと3人チーム組んで、今までの罰としてみんなをコテンパンにしちゃおう!」
「いいですね、それ」
「え、え! …て、テツくんとなまえと一緒なら、頑張る!」


それからしばらく談笑していたが、なまえは野球部の面々を思い出して慌てて謝る。


「す、すみません! ほんと今日は…」
「いいって。…よかったな、なまえ」


優しい声が鼓膜を揺らす。何よりも“チーム”というものを渇望していた私を、御幸先輩はいつだって心配して――与えてくれたから。御幸先輩だけじゃない、倉持先輩も、引退してしまった三年生の先輩達も、沢村くん達も、みんな、みんな。


「ありがとうございます」


綺麗な微笑み。涙の跡や充血した瞳など顔はもうぐちゃぐちゃだが、それでもとても綺麗だった。


「…そこが、今のみょうじの居場所か?」
「征十郎………、うん」


御幸達を背に、なまえは両腕を広げて赤司達に向き直る。


「ここが私の居場所で、みんな私の大事な仲間」


恥ずかしいことを言ってしまったが、どうしても赤司達には知っておいて欲しかった。自分の今の居場所を。みんなに。
そんななまえの言葉に感動した野球部員達は静かに涙を流す。もう言葉も出ないらしい。マネージャー陣は嬉しさをそのまま体で表現しようと四方から飛びつく。夏川達に埋もれるなまえの表情も嬉しそうに綻んでいた。


「……安心したよ」


一人だけバスケの道から外れたなまえの事を、赤司は表に出さないだけで心の中では心配していたのだ。上手くやれているかとか、ストレスは溜まっていないかとか。
だが、その心配は杞憂だったらしい。少なくとも、今のなまえは本心から笑っていた。


「みょうじ、部活は終わったのかい?」
「あ、うん。だいぶ前に終わってたんだけど…てっちゃんからのメールに気づいて泣いちゃって、結果皆さんを巻き込んでしまってこんな時間に…」


こんな私用で帰る時間を大幅に遅れさせてしまった事への申し訳なさからか、少し顔を下に向けるなまえに赤司はある提案をした。


「俺や紫原が東京に居られるのはあと僅かだ。こうしてキセキが全員集まれるのも、もういつになるかわからない。せっかくこうして会えたんだ、バスケをしないか?」
「!! や、やる! やります!」
「ここら辺のストバスなら…」
「みょうじの家の近くなのだよ。早く行くぞ」
「あそこのストバス、なまえの父ちゃんとの想い出濃すぎて嫌なんだけど、俺」
「パパに扱かれてたもんね、大輝」


そのままストバスに行く流れになってしまい、なまえは慌てて御幸達へ挨拶をする。


「あ、あの、すみません!」
「はいはい、もう謝んな」
「せっかくやっと仲直りできたんだろ!? 行けよ!」
「さ、わむらく…」
「明日は1日連だからな! 遅れず来いよ」


ニカッと歯を見せて笑う沢村に、なまえも同じように笑って見せた。


「沢村くんこそ! 寝坊しないようにね!」


最後に頭を下げたなまえは、並んで待っていたキセキの世代達の元へ走っていく。
離れてゆく、小さな背中が。だが御幸には不安などなかった。だって、彼女が言ってくれたから。
青道野球部ここが、自分の居場所だと。


「……さぁーて、俺達も寮に戻るぞ〜。マネージャーもお疲れさん! 遅くまでありがとな」
「別に昼までだったから全然平気だし。御幸もお疲れさーん」


夏川は軽い口調でそう言うと、他のマネージャー達と一緒に帰っていく。その後ろ姿を見送ってから御幸は寮に向かって歩き出すと、突然目の前に降谷と沢村が現れる。


「「ボール受けてください!!」」


やはり午前練だけだと練習し足りないのか、体力が有り余っているようだ。だが、午前練の目的は午後は休む事も含めている。なのにそれを無視して午後も練習してしまえば、休まる時間などなくなってしまう。


「はーいはい、明日な〜」
「ぬおおお! 何でだよ御幸!!」
「受けて下さい」
「俺は休みてぇのー」


馬鹿な後輩をするりと躱して自室へと入る。ちょっと前に持ってきてたスコアブックを広げてジッと見いる。


「……あー…やっぱ悔しいな、くそ」


ぐしゃぐしゃと帽子でぺちゃんこになっていた髪を掻き乱す。思い浮かぶのは気になっているマネージャーのこと。


「…明日、超絡んでやろっと」


ニシシと悪い笑みを浮かべた御幸は、少しだけ気分を浮上させてスコアブックへと意識を集中させたのだった。