短編 | ナノ
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ぜんぶ、嘘



熱気がこもる。応援の声が其処彼処から聞こえてくる。


『ディック! こっち!』
『抜かされんじゃねーぞ、唯!』



ダブルチームを組まれていたディックからボールを受け取り、壁のような男達の間に体を滑らせていく。スリーポイントライン間際でキュッ、と飛んでそのままボールを投げた。それは見事パサッ…とゴールを潜る。


『よし!』


観客の歓声がビリビリと肌に伝わる。そう、この快感だ。この快感の為に、私は今ここでバスケをしているのだ。
結果、試合は私達の勝ち。こんなに緊迫した試合は久々だったため、どちらも握手をする時は晴れやかな笑顔を浮かべていた。


『ごめん、先に着替えてて』
『迷子になるなよー! ハッハハ!』
『うっさい!』



ディックの冗談に私も吠える。ったく、何度も来てるここで迷子になんてなる訳ないでしょうが。ふん、とプリプリ怒りながら歩いていると、前から人が歩いてきた。服装を見るからに観客だろう。飲み物でも買いに来たか?
だんだんと近くなるその距離に、私は不意に興味本意でちらっと顔を見た。瞬間、ばちりと合う目。


「なっ……」
「…見つけた」


嘘だ。
私はいつの間にか歩いていた足を止め、呆然と男を見る。男は逆に、足を止めることなく私に近づいてくる。
だめだ、来ないで来ないで。――私に、近寄らないで。


だめっ!!


私に触れようと伸ばされた手を、私は避ける。怖い、怖い、怖い。どうしようもなく怖い。伸ばされた腕だけじゃない。彼が、御幸が、男が怖い。
試合中はいい。余計なことなんて考える暇すらないし、何よりもあんな事があってから監督も私と面識のあるチームとしか試合を組まなくなった。申し訳なさでいっぱいだが、その分感謝も大きい。


「ごめ、なさ…っ…」
「…何でそんなに震えてるわけ? 深谷」


御幸から呼ばれた名前に、心臓がどくりと波打つ。可笑しいな、学生の時なら死ぬほど嬉しかったはずなのに。今じゃあ怖いだなんて。怖がる必要なんてない。だって御幸は私の同級生だし、何より初恋の相手だよ? 大丈夫、大丈夫。怖くなんて、ない。


「ご、ごめんね。その、突然でびっくりしたから! まっ…まさかこんな所で会うなんて思わなくて……」
「あー、確かに。俺は野球だしな」
「その……どうしてここに? 誰か知り合いの応援?」
「おう」
「へえ! 御幸、バスケ選手に知り合いなんて居たんだね! 誰々? 私のとこのチーム? それとも対戦相手の方?」
「お前だけど」
「………え」
「だから、深谷の応援に来たんだけど」


あの頃から変わらない、黒縁のメガネの奥にある瞳を細め、そう言った御幸。冗談かと一瞬思ったが、冗談でこんな体育館に来るほど御幸も暇ではないだろう。てかそう思いたい。


「そ、そっか…よく分かったね。私がここにいるって」
「この前ストリートバスケコートで見つけたからな」
「……そうなんだ…」


よかった。御幸が一定の距離を保ってくれてて。
これ以上、御幸に脅えたくない。このトラウマと何の関係もない御幸を、怖がりたくない。


「じゃあね、私そろそろ――」


行くね。
そう言いたいのに、御幸の後ろから歩いてきた男を視界に入れた瞬間、私の口は機能を失ったかのように止まってしまった。
御幸も不思議そうに一歩私に近づく。それに私も一歩後退した。そんな事をしている間にも、男はどんどん私たちと距離を詰めてくる。

気づくな、私に気づくな、気づかないで。――来ないで。


『………唯…?』


男の口から私の名前が出た途端に、私はヒッ! と引きつった声を漏らして男とは正反対の方に走り出した。後ろから男と御幸の声が聞こえるが、今は、逃げなきゃ。男の声が聞こえないところに。


『待ってくれ! 唯!!』
『こっ来ないで!』



後ろを振り向かずに叫ぶ。あともうちょっとでチームメイト達がいる控え室に着く。その思いで手を伸ばしたが、それは無残にも男に引っ張られてしまった。


「や、っだ! やだ、離して、離してよ、フィル!」
『話を聞いてくれ!』
『フィルと話す事なんて何もない!』



怖い、目の前の男が、私の手首を握って逃がさないとばかりに壁へと私を押しやるフィルが。潤む、青い瞳。いつもそうだ。フィルは暴力を振るう前、無理に性行為を行う前、またはそれらの後、いつもその綺麗なブルーの瞳を潤ませていた。
私はいつだってその綺麗なブルーの瞳が激昂を孕む一瞬の変化を、間近で見てきた。


「やだ、おねが、っ離して、離してよぉ…!」
『もう一度やり直そう、唯!』
「っ、も、やだ、ぁ….!」


混乱して出てくる言葉は日本語ばかりだ。それでも首を横に振って泣いているのだから、フィルは私の言いたい事くらい分かってくれているはずだ。
なのに「やり直そう」? なんで? なんでそんな事言えるの?


「はなして…!」


そんな私を助けてくれたのは、ヒーローのような君でした。


「はい、そこまで」


御幸は私の手首を掴んでいたフィルの腕を掴むと、ギリギリと力強く握る。流石のフィルも痛かったのか、私の腕からパッと手を離す。その隙を見て、御幸は更にフィルの腕を捻り上げた。
途端に痛がり、呻き声をあげるフィル。そんなフィルの耳元で御幸がボソボソと何かを言うと、フィルは顔を真っ青にさせてよたよたと覚束ない足取りで去っていった。


「……フィル、は…」
「大丈夫だって。…もういねーよ」
「そ、そっか…あ、あり、がと…みゆき…」


かたかたと震える肩を自身の腕で抱き、御幸に礼を言う。何を言って脅したのかは知らないが、御幸のことだ。きっと思いもつかない事を言ったのだろう。


「ほんと、情けないっていうか…その、助けてくれて、ありがと…。みっ…御幸が居てくれて、よかった…」


ぼろぼろと流れる涙を拭いながら、頭を下げる。本当に、御幸が居てくれてよかった。もしも御幸が居なかったらと思うとゾッとする。


「アイツと何があったんだ? 俺と会った時怯えてたのもアイツが原因だろ?」
「ご、ごめん…。その、…あの、ね、…」


私は所々掻い摘んで話した。フィルとの事を。そのせいで男の人に対してトラウマがあり、近寄る事さえ出来なくなってしまったことを。


「…そうか」
「も、もう大丈夫! 暫くすればトラウマなんてなくなるだろうし!」


御幸の難しい顔なんて見たくない。私が知ってる御幸は、いつだって余裕綽々で、チームの要で、ボールをただひたすらに追いかける大好きな人なのだから。


「…じゃあね! 御幸に会えてよかった!」


これ以上一緒にはいたくない。私の汚い部分なんて見られたくない。そんな思いで別れを告げ、控え室のドアを開けようと手を伸ばすと、その手をぎゅっと握りしめられた。


「み、みゆき…?」
「…ずっと、後悔してたんだ」


ぽつり、と御幸の口から語られるのは、彼の本音だった。戸惑う私をよそに、御幸はまるで試合中のような表情を浮かべる。


「…すきだ」


一瞬、耳がおかしくなったのかと思った。けれどそれを否定するかのようにまた御幸が、今度は私の耳元で好きだと囁く。


「ちょ、御幸っ…!? なに言って…」

「深谷がいなくなって気づいたんだ。…お前がいない毎日なんて、もう耐えられねぇ……」


本当に辛そうに言う御幸に、私はなんだか泣きそうになった。


「…そいよ……」


ついに涙が零れる。それは先程までの恐怖からではなく、嬉しさから。


「遅いよ、バカ御幸……!」


涙でぐちゃぐちゃになった顔を乱暴に拭い、勢いよく御幸に抱きついた。まだ男の人は怖いけど、それ以上にこの人が愛しくて愛しくて、仕方がない。


「わた、わたしだって……大好きだよ、ばかぁ…!」
「…ほんと、バカだよな、俺」


抱きしめ返してくれる御幸。
ああ、これは夢じゃないよね。この温もりは現実だよね。嘘じゃ、ないよね。


「……唯、好き……」


初めて呼ばれた名前は、甘く、甘く、とろけたように聞こえた。


「私も、好き…」


どちらからともなく重なった唇は、なんだか甘く感じた。



「こいつが唯っちの好きな人っスか?」
「へぇ…こいつが唯を傷つけた奴かい?」
「や、えと、征十郎、それはもう良くて…」
「…いや、それなら俺よりもう一人の…」
「あぁ、安心してくれ。あのフィルとかいう奴は俺が社会的にまっしょ…ゴホン、少し痛めつけておいた」
「(こ、怖えなコイツ…!)」
「み、御幸は大丈夫だよ、征十郎! その…ありがとね」
「…ふ、そうか。また泣かされたら言え」
「……ふふ、うんっ!」
「おーい唯ー、バスケしようぜー」
「唯ちゃん! こっちこっち!」
「唯は俺のチームなのだよ」
「えー!? そんなぁ! 黒子っち、代わって、」
「死んでも嫌です。君は青峰君と組んで下さい。僕と緑間君と唯さんで3人をコテンパンにしますので」
「えー、俺も唯ちんと一緒のチームがいい〜」
「じゃあ、次はむっくんと同じチームになるね! 今は我慢だよ」
「ちぇーー」
「(……敵が多いなぁ、ちくしょう)」


でも、こんなのもいいか。
キセキと笑い合う唯が、不意に此方を見た。俺を見てふんわりと微笑む唯に、俺もクッと口角をあげた。


――たくさん君を傷つけた。
だからその倍、君を幸せにしよう。
その誓いを胸に、俺は今日も君に囁く。


「愛してる」





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