ぜんぶ、本気
朝、自分の教室には行かずに二つ隣の教室に向かう。いつも私はギリギリな時間に登校しているため、必ず“彼”は居るのだ。
「おっはよー! 御幸!」 「…あぁ、深谷。おはよーさん」 「えへへー、御幸好きー!」 「んー、あんがと」
お昼、友達とご飯を食べ終えて速攻御幸のクラスに行く。今日も彼は倉持と食べていた。
「御幸っ! 美味しそうなお弁当だね!」 「はっはっはっ! そうか? ありがとなー」 「(きゅん)御幸っ、好き!」 「おー、あんがとー」
放課後、私のクラスは担任の話がすぐに終わるため、御幸のクラスの前で待つ。何故かって? 御幸は野球部。野球部と言えばこの学校は強豪らしいので、彼はすぐに部活へ直行してしまうのだ。
「あっ、御幸!」 「深谷、今日もお疲れさん」 「御幸こそ今から部活頑張ってね! 野球してる御幸、好きだよ! あっ、勿論普段の姿も!」 「あんがとなぁ。ほら、倉持行くぞ」 「ヒャハハッ! じゃーな、唯」 「ばいばーい倉持」
倉持とは普通に仲がいい。彼曰く、私がいつも御幸に会いに行っているから覚えてしまったんだとか。まあそれをきっかけに仲良くなったのだけれど。
「…御幸、鬱陶しがってるよね」
ぽそり、と呟く。わかっているのだ。毎日毎日朝昼夕と会いに行って、告白して。それをさらりと受け流す御幸。 告白を本気で捉えてくれたのは最初の一回だけ。その時は丁寧に断られたが、その後も場所も人目も憚らず告白する私に、次第に冗談だと思ったのか、今ではああして冷たい反応を取られるのだ。
「…いつも本気、なんだけどなあ」
まだ人で賑わう廊下では、その小さな声は掻き消される。途中、すれ違う友達にバイバイと手を振られ、私も別れの言葉を口にした。
「……かーえろっと…」
いつになったら、この想い、君に届きますか?
「あれ、唯っち!」 「お? 涼太! 久しぶりー!」
今ではめっきり会うことのなくなったかつての仲間に偶然会えて、沈んでいたテンションも上がる。まさか青道で会えるとは思わなかった。 私と涼太の関係は、中学の部活仲間だ。途中で入部してきた涼太は最初こそ私を警戒していたものの、いつの間にか誰よりも私に懐いてくれた。
「今から試合ー?」 「そうっス! 腕が鳴るっスよ〜!」 「ふふふー、そっかそっか! あ、ねえねえ…後で相談したい事があるんだけど…いい?」 「(唯っちから相談!?)もっ、勿論っスよ! あ、なら練習試合見に来る?」 「んー…んっ! 久々に涼太のバスケ見るー!」
思わぬお誘いに私も嬉しくなって体育館へ向かう。その際、ちらりと見えたグラウンド。聞こえてくるボールを打つ音。 一瞬だけ捉えることのできた御幸の姿は、やっぱりかっこよかった。
・ ・ ・
「で、どうしたんスか?」 「んー…、えとね。…好きな人に好きって分かってもらうには、どうしたらいいのかなーって」
わかんなくなっちゃった、と苦笑して言えば、涼太は一瞬ポカンと惚けたものの、次いで安心させるようや笑みを浮かべて私の頭を撫でた。 久しぶりのその手のひらに、私も目を閉じて甘受する。ああ、落ち着くなあ。
「押してダメなら引いてみろってよく言うじゃないっスか。グイグイ行かずに、たまには大人しくしてたら良いと思うっスよ」 「え、やだ! だって好きな人にはずっと好きって言ってたいもん! 伝わってないならなおさら!」 「唯っちー……それじゃあダメだから言ってるんスよ!」 「ううぅ……わかってるけどさぁ……」
涼太の言うこともわかる。でもね、きっとそうしたら多分御幸の目にはもう二度と私は映り込まないと思うの。 それくらい、御幸は仲間とそれ以外をわけてるから。
「…ま、何をどうするにしても、俺たちは唯っちの事応援してるっスから!」 「…ん、ありがと」
あーもう! 可愛い可愛い! と、涼太は人目も憚らず私をぎゅうぎゅう抱きしめる。苦しい! と涼太を突き飛ばせば、涼太は涙目になりながらもホッとどこか安心したように息を吐いた。
「それにしても去年に比べて涼太も変わったねぇ…。こう…雰囲気が柔らかくなった!」 「そっスねぇ…、それもこれも全部黒子っちと誠凛、それから唯っちのお陰っスよ」 「私なーんにもしてないよ。ほとんどはテツヤと火神君達が頑張ったからじゃん! いやー…それにしてもまさか征十郎に勝っちゃうとは思わなかったなぁ…」 「でも、信じてたんスよね?」 「…テツヤが私に嘘ついたこと、ないからね」
ふう、と息を吐いて、あの最後の洛山戦を思い出す。あれほどの試合を、見たことがなかった。あんな緊迫感の中で、誰もが勝つのは洛山だと思われていた中で、勝ったのは、勝者は、誠凛だった。
「だからバスケって面白いんだよねぇ」
きっと、この日本には私の好敵手は存在しないだろう。ならば、この狭い国から飛び出したら? 私の好敵手は、必ず居る。
「りょーたー」 「んー?」 「私ねぇ…日本出るよ」 「んー…ハァ!? いきなり何言ってんスか!?」 「いきなりじゃないよ。前からずーっと考えてた。もう日本には私の敵はいない。それなら海外かなって」
開いた口の塞がらない涼太は、呆然と口をパクパクさせている。ふふ、金魚みたい。
「実はもう既に準備済みだったりしてー」 「うっそ!?」 「ほんとー。だからそれまでにちゃんと私のは気持ちを知っておいて欲しかったんだけど…、どうせ冗談って思われてるかもだし」 「そ、それならもっとちゃんと告白した方がいいんじゃ…」 「えー?いいよもう。御幸が私の事どうも思ってないのは1回目の告白で分かってたし。…それでも、それでも御幸の目に映りたくて、人目も気にせずにずっと告白してたの」
結局、裏目に出ちゃったけどね。
「さて、と。ほら、もう帰ろう?」 「…出発は、いつっスか?」 「来週」 「また急っスね…」 「へへ、まあね」 「みんなに言っておくっスね。見送り行くから」 「…ありがと」
ほんと、涼太は優しいんだから。 今も、昔も。
「――おはよう御幸! 好き!」 「はいはいおはよ。あ、倉持。スコア持ってるか?」 「あ? ほらよ」 「サンキュー」
私への挨拶を川の流れのようにさらりと流し、スコアを持って自分の席へ行く御幸。残された倉持は、ガシガシと頭を掻いて私に話しかけた。
「…こんなの言うのも何だけどよ、いい加減諦めねぇの?」 「…初恋なの。私の」 「……まじで?」 「マジマジ。でも…本当なんだね」 「何が?」 「初恋が叶わないってやつ。…いつもごめんね、倉持。でももう安心していいよ」
チャイムが鳴った。みんないそいそと自分の教室に戻る中、私は倉持にしか聞こえないように口を開く。
「今のが、私の最後の告白だから」
「は……? っておいコラ待ちやがれ!!」 「へっへーん! 逃げるが勝ちー! あっ、今の誰にも言わないでよー!」
ごめんね、倉持。ありがとう。
――そうして、日本を発つ日がやって来た。空港には両親の他にカラフルな髪色の人達がいる。…うん、目立つな。
「ごめんね、みんな。来てくれてありがとう!」 「いや、こうして最後に会えて嬉しいよ。たまには駄犬も役に立つね」 「駄犬ってもしかして俺の事っスか!?」 「フン、しかし話が急すぎるのだよ。もっと計画性を持ってだな…」 「みどちんうるさ〜。あ、唯ちんこれあげるー」 「おぉぉ…! 秋田限定のお菓子! ありがとうむっくん!」 「うぇぇえん! 唯ちゃんが居なくなるの寂しいよ〜!! 行かないで唯ちゃぁん!」 「も、ももちゃん…くる、しい…」 「やめろさつき。唯が死ぬぞ」 「ハッ! ご、ごめんね!」
「いえ、桃井さんの言う通りです。唯さんが居なくなると寂しくなりますね」 「テツヤ…。ふふ、ありがとう」 「つーかバスケしてればいつか会えんだろ?」 「…青峰君らしい言葉ですね」 「あ?」
うん、賑やかなのは頭だけじゃないな。しかもこれだけ高身長だからなぁ…存在感すごい。 すると、私が乗る飛行機の案内アナウンスが流れた。みんなも聞こえていたらしく、先ほどまで忙しく動いていた口をぴたりと止めた。
「……行かなきゃ」 「〜〜ッやっぱ行かないで! 唯っち!」 「黄瀬君、無茶言うのは止めましょう」 「だって! ……っほら、あの好きな人にはちゃんと言ったんスか!? 今日出発するって!」 「わあああ! 何言っちゃってくれてんの涼太!? やめよう!? それ公開プレイだよ!?」 「す、好きな人……唯、好きな人がいたのかい?」 「征十郎……。いや、あー…うん、まぁね。実らなかったけど!」 「……そうか」
てか空気読めよ涼太! ほんとばか! 心の中でプンスカと怒りながら、遠くで涙混じりに私たちを眺めていた両親の元へ。
「我儘ありがとう、母さん、父さん」 「ふふ、いいのよ。私たち、ずっと心配してたの。大好きなバスケがいつか嫌いになっちゃうんじゃないかって」 「向こうは広いからな。きっと唯と運命のライバルに出逢えるさ。父さんもそうして出逢ったからな」 「ケヴィンと?」 「あぁ、今でもケヴィンからは連絡来るし、バスケもしてる」 「…そっか。…うんっ、私頑張るね! 行ってきます!」 「行ってらっしゃい、唯」 「しっかりやって来い! ケヴィンによろしく言っといてくれ!」 「はーい!」
最後に両親と別れのハグをし、搭乗ブースへと足を向ける。そこには既にキセキのみんながいて、その行動の早さに思わず笑ってしまった。
「…じゃあ、行ってきます。またみんなでバスケしようね!」 「…あぁ、行ってらっしゃい」 「またねー、唯ちん」 「向こうでも忘れずに人事を尽くすのだよ」 「じゃーなァ。ボインの女が居たら写メって送って来いよ」 「もー! 青峰くん! …っ、じゃあね、唯ちゃん! 向こうに行っても私のこと忘れないでね!」 「絶対! 帰ってきたらまた1on1しよう! ね、唯っち!」 「…怪我には気をつけて下さいね。また会える日を楽しみにしてます」
みんなの言葉に、私は涙を流しながら頷く。
「……、っ行ってきます!」 「「「行ってらっしゃい!」」」
そして私は、御幸への想いを断ち切るかのように飛行機へ乗り込んだ。
ごめんね、御幸。毎日毎日ウザかったでしょ?でも私にはこうするしかなかった。御幸に伝えた想いに嘘偽りなんてなくて、全部本気の想いだった。 私の初恋。想いが届くことはなかったけれど、きっとこれからも私にとって御幸は大切な人に変わりはない。
ありがとう、御幸。 さようなら。
「は? 深谷が海外!?」 「あぁ。昨日ので最後ってアイツ自身言ってたからな。…よかったな、お前いつも鬱陶しいって言ってたもんなァ?」
朝、チャイムが鳴っても来ない深谷に不思議に思う俺に、倉持が何てことないかのようにさらりとそう言った。 まさか、まさか深谷が海外に留学だなんて思いもしなかった。
「……御幸、お前一度でもちゃんとお前に告白してる時の唯の顔見たか?」 「……いや」 「人目も憚らず大声で告白してたけどよ、アイツの顔、いっつも緊張してたぞ。俺は告白なんてした事ねぇから上手く言えねぇけど……」
――告白ってそんな簡単に出来るようなもんなのか? 倉持のその言葉に、俺は何も言えなかった。それから俺は、休み時間の度にスコアを開きながら教室の扉へと何度も目を向ける。
いつもなら、控え目に扉が開いたと思ったら大声で告白してくる奴がいるはずなのに。 いつもなら、明るい声が教室に響いているはずなのに。 いつもなら、鬱陶しいくらいに付き纏っている奴がいるはずなのに。
はぁ、と俺はスコアに意識を向ける事が出来ず、むしゃくしゃして髪を掻く。そんな時だった。
「あの…御幸くんっ……」
久しぶりだと、思った。控え目に自分を呼ぶ女子の声。恥ずかしそうに照れた声色は、今にも消え入りそうだ。
「なに?」 「あの、えと、ちょっと来てくれないかな…?」 「…ここじゃ駄目な感じ?」 「ここじゃあちょっと…」 「…わかった」
今から話されるのが何かなんて分かってる。そこまで鈍くもなければ、これが初めてでもない。だからこそ、面倒だと思った。
あの子なら、人目なんて気にせずに大声で言ってくれたから、耳をすまして聞く必要も無ければ移動する手間もなかった。 あの子なら、何度も告白してきてくれたから俺の返事なんて分かりきってると思って、返事には困らなかった。 あの子なら、適当に返事をしてもへこたれなかったから、気を使わずに毎日を過ごせたし、顔を合わせても気まずくならなかった。
あの子なら、 あの子なら、 あの子、なら――深谷なら。
「あの、あのね、……っ、ずっと、ずっと御幸くんが好きだったの! だから……もしよかったら、お、お付き合い、して、くれませんか……!」
静かだから、目の前の子のか細い声でも聞こえた。きっと騒がしい教室なら掻き消されているだろう。俺はじっと告白してくれた女の子を見下ろし、久しぶりにいつも断る定型文を口にした。
「俺、今は野球に集中したいから…彼女とかは考えてらんねぇんだよ。だからごめんな?」 「あ、っ…じゃま、…邪魔しないから! デートだって月1とかでいいし、その、野球の練習だって付き合うよ!」 「…ごめんな、デートとかは絶対無理だから。…俺なんかより、もっといい奴がいるって! な?」 「っ……わか、った…ごめんね」
女の子はぽたぽたと涙を流しながら去っていった。その場に残された俺は、さっきからずっと感じていたものに胸を締め付けられている。
「…今更気付くとか、遅すぎるだろ…」
ずずず、と壁に背を預けてしゃがみ込む。 どうして、深谷がいる時に気づかなかったんだろう。アイツはあんなにも真っ直ぐに、気持ちを伝えてきてくれていたのに。冗談で告白する奴なんて居るはずがない。居たとすれば、それは罰ゲームか何かだろう。 初めての告白の日から、昨日まで。アイツは…深谷は、何時だって――顔を真っ赤にしていたんだ。
「は…マジで遅すぎだろ、俺…」
後悔したって遅い。けど、今からならまだ、間に合うだろうか
「バスケの為に海外に行ったって言ってたな…」
待ってろよ。絶対に、捕まえてやるから。
・ ・ ・
夏の暑さで汗がじわりと滲み出る。この暑さのせいで、さすがのストバスにもあまり人が集まらない。そうしてボーッとしていると、ボールがパスされているのにも気づかずに、開けっ放しにしていた扉から出て行ってしまった。つまり、ボールはフェンスの外にある。
「C'mon! Or it was done in the heat?」 「Joke! Of course not such! If you are waiting for a moment, because fetching balls」
私はチームメイトにそう言い捨てて、コートから出る。ボールはフェンスのすぐ側にあったため、探すという作業をせずに済んだ。
「しっかりしないと…。今度こそディックの得点数抜くんだから」
ディック、と言うのは、今先ほど言い合いをしていた黒人系アメリカ人の男の事だ。強面な見た目とは裏腹に、中身は優しい。…口調は荒いが。
「(あれから…三年、か)」
ふと、高校2年生の頃を思い出した。 私の初恋、御幸一也は今ではメジャーリーガーだ。成宮鳴という、高校時代では敵だった男とチームメイトらしい。この間も随分活躍していたのを人伝に聞いた。
「…あの頃の私ってほんと、ただの迷惑な女でしかなかったよね」
人目も気にせず、いや、それなりに気にしていたが、それよりも御幸に「好き」と伝える行為自体恥ずかしかった。よく御幸も耐えてたなあ。 あれから三年。勿論私にだって恋人がいた時だってあった。けれど長続きした事はなく、途中で別れを告げた事もあった。
「…ひどい時は殴られそうになった事もあったなあ」
今ではただの思い出だが、その当時は悪夢だった。家を何度引っ越しても男は必ず突き止めるし、性行為を一度拒否すれば無理やり行為に及んだ時もあった。 そうしてどんどん衰弱していった私を助けてくれたのは、ディック率いる今のチームメイト達だった。今は、チームメイトの男達なら大丈夫なのだが、それ以外の男がからっきし駄目になった。目を合わせることも、話すことも。
「…御幸でさえ、テレビでも見れないんだもんなあ。ほんと何してくれてんだよ」
顔を思い出す事さえしたくない。フ、と息を吐いて私はコートに戻った。
「………アイツは…!」
もう、過去のこと。そう割り切っているからこそ、もう会う気なんて更々ない。 なのに――……。
「…やっと見つけた……」
貴方が私を見つけていたなんて、思わなかったの。
[ Back]
|